デプスダイバー

「1,000メートルを超えたら分裂に注意するのよ」

 そう言われたのを私はデプスダイバーのコクピットでオムニコントローラーを握りながら思い出した。

 切り立った殆ど垂直に近い海底山脈を縫うように、ゆっくりと前進させながら、降下していく。

 ヒューマノイドタイプのデプスダイバーはコクピットも広く、操舵しやすかったが、この高水圧で崖に激突したらひとたまりもないので、気が抜けない。

 こんなところで、私は一体何をしているのだろうと、思い出してみようとしたが、思い出せなかった。

 私は誰なのだろう?

 後ろを振り返り、思い出せない理由がわかった。

 私がもう一人いたのだ。分裂していた。

 何故、深海1,000メートルを超えると人間が分裂するのか、思い出そうとしたが、すぐに無理だと諦めた。

 二人に分裂した私の知能は半分になっているはずだから、思い出せる筈もない。ぼおっと霞がかったような脳でデプスダイバーを進めていく。


 デプスダイバーは身長十二メートルの人間型潜水艇だ。腕が二本と足も二本、五本の指まで付いている。首のない頭は肩まで流線型に伸びている。脚は腕や胸部に比べ貧弱で体全体的に逆三角形に近いロボットだ。水圧の高い深海では理想的なプロポーションなのだろうが、昔観た戦隊物の悪役怪物みたいでみっともない。

 モニターに映る映像は真っ暗で、サーチライトに照らされたマリンスノーが降る光景だけが延々と続く。時々、カメラの前を通り過ぎる不気味な魚もすぐに暗闇へ消えてしまう。


 私はこんな暗闇で何を探しているのだろうと、再び思った時、後ろでパチパチと音がして、モニター画面は深い青色に染まった。

 後ろを見ると、もう一人の私が制御パネルのスイッチを幾つかいじっていた。

 何か特別な装置を作動させて、海底を明るくしたようだ。プランクトンの靄に包まれながらも青い海が何処までも続いていた。

「アイツ、何をしたんだろう?もう一人の私のくせに、私よりも頭がいいの?」私はヤツをキッと睨んだが、ヤツは素知らぬ顔だ。


 私のくせに生意気だ!憤りながら慎重にオムニコントローラーを操る。明るくなったおかげで、操舵もしやすくなった。海底山脈の崖っぷちも遠くまで見渡せる。


 そうだ。石だ。石を探しに来たんだ。

 海底鉱脈の不思議な石。


 それは重力の影響を受けない石だという。


「でもね、浮力があるわけではないの」と姉さんは言った。

 不純物を取り除き、精錬して電磁波だかメーザーだかを当てて漸く少しだけ浮力が生まれるという。


「とてもエネルギー効率がいいの。ほんのちょっとのエネルギーで船が空に飛ぶようなものよ。でも、水素やヘリウムで浮かぶ風船みたいな飛行船じゃないの。飛行機みたいに速くはないけど、もっと重くて頑丈なの。ねぇ、空飛ぶ船なんて素敵じゃない?」と姉さんは言った。


 でも、なんで私がそんな石を探しに深海に潜らなければならないのか、そう疑問に思うと、後ろではしゃぐ声が聞こえた。

 振り返ると、私がもう一人増えていた。


 これで三人だ。私の知能と記憶も三分の一だ。

 この先、大丈夫なのだろうか?考えてみても始まらない。私の知能は三分の一なのだから。


 私は海溝に沿いながらゆっくりと降下するデプスダイバーを前進させ続けた。海の雪以外は相変わらが何も見えない。


 全身を包むボディースーツが急にキュッと締まったような気がした。後ろの二人を見ると、Tシャツにショートパンツのラフな格好だ。ショートパンツから伸びる細い脚はボーイッシュで幼い子どものよう…。いや、子供だった。十歳になるかならないかの年齢だ。

 分裂した分、年も退行したのだろうか?


 二人は、グニャグニャのボールのようなものを宙に投げて遊んでいた。あのボールのようなものはなんと言っただろうか?思い出せない。

 二人はボールのようなものを投げたり、手をせわしなく動かしながら、歌のようなものを口ずさんでいた。


「姉さんは空を飛びたいの?」

「そうよ」

「なら、飛行機に乗ればいいじゃない?」

「飛行機じゃ雲にさわれないでしょ?雲の上を歩けないでしょ?」


 私は突然寂しくなり、海上に戻ろうかという考えが脳裏を走り、そう思ったのは今が初めてじゃないことを思い出した。

 私は何度も何度も戻ろうとしたけど、結局、少しずつ深く深く潜っていったのだ。


 このまま潜り続けよう。もうすぐ海底に着くはずだ。

 そしたら、デプスダイバーの貧弱な二本の脚で海底を歩こう。


 たとえ、石が見つからなくても何処までも何処までも歩いて行こう

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