第一章　出会いは一生を左右するもの

　今から十六年ほど前に、俺は日本からこっちのいわゆる異世界ってやつに転生してきた。いや、待て待て待て。初（しょ）っ端（ぱな）でまたこの転生展開かよ、と冷めた目で見るなって。俺は事故で死んだわけでもないし神様や女神様に会ってチート能力をもらったわけでもないから。ごくごく平凡に八十年近い人生を全うし、家族に看取られて幸せに大往生したんだって。そして気が付いたら知らない世界に生まれ変わっていたというだけ。そりゃ俺だって最初はラノベのテンプレ展開を期待したさ。だけどそんなに美味い話があるわけないってことだろうね。

　でもどうせ前世の記憶を持ったまま生まれ変われるなら、本当は元いた日本に生まれ変わりたかったよ。そうすりゃ可愛い孫やひ孫にだって会えたかも知れないんだし。だけどまあ、現実はそんなに甘くないってことだ。だから俺はこの世界で新たな人生を歩もうって思ってがんばってる。って、具体的に何をがんばってるということもないんだが、こっちの世界の親父もお袋も優しいし友達もそれなりにいるから満足してるんだよ。

　そんな元ジジイがなんでこんな言葉遣いなんだよって？　そりゃこっちで新しい体に生まれ変わって十六年も生きてりゃ普通に若者言葉になるってもんだ。ただ大変なこともあったよ。と言うのも日本で往生した時は年齢相応にもうろくしていたが、曲がりなりにも一度は長い人生を歩んできたんだ。つまり知識や経験がそれなりに蓄えられているということだからな。ついうっかり子供がまだ知るはずのないような、あるいはこっちの世界には存在しないような知識をひけらかしてしまって、誤魔化すのに苦労したということが何度もあった。もっとも十六年もこっちで生きてりゃ、日本で暮らしていた時の記憶なんてかなり薄れちまったけどな。それでも味の好みとか女の趣味とかはあまり変わっていない。実はそこがちょっとした騒動の元になったりするんだが、それも追い追いということだ。

「ヒコザ、ゲンロクさんのところに行って豆腐を三丁買ってきてくれるかい？」

「分かったよ母ちゃん」

　そうそう、俺の名前はコムロ・ヒコザ。何か昔の日本人みたいな名前だろ。ちなみに母ちゃんの名前はサヨで父ちゃんはトウベエだ。実は俺が生まれたこの世界は昔の江戸時代みたいな感じで、現代日本からすると二、三百年くらい遡（さかのぼ）った文明レベルってところかな。人の名前や地名なんかもその頃の日本を彷彿（ほうふつ）とさせるような響きのものが主流。ま、そうは言っても違うところもあるんだけどね。

「ああ、それとこれを役場に納めてきておくれ」

「今週の分か？　随分とまた多いな」

「いい場所を見つけたらしいよ。お陰で父ちゃんもご機嫌さ。飲んだくれて寝ちまったけどね」

　母ちゃんがこれ、と言ったのはオーガライトと呼ばれる光る鉱石のことだ。なぜこの石が光るのか、その原理は未だに解明されていないが、とにかくこの国では豊富に産出されるオーガライトが街でも家庭でも照明の源を司っていた。

　その他の用途としてオーガライトは水をかけると熱を発するので、炊事や洗濯、風呂焚（た）きなど、とにかく広く市民生活に浸透している。ただし水に浸して一度熱を発したオーガライトは二度と光ることも熱を発することもなくなる、つまりは消耗品ということだ。最後には薪の代わりに燃料として燃やせばゴミにもならない。使用済みのオーガライトはよく燃えるのである。街ではこれが照明用の他に風呂用や料理用として、適度な大きさに整えられた商品が比較的安価で売られていた。

「じゃ、行ってくる」

「気をつけて、寄り道してくるんじゃないよ」

　俺はオーガライトがぎっしり詰まった麻袋を、サンタクロースのように肩に担（かつ）いだ。鉱石とは言ってもこの石はその程度の重さしかないということだ。もっともこれだけ詰まってるとさすがに肩に食い込んでくるけどね。こっちの世界の十六歳としては大きめの五尺八寸、分かりやすく言うとだいたい百七十六センチくらいある長身でそこそこ力持ちの俺でもちょっと重く感じるよ。

「お、今日はキミエさんが店番？　豆腐三丁くれるかな？」

　キミエさんというのはゲンロクさん、サシマ・ゲンロクさんとこの娘さんで歳は俺より二つ上の十八だ。この子はこっちの世界では美人の部類に入るが、俺からすると見た目はあまり好みではない。しかし性格が気さくなので人として嫌いというわけではないよ。あと胸が大きくて、一度は触らせてもらいたいと思っている相手である。

　ちなみにこっちの世界では、人の美醜（びしゅう）の捉えられ方が日本と完全に逆転している。分かりやすく言うとこっちで可愛いとか美人とか言われる人は、日本人から見るとブサイクということで、当然ながらそれは男性にも当てはまるのだ。

「あ、ヒコザ君、いらっしゃい。お豆腐三丁ね」

「三丁だといつも通り銅貨三枚でいいかな」

　異世界設定のお決まりだと銅貨は日本円で約十円というのが相場だろうが、こっちでは百円くらいの価値になる。銅貨の上の銀貨は約五百円、大銀貨が約千円、小金貨は二万円、金貨が約五万円、大金貨が約十万円といったところか。しかし物価が日本と違う面もあるので、親子三人が不自由なく暮らすのには小金貨一枚、だいたい二万円もあれば充分だった。何よりオーガライトのお陰で電気代やガス代みたいなものはかからないからね。それだけオーガライトは気軽に買えるということである。

　だからそういう意味では一丁百円の豆腐はかなりの贅沢品と言えるだろう。食材としての豆とか卵も実際にちょっと高い。もっとも我がコムロ家はオーガライトが採れる山をいくつか所有しており、お陰で一般家庭と比べて倍くらいの収入があるので、たまにはこういう贅沢も出来るということだ。ただし身分は貴族ではなく平民だよ。

「いつもありがとう。そう言えばヒコザ君は来週のお祭りには行くの？」

「祭り？」

　キミエさんは俺が持って来た手桶に豆腐をすくって入れながら、そんなことを聞いてきた。