収穫祭1

 港町、大通りから橋と階段を越えた赤土の建物の中にその店は静かにたたずんでいた。

手作り感あふれる真新しい木を模した石造りの看板の文様と、焼きたてのパトミントティーの香りがこの店が喫茶店だと教えてくれる。


 「Azure」その店の名前の由来は、失われたかつての空の色の名前。一年に一度だけこの世界の守り神がよみがえり、空の色が世界に戻る。その日が今日、収穫祭の日である。


人々はめいめい自慢の品を持ち寄り、着飾って歌い踊る。

 遠方からも旅人が訪れる今日だけは、新市街の宿やレストランでは客をさばききれない。よって、今日だけは旧市街もかつての趣とにぎやかさを時を越え手に入れるのであった。



 赤い町並みと石組みの新しい建築物とを繋ぐ道を縫うように行ったり来たりしている影が2つあった。

影は、朝日を浴びて淡く輝く碧石の階段へと至る。苔むしたそれを上りきった先にあるのは彼らの目的地、真新しい看板の喫茶店である。

 2つの影は所々荒削りな石看板の脇の垣根にある木戸を開け、店の裏庭に入る。庭からは街が一望でき、海から吹き上げる浜風と朝日がふたりをくっきりとうかびあがらせる。

 漆黒からやや色あせたグレーの髪の十六、七才くらいの少年がまぶしげに手をかざし、海を眺めると、軽々と、まるで曲芸師の様に半回転してやや不機嫌そうに短い金髪を風に遊ばせていた二つくらい年上の少女にはずんだ声で話しかけた。

 「海の波は高いけど、天気良さそうでよかったよなー、シエナ!」

シエナと呼ばれた少女は、ややあきれた風に、地面に落ちた林檎を拾い上げ、ほこりを払うと、少年、ルメにそれをつきつけた。

 「祭りだからといって海も浮かれているのかもな。お前もそうだろう。ほら、いくぞ。」


そういうと、すたすたと、まるで何事もなかったかのように歩き出したシエナを一瞬ぽかんと見つめていたルメは、目をぱちくりさせた後、聞こえないようにぼそり、と呟いた。

 「シエナだって人のこといえないじゃん……」


 シエナは裏庭の奥まったところにある、ハーブ畑の脇の人がぎりぎり通れるくくらいの小さな看板の黒い石扉をゆっくりと押し開けた。錆び付いた蝶番がギイ、とうめくような声を上げ、扉がゆっくりと開く。後からルメが慌てて扉を押し中に入る。二人は木箱がやや乱雑に、だが人が通れる余裕を持って積まれた土間を慎重に通り抜けた。薄暗い中をやや歩くと、上階へあがる木製の石で修復された階段と、先ほどの扉と同じ素材だろうか、石珠の連なった暖簾が見えてきた。中からは魚が焼けるいい香りがする。

ルメはややためらいがあったのか、後ろへと下がったシエナの様子をちらっと確かめ、石珠をわずかにくぐり、中にいるであろう調理をしている人物に声をかけた。

 「フルー、魚と林檎を買ってきた。後祭の仕込みに足りないものあったら言ってくれないか」

やや間をおいて、代わるからいっておいで、という声と誰かのぱたぱた、という慌てたような足音をはさみ、石がぶつかりあって、くぐもった音色を奏でる。

ほぼ同時にひょいっと茶色がかった緑髪が現れた。

凛とした、よく通る声が響く。


「シエナ、ルメ、ありがとう!

ちょうど朝ご飯ができたところだから二人も食べていって!」


ルメとシエナは一瞬顔を見合わせる。とフルーはくすっと微笑んで、さら、水が流れるように、ささやいた。


「常連さんが来てるのよ、いつもの」


先客は、すでに三人が店の中に入ったときには、朝食を食べ終え、ゆったりと、賑わいをじょじょに見せ始めた街の景色を窓越しに眺めていた。

天窓から顔を僅かにのぞかせた光が、陽光を束ねたような髪色のシエナとは対照的な、淡く光る夜の道標の色をした髪をぼんやりと輝かせていた。

 二人が(シエナは納得したような、ルメはあっけにとられたような)顔をしているも気にもとめずに、のんびりと三人を見つつーその人は隊長、と呼ばれていたー楽しげな光をたたえたターコイスブルーの瞳を細めた。

「やあ、お二人さん、おはよう、今日はいい天気じゃあないか、絶好の収穫祭日和だね……」

 そういうと、やや苦笑してすぐそばにあったガラス製のミントティーのポットへと手を伸ばす。

いかが?とばかりに差し出された(フルーが手品のようにどこからかもってきた)コップを受け取り、ミントティーを隊長からもらいながら、ルメがフルーへと問いかけた。

「てか、今日は関係者以外、仕込み時間は店じまいのはずじゃなかったの、フルー?いくら毎日朝昼晩食べにきてくれるお得意さんとはいえ、さすがにまずいんじゃ……。」

フルーはあっけらかんと、けれどささやくようにこう切り返した。

「隊長さんには私の分の買い物と、お手伝いの人頼んでいるの、私は今日店長さんが探してくれた人が来るまでつきっきりだから……。それに、ルメは自分の買い物で忙しそうだし、ね?」

ルメはああ、とふに落ちた風な顔になる。さすがである。夜は酒場になるこの店をしきり、朝は仕込みをやり、と忙しい毎日を送ってきた彼女ならではだ。ちゃっかりしているようで、どこかですべてを見透かしている。


ふと、そういう部分には無縁に近い、時計の歯車のようにきっちりとしたルメの同僚である金髪の持ち主は、隊長の横のカウンター席で、黙々と焼きたてパンを口にしていた。その脇で隊長が既にまどろんでいる。ルメにとっては何もいつもと変わらない、穏やかな光景、であった。


ややあって、フルーはようやく(ルメとシエナも手伝った)仕込みを終えて朝食を食べ始めた。ルメは既にいつの間にか食べ終わり、虎視眈々とシエナの皿に残ったパンを狙っている。天窓の光が陰ってきた事に、誰も気がついていなかったようだった。

ふと、シエナが、ひらり、と皿をよけ、代わりに石板の割り符をルメに掴ませた。天窓をちらと見やると落ち着いた、しかし感情を感じさせない声で、こう呟いた。

「ルメ、あたしの分も買い物頼んだよ、先に詰所行ってるからな」

そういうと、目立たないように布袋を握りしめ、ルメに目配せをし、言葉をかける間もなくさっと裏口から出て行った。



ざわざわと波打つ人の目を避けるかの様に裏路地を駆け上がり、詰所のある

街で一番高い、見晴し台へ向かう。

たどり着くと、街の門を色とりどりに飾るモザイクタイルの一枚に触れた。色は、彼女が望んだ「青」ではなく、鈍色。

シエナは街をぐるり、と眺める。ばさ、と何かを包んでいた布が落ちた。

現れたのは、炎をまとったような金色の、翼。

「招かれざる客、か。

悪いけど祭の邪魔はさせないよ」

光の渦が、雲を貫いた。


その少し、前。

「うーん…」

フルーが心配そうに、ルメに話しかけた。

「いきなりどうしたんだろう……。朝御飯がいまいちだったとか?」

ルメは首を振ると、こう応えた。天窓から光が見えなくなっていた事に彼も気がついていたのだ。外のざわざわとした声は僅かに曇りを帯び始めている。

いつの間にか店にはフルーとルメ、二人きりになっていた。

「ふっと突然いなくなるのはあいつのいつもの癖だし、何か詰所に忘れ物をしたのかも。てか、シエナ、何を買ってこいって俺にこんなによこしたんだろ、もしや、昼飯代以外は自由に俺がつかっ……あだっ」

「んーなわけないでしょ」

「冗談だって……!」

ルメが慌てて言葉を返したと重なるように、金魚の形のドアベルが鳴る音がした。





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