4・・・
放課後になっても私は担任の言葉を夢か何かだと思っていた。理由がわからないからというのが正直なところ。
とりあえずまっすぐ帰ることにした。
夢だったとしても現実だったとしても、入部しようとは思わない。担任もあんな様子だったし、本気ではないんだろう。
部員が増えればいいなー的な軽い気持ちだと思う。これは勘だけど。
「ねぇ、」
その声に緊張が走った。
この学校で私が頻繁に話すのは保健室の及川先生なもので、その他の女子には面識がないし声をかけられるだけで緊張してしまう。
緊張というよりは・・・恐怖?とにかく驚いてしまう。
「はい」
無難に返事をしつつ振り返る。やはりそこにいたのは知らない女子だった。
声を掛ける時に名前を呼ばないところから想像するに、私が忘れているわけではなく、相手もきっと私を知らない。
姿を見たことはあったとしても、そこまで親しくはないということだ。
ただ問題は、他の女子に何か気に触るようなことをした覚えがないということだ。
「あんた、昨日森野といたでしょ?」
「へ・・・?」
質問に質問で返すのは良くない。それはわかっているのだけど、彼女の質問の意味が私には理解できていなかった。
まず、森野とは。
何かアプリで調べて見たくなるような言葉だった。今にでもスマホに手が伸びそうだ。
相手はイライラしている。それもそうだ。相手は私が森野という人物のことを知っているという基本情報の元私に質問しているのだ。とぼけられていると思っていても仕方がない。
ただわからないものはわからない。直接聞いてみるしかないのだろうか。
「あの、もり・・・」
「やめてほしいんだよね。あーゆーの」
私の言葉を鋭く遮った彼女は人差し指で髪の毛をくるくると巻きながら睨んでくる。迫力がすごい。つい自分が何かをしてしまった気がした。
いや、してないんだってば。
「悪いけど、心当たりがないんだよね」
いちいち敬語を使っても彼女の興奮は収まりそうにない。ここは少し強めに言わないと、私の不利が逆転できない。
いや、逆転はしなくていいから対等くらいにはなりたい。
「あっそ」
彼女は吐き捨てるように言った。
きっと私の言葉を信じていない。
争いとはそういうものだ。片方が信じずに疑うことによってどんどん溝が深まっていく。彼女との間にはもともと信頼関係など存在していないから余計にどんどん離れていく。
これはしょうがないことだ。人間は万能じゃない。そんなに賢く生きていくことなんてできない。
もう彼女は話すことを諦めたらしい。私の斜め方向に向かって歩いてきた。
ああ、彼女があっさりした人でよかった・・・
「いっ、」
そんなあっさりしてるわけないか。
通り過ぎる直前に足を払われて、油断していたことも相まって派手に転んでしまった。痛い、痛すぎる。
運が悪かったのはここが外だということ。
靴を履き替えて少し歩ったところ。つまり彼女は学校に入って行ったことになる。
起き上がって打った膝のあたりを見ると案の定出血していた。まぁ出血ぐらいなら軽いものだ。もっとひどいことにならなかっただけマシだと思うしかない。
彼女が私を転ばせた後、くすくすと何人かの嘲笑う声が聞こえた。仲間がいたか。正々堂々ってわけじゃなかった。私の予想のつかない周囲を怒らせた行動による被害者は彼女だけではなかったということだ。正確には彼女たち。一体何をしたんだ、自分。
自分に聞いても答えなど帰ってこない。あたりは嘲笑も消えて静寂に包まれていた。
「もう一回戻ろうかな・・・」
私のいる場所からはちょうど保健室が見える。まだ明かりは点いていた。
行くしかない。この状態で帰ったら通りすがりの人の心臓を無駄にばくばくさせてしまう可能性がある。
関係のない人を怖がらせてはいけない。そのくらいは私にだってわかる。
・・・でも長居はしないようにしないと。先生のペースに乗せられてしまうとしばらく帰れなくなってしまうから。
「ふーん・・・」
こうなるとは思ってなかった。まさかあの時誰かが見てたとは。油断は禁物ってこのことか。
でも困るな。彼女はお気に入りなのに。
「ねえ坂下ちゃん。最近初めて話した人とかいる?」
「え?・・・あぁ、確か一人いましたね」
私は咄嗟に文芸部の部員のことを思い浮かべていた。
さっきの彼女のことは話題にしないようにしないと。なるべく触れないように、あくまでも傷口のように扱わないといけない。
「男の子?」
「そうです、けど・・・」
なぜそんなことを聞いてくるのか。
及川先生は私の膝の傷口を手当てしつつも質問を投げかけてくる。先生なりに気になったことでもあったのかもしれない。
私がどう考えたところで先生の思考には追いつけない。素直に聞かれたことを答えておこう。もう既に一つ嘘を吐いてしまったけど。
「そっかー」
先生はため息を漏らした。恋の病でも患ってしまったのだろうか。先生はまだそんなに歳はいっていない。素直に応援しよう。相手が生徒だったら複雑ではあるけど。
「ありがとうございましたー」
「いいえ、」
先生はニコリと笑って道具を片付け始める。今日の仕事はこれで終わりらしい。私も下ろした鞄を持ち直す。外はもう暗い。
「坂下ちゃん。私もう帰るから送ってくわ。車に乗って待ってて〜」
保健室から出る直前に呼び止められた。確かに先生はもう帰る気満々の格好だった。
手には鞄。登校時に着てきたであろうピンクのコート。某局のアナウンサーに見えてきてしまった・・・
先生が投げた鍵をギリギリ落とさずに受け取れた。
車で送ってもらうことは初めてじゃない。そのくらい下校時間の保健室に私は入り浸っているし、先生も定時で帰ることを欠かさない。
仕事は終わらせているのだろうから文句は言えないけど、やっぱりなんだか暇そうに見えてしまう。
送ってくれる相手に対してこれ以上言うのはやめておこう。路頭に放り出されかねない。
家の前に着いたところで、車が完全に止まったことを確認して降りる。
「ありがとうございました。また明日、学校で」
「またね〜」
車に背を向けて家の敷地に足を踏み入れようとした時、「あ」と先生の何か忘れたような声がして振り返る。
何か落とした・・・ことはない。車内で私は鞄を開けていないしスマホも見ていない。それ以外だったら何だろうか。
「明日、気をつけて登校するのよ」
「・・・?はい。」
眉を下げて困ったような顔をする先生は珍しい。何か困ったことでもあったのだろうか。
「最近はまってる占いで、坂下ちゃんの運勢明日悪めだから」
「え、」
気になる言葉を残しつつ、先生はウィンクをして「バーイ」とおしゃれに去っていった。
運勢は気になる。悪いならなおさら。聞いておけばよかったな、どんな占いか。わからないと調べることもできない。
気になりつつも家に入る。
靴を脱がずに立ったまましばらく考える。
「明日は絆創膏多めに持って行こうかな・・・」
そのくらいの対策しかできない、と言うか。なぜかどんな運の悪さも物理的にくるような気がして、怪我の処置を考えてしまう。
精神的な強さには自信があるのかもしれない。打たれ強さってやつ。今の私なら誰にも負けない、みたいな。
結局それも気持ちの持ちようなわけだけど。
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