君にこの花が届くなら

猫柳 リョウ

第1話

 僕の仕事は庭師である。

 屋敷の主人達が、窓越しに眺める美しい風景を整えるのが、僕の仕事だ。



 美しい庭、というのは貴族にとって一つのステイタスであり、どれほど広い土地を持っていても、荒れ果てた庭などを放っておけばその品位に傷がつく。専属の、庭を整えるためだけの人間を雇う余裕がある、ということに意味があるのだと、僕は父から聞いた。


 僕の働く屋敷は、厳格ながらも人情溢れる旦那様と、少しおっとりした美しい奥様と、まじめで大人しいお嬢様の三人が暮らしている。昔から続く由緒正しい貴族なのだそうだ。

 僕はまだ見習いだから、あまり難しいことは分からない。でも先日、師匠でもある父から、やっと庭の一角の手入れを任せてもらえるようになった。

 屋敷でも裏手の、屋敷の中でも一番手入れの行き届いていない場所だった。


「ここなら大して人目につく場所じゃねぇからな、お前にも任せられるだろう。ここで慣れてきたらもう少し人目につくところも手伝ってもらうぞ」

「はい父さん」


 僕は父からもらった古びた鎌をピカピカになるまで研いで、次の日は一日中、雑草を刈った。鬱蒼とした場所だったから、こざっぱりさせたかった。


 ふと顔を上げたのは、丁度太陽が傾きかけた頃だった。上の方で微かに、何かの擦れる音がしたのだ。

 手の甲で汗を拭いながら、僕は空を仰いだ。

 見上げた先、澄み渡るような青い空を背景に、一人の少女が、窓枠越しにこちらを見下ろしていた。

 柔らかな蜂蜜色の髪に、青空よりも深いコバルトブルーの瞳。陶器のような肌が美しく、形の良い薔薇色の唇を動かして。


「バカ!!」


 と、彼女は僕を罵った。






「貴方、何をしているの!」


 少女の言葉に、僕は困惑した。褒められこそすれ、怒られるような不始末をした覚えはない。恐る恐る、「ざ、雑草を刈っています」と口にする。


「雑草なんて!私、そこに咲く花が大好きだったのに。酷いわ、もうほとんど無いじゃない」

「えっ、だって……」


 僕が刈っていたのは本当に、取るに足らない草なのだ。地面を這う背の低い草で、花も小指の爪ほどのものがポツポツと散らばる程度。他に刈り取った草も、どれもこれも庭園に植えるには不向きなものばかりで。


「だっても何もないわ。あぁ……もう、これだけ刈られてしまったら取り返しもつかないわね」


 そう言って、彼女は心底悲しそうな顔をする。


「ごめんなさい、その、もっと別の花を植えようと思って」

「代わりに、何の花を植えようっていうの?」

「ええと、お嬢様のお好きな花を」

「これ以上に好きな花なんてないわ」


 そう言って、彼女はツンとそっぽを向いてしまう。

 僕は途方に暮れた。屋敷の人の為に庭を作ろうとして、逆にそれを壊してしまったのだろうか。


「とはいえ、無くなってしまったものは仕方ないわ。貴方、責任を取って、今から私の言う通りにしなさい」

「は、はい、なんでしょう」


 僕の言葉に、彼女は、いたずらっぽく目を細めた。


「私が『こっちの花の方が綺麗』って思えるような庭を作りなさい。わたし、ちょくちょくこの庭を覗きに来るから。手を抜いたら貴方の家族全員、この屋敷から叩き出すわよ」



 ◇◆◇◆◇



 少女――もとい、この屋敷のお嬢様は意地悪だった。


 彼女は宣言通り、ちょくちょく、というかほぼ毎日、僕の庭を窓から覗いた。僕は父に相談をしながら、いろいろな花を集めてきては庭に植えた。


「大きければいいってものじゃないの。その花、品がないわ」

「嫌ね、その花は蔦ばかり立派で鬱陶しいわ。せっかくすっきりしたのに鬱蒼とさせるなんて、どういう神経しているの?」

「それ、花がついているの?まったく見えないんだけれど」

「その木は見栄えは良いけれど、香りが強すぎて嫌いよ。別のものにして」

「貴方、センスが壊滅的ね。普通その花をそこに植える?手前の茂みの陰になって何も見えないじゃない」




「じゃあ、どうしたらいいんですか!」


 僕が文句を言うと、お嬢様は楽しげに笑う。


「貴方の好きにすればいいわ。私が気に入るかどうかは、また別問題だけど」

「お嬢様は、どんな庭が好きなんですか」

「さぁ、分からないわ」


 酷い、と僕は視線だけで訴えかける。するとお嬢様は少しだけ真面目に、「貴方に見つけてほしいのよ」と呟いた。


「私が今答えられる『好き』は、既に私が遭遇したことのある『好き』よ。それを再現してもらうだけじゃ、つまらないじゃない。だから貴方に見つけてほしいの」

「……まっとうなこと言ってますが、本当のところは」

「貴方が毎日右往左往してるのを見てるのが楽しい」

「意地が悪い!」

「主に対する口の利き方がなってないんじゃないかしら」


 お嬢様は、とても楽しそうに、そう笑った。


 この小さな庭を任されてから、一年ほど経った日の話だった。



  ◇◆◇◆◇



「あら、今年は変わった花を集めてきたのね」

「はい。先月父に付き添って南の方に行きましたので、そちらで気に入ったものをいくつか。今から植えれば秋先には綺麗に咲くそうですよ」

「どうかしら。あまり期待はしていないけれど」

「そう仰ると思いました。でも、きっとこの木は気に入ってもらえると思いますよ。それと、もう少ししたら木苺の季節ですから、よろしければ厨房に持ち込んで、今年もジャムを作りましょうか」

「それはいいわね。地味な花だけど、美味しいジャムが出来るから嫌いじゃないわ。好きって程じゃないけれど」


 何度も季節は巡り、お嬢様は更に美しくなり、少しだけ化粧をするようになった。


「またしばらくしたら出かけるの?」

「半月ほど後に。この辺りの草花は、大体お嬢様に嫌われてしまいましたから」

「ふふん、そこいらのもので満足するほど、私は安い女じゃないってことよ」

「あぁはいはい、そうでしたね」


 僕の返事はお嬢様のお気に召さなかったらしい。「貴方、最近ちょっと生意気じゃない?」と少し拗ねた声がする。


「まぁいいわ。……ねぇ、今回行った場所は、どんなところだったの?」

「今回は、海に面した港町で――」


 お嬢様の機嫌が治るよう、僕は覚えている限りの土産話をする。そうすると、彼女は少しだけ柔らかな顔をするのだ。


「いつか行ってみたいわ」

「ぜひ。とても素敵な街ですよ」


 彼女はいつも、窓越しに外を見ている。来る日も来る日も、屋敷の中から。

 深窓の令嬢は、外を知らない。きっとこれからも、外を知ることはない。


「私ね、縁談の話が出ているのよ」

「そうらしいですね」

「嫁いだら、私、きっとこの屋敷を出ていかなければならないわ。でも困った、私、まだ貴方に約束を果たしてもらっていないのよね」

「お嬢様はわがままですからねぇ、なかなか納得していただけないようで」

「うん。だからね」


 言葉を切って、ぼんやりと、彼女は思考を言葉に変えていく。


「最初はね、貴方に、新しい屋敷にもついてきてもらおうと思ったの。でもそうしたら、この屋敷の庭師がいなくなってしまうでしょう?せっかく綺麗に整え続けてきた、お父様とお母様のお屋敷だもの。今更、何処の馬の骨とも分からない庭師を雇うのも癪じゃない?

だから、私、毎年里帰りするわ。貴方の庭を毎年、見に戻るの。

貴方は、私が満足できるまで、最高の庭を作ってみせて。……ねぇ、そういうの、嫌かしら」


 帰って来られるんですか、なんて、僕は聞かない。


「はい、分かりました」

「……いいの?嫌じゃない?」

「はい。お嬢様のわがままは、いつものことでしょう?」


 剪定バサミから手を放し、僕は屋敷を振り仰いだ。

 初めてお嬢様と会ったのも、こんな爽やかな日だった。ただ、あの日怒りに吊り上がっていた瞳が、薄い水の膜を湛えていることだけ異なっていて。


 苦しそうだった。縋るような視線に、けれど僕の答えは揺らがなくて。


「待っています。必ず、お嬢様のお眼鏡にかなうような庭を作りますから」


 それだけが、僕と彼女を繋ぐ、たった一つの関係性だから。




「そう……。ありがとう」


 そしてお嬢様は、儚く笑った。



    ◇◆◇◆◇



 僕の仕事は庭師である。今は遠く離れた僕の主人が、一時の安らぎを得る為に、美しい風景を作るのが、僕の仕事だ。

 僕は誰かを外の世界に連れ出すことも、誰かの人生に口出しすることも、できない。

 けれど、誰かの代わりに、世界に溢れる美しいものを掻き集めてくることはできるから。



 いつか彼女が、新しい『好き』を見つけられるその日まで。僕はここで、働き続けます。

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