第10話 拳と魔法

 殴れた勢いで倒れ込む。


 左の頬が痛い。普通中学生くらいの女の子に殴られたところで痛くも痒くも無いだろ。しかしそれは普通に殴れた場合だ。今俺は異常な殴られ方をした。その上鳩尾の陣は未だに消えていない。


「やはり人を殴る時の感触は好きになれませんね」


 おいおい、まるでこれまでに幾度と無く人を殴ったみたいなセリフだな。そうなるとこの金髪魔法少女、相当な手馴れに違いない。つまり、逃げるが得策。


 そう思い立つや否や、右手にピンバッジを握り締めたまま、一階に降りる階段に向かって走り出す。何せここの出入口は一階のカウンター前にしかないのだ。こういう時には不便でしかない。そもそもこういう状況になる事の方が珍しいか。幸い今走っている場所は本棚と本棚の挟んだ中央の広い通路だ。いける。


「逃がしません!『吸引ジグマ』!!」


 またしても呪文を唱える。すると先程と同様に体が引き寄せられるが、今度は後ろ向きに力が働いている。


 階段は正面にある。しかし体はそれと反対の後ろに行こうとする。


「うおおお!!!」


 全力で走る。後ろに引き寄せる力に対抗する為に、ありったけの力で前進しようとする。しかしそれが無駄な事だとすぐに悟る。


「無駄です!!はっ!」


 陣がより一層光り出す。すると後ろに引く力が一段と強くなり、俺はそのまま物凄い勢いで女の子に引き寄せられる。


佇掌打ちょうしょうだ!!」


 女の子が中腰になり、半身で構え突き出していた掌にそのまま背中から突っ込む。

 背骨に感じたことの無い痛みが走る。


「いっ…!!」


 相手が接近するスピードを利用した技か、なかなか考えられている。


 魔法が解けると俺は前に倒れ込んだ。


「私から逃げようと考えるからですよ。先に言っておきますけど、私に触れられた人で身体が無事だった人は未だかつていませんよ」


 なるほど、そういう事か。俺の予想が正しければこの子の魔法は「磁力」だ。恐らく触れた物に陣を展開し、その陣を自身に引きつけるという何とも単純な魔法だ。


 しかし使い手がまずい。単純に考えてこれは遠距離での攻撃が出来ないものだろう。なんせ相手を引き寄せる魔法なのだから。けれどこの子はその引き寄せる事を上手く利用して打撃技と組み合わせている。はっきり言って最悪だ。何がって、相手が女の子、しかも年下だという事だ。そんな子を殴り返せる訳無いだろ。


 そんな事を言っても今は逃げるしかない。右手に握られていたそれを再びポケットにしまい、震えながら立ち上がる。


「ずいぶんと無抵抗なんですね。まあ、その方がヤリやすいんですけど」


 この子本気で俺を殺す気だ。


 再び走り出す。とにかく全力で。あの子が呪文を詠唱する前に一階に逃げてしまえばこっちのものだ。一階なら誰かがいるはずだ。ここが二階で、しかも誰も読まない様な海外の本を集めたフロアというのが場所としても最悪だ。相手にとっては最高かもしれないが、そんなの俺の知った事ではない。


「はあ…はあ…はあ…!!」


 床を蹴る度に背骨が痛む。嫌な想像が膨らむが今はそんな事を考えている暇はない。


「だから逃げられないって言ってるじゃないですか」


 とにかく走れ。俺の勝手な予想だが、あの手の魔法は効果が及ぶ範囲が決まっているものだ。それがどれくらいのもので、どれを基準に考えるのかは分からないが、あの子から離れれば魔法の範囲外に出れる筈だ。


「魔力の及ぶ範囲から逃れられればどうにかなるとでも思ったんですか?生憎私の範囲はそんな狭くないですから」


(知るか!出られれば逃げられる――)


「だから無駄ですって、『吸引ジグマ』!!」

 

 抗う余地も無かった。俺の体は宙を浮き、走った速さの二倍とも思える速さで女の子に引き寄せられる。


 どう考えてもまずい状況だ。なんせ、さっきとは違って女の子の方を向いた状態で高速で接近している。この状況はまずい。


 女の子はゆっくりと左手を突き出し、右手を後ろに向け、半身を取るとゆっくりと腰を少し落とした。


 このままではまたしてももろに攻撃を食らう。しかし、俺の体が止まることはない。つまり、俺はなす術も無く彼女の左手に突っ込む。


昇天撃しょうてんげき!!!」


 突き出されていた左手は俺の顎を打ち抜いた。正確には、俺が打ち抜かれに行ったのか。


「がはっっ――!」


 ジェットコースターに乗っている最中に鉄パイプにぶつかった、そんな痛みだ。そんな経験無いけど恐らくこんな感じなんだろう。


「ゲホッ…ゲホッ…ガッ!!」


 あまりの衝撃にむせ返り言葉が出ない。


 逃げないと。そう言えば図書館の外にユナさんを待たせているんだった。すぐ戻るって言ってあるから、いつまでも帰ってこない俺にそろそろ怒ってるかな?でも逃げられる気がしないな。まさか本当に死ぬのか?やはりまともに魔法が使えない様な奴が首を突っ込むべきじゃなかったのか?いや、そんなのどうでもいいわ。逃げられないなら逃げなきゃいい。


「こ…、こうなった…ら、俺も…本気出すか…」


「そんなの震えた声で言われても、説得力が無いんですけど」


 俺は右手に見えない杖をイメージする。



 *****



 同時刻。


「瞳が図書館に行くなんて珍しいわね。だから雨が降ってるのか」


「ちょっと、由希ゆきちゃん!ひどくない?!私だって本くらい読むよ!」


 大きなリュックを背負った女子が得意気に言ってみせる。しかし、もう一人の眼鏡の女子はそれを呆れ顔で受け流す。


「本って、あんたがいつも持ってる青緑色の本の事?魔法の本とか言ってたけど、日本語じゃないでしょ?そんなの読めないじゃない」


「読めるもん!由希ちゃんが読めないだけで私は読めるの!それに、これ以外にも読むよ?!」


「どうせ、魔法について書かれた胡散臭い本でしょ?本当に瞳って魔法が好きよね」


「うん!!」


 リュックを背負った女子が楽しそうに笑う。すると突然、表情を一変させ真面目な顔でもう一人に問いかける。


「ねえ由希ちゃん?何か聞こえない?ハープみたいな音」


 そう言われて眼鏡の女子が立ち止まり聞き耳を立てる。しかし直ぐに首を傾げると、


「いや、聞こえないわよ。だいたい雨の音がうるさ過ぎて、そんな音聞こえるわけないでしょ?聞こえるとしたら、吹奏楽部とかじゃない?」


「ならいいんだけど…、小さい音だけど聞こえるんだよね。何か悲しい音…」


 雨が降り続く中、二人の女子が傘をさしながら図書館に向かっていた。

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