全滅編 第4話
恐怖が五木に過去を振り返させていた。
「私、イジメられているんです」
「何かの間違いだろ、気のせいだろ?」
「でも……」
「ここじゃなんだ。移動しよう」
五木はイジメというフレーズを聞いて慌てて生徒相談室に水出善良子を連れていく。誰かに聞かれていい話ではなかった。
水出がトイレで水をかけられたり、教室で弁当を盗まれたりしているらしいことを五木は知っていた。
でも確かめることはしなかった。
イジメがあるなんて教頭に報告したら間違いなく減給だった。五木はそれが嫌だった。妻も今の給料で我慢してもらっている。減給したらきっと愚痴だけでは済まされない。
だから五木は水出に対するイジメを、いや嫌がらせを把握しないように務めていた。
知らなかったから何も対処できなかった、で言い訳が通る。
そう考えていたのに、水出が相談をしてきた。五木は頭を抱えた。
たぶん他の教師も水出の言葉で何か察しただろう。それでも今のところは波風は立てない。変に問題を起こしたら減給になるから、聞かなかったふりをしてくれている。
全員がそこまでの正義感を持ってはいないと五木は分かっていた。
問題は作らなければ、起こらない。
それが五木のみならずこの高校の教師のスタンスだ。熱血教師なんて絵空事だ。
でもきっと水出が何らかの理由で自殺すれば自分が追及される。
だから五木は水出のためではなく、あくまで自分のために何度も確認した。
「本当に気のせいじゃないんだな?」
「友達からハブられたんです」
「友達っていうと三条あたりか?」
「えっとそれは……」
「言わないなら分からない。けどそれってよくある喧嘩だろ。そっちにも原因があるんじゃないのか?」
五木は水出が言いよどんでいるのをいいことに捲し立てた。
「それは……」
「お前だっていちいち誰某がお菓子持ってきてるとかを自分に告げ口したりしてるし、遅刻したことをわざわざ指摘したりしてるんだろ。そういうの正直面倒臭いんだよ。確かにお菓子持ってきていいなんて校則には書いてないけど、誰も授業中に食べたりなんかしてなかったぞ。きちんと弁えて休憩時間に食べてたし部活のことを考えればありなんじゃないか? 遅刻だって自分が耳にしたところによると違うクラスの彼氏に会いに行っていたらしいぞ。そういう青春っぽいでさえミナデは許せない感じなのか?」
「そういうわけじゃ……」
「だったらお前から謝ってみたら? なんの非もないのに一方的にっていうならイジメだけど、喧嘩してて会いたくないとかそういうので顔も見たくないからハブってるんじゃないのか? もちろん、仲間外れは良くないとは思うけどな」
「ハブられているだけじゃなくて、他にもいろいろと……」
「あー、分かった分かった。じゃあ朝のHRで聞いてみるから。それでいいだろ?」
あのとき、真剣味が足りなかったから自分は今糾弾されているのだろうか。
けれどどうすればよかった。どうすればよかったのだ。
問題なんて起こしたくなかった。けれど教師は生徒が起こしたことでさえ監督責任を取らされる。
五木にしてみればクラス担任になんてなりたくなかった。教師になったのは勉強を教えたかったからだけだ。自分の知識を自慢したかっただけだ。けれど生徒に授業は不評でやる気のない教師としてレッテルを貼られた。担任だと保護者もいちいちうるさくて放課後はその電話の対応に追われた。テストの採点もあるし、課題も見なければならない。夏休みなんて苦痛だ。終わったらどうせコピペの読書感想文を人数分読んで評価を書かなくてはならない。部活動も引き受けなければ査定に響く。時間が圧倒的に足りない中で生徒のことなんていちいち見てられない。生徒ひとりひとりももっとよく見て、というのであればテストの採点も読書感想文も、まるで夏の課題を親やそういうものを引き受ける業者が肩代わりするかのように代わってほしいぐらいだった。
それに水出善良子が自殺したとき、イジメなんてなかった、と高校が発表したら世間からの批判を浴びた。SNSでも写真をされされて自宅まで公開されて引っ越しもした。
校長の計らいで他県の高校へ異動することになった。前の妻とも離婚するはめになって、子どもの養育費だって払わなければならない。
地獄のような責め苦を味わって、ようやくほとぼりが冷めたと思ったのに、またそのことを晒すという脅迫状が届いた。
今の高校では、五木にそんなことがあったなんて校長以外は誰も知らない。
校長は事情を知りながらも五木を雇ってくれた恩人であり、五木の胸中にもそんなことをするはずがないと確信があった。
とすればやはり『魔女』の仕業なのだろう。ではその魔女は誰なのか。どうやって五木の事情を知ったのか。
「魔女を探すしかない」
一頻泣いたあと、涙の痕跡を隠すように頬を拭う。先ほどまで錯乱していた目的を見つけたことで冷静さを取り戻していた。
手がかりを探そうと動き出した五木の傍の茂みがガサッと動く。
二階は樹々が生い茂っていた。一階が草原なら二階は森林。
「なんだ?」
びくりと一瞬体が音に反応して萎縮する。それでも五木は動いた何かの正体を確かめようとゆっくりと音のした方向に進んでいく。
歩きながら、またかつての出来事を思い出していた。
「ちょっと聞きたいことがあるのでみんな顔を伏せて」
HRで出席を確認したあと、五木はそう告げた。面倒臭いが確認しないわけにはいかないのだ。
「このクラスでイジメがあるらしいんだけど、それに似たようなことを知っている人、手を挙げて」
こうもしないと誰も手を挙げないだろうと算段してのことだけれど水出はともかく誰も手を挙げなかった。
水出へのイジメが恒常化しているなら、誰かしら手を挙げるものだと思っていた。多感な高校生ならイジメかっこ悪いという変な正義感で手を挙げてもおかしくはない。
それすらないのなら、やっぱり水出が過剰に反応しているだけの話だ。と五木は結論付けた。
「はい、いいよ」
この結果を告げれば、水出だって納得してくれるだろう。
自分の役目はここまでだ。自分にだって仕事がある。喧嘩ごときでいちいち手を煩わせたくない。
この時の五木は本心でそう思っていた。
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