第1話 ④
橋の向こうは活気が溢れていた。今まで通ってきた道は穏やかで静かな印象だったが、こちらは人通りも多くなんとも賑やかだ。
「こっちは人が多いな」
「楽しそうだね! 何かお土産買ってもいい?」
「そんなこと言うなんて珍しいね。欲しいものがあるの?」
「分かんないけど、あったら」
「自分で持っていくならいいよ」
肩をすくめてそう言うとのぞみが目を輝かせて露店に視線を送る。どの店も人が多い。観光客からも、街の住人からも愛されている店舗がたくさんあるのだ。取り扱っている品もそれぞれ異なっているため、いつまで見ても飽きない。
そこでふと、店先に人のいない店を見つけた。周りの喧騒から置いていかれたような静けさだ。そこだけ切り取られた様な不思議な雰囲気に目が離せなくなる。そんな私の様子に気が付いたのか、のぞみが眉をひそめて話しかけてきた。
「麗奈、あそこが気になるの?」
「うん。妙に人が少ないから不思議だと思って」
「ねえ行ってみようよ。面白いものがあるかもしれないよ」
「分かった」
磨りガラスが嵌められた木製の扉を押し開けると、中は薄暗かった。天井まで届くほど高い棚には瓶が多く並んでいて、中身はどれも透き通った液体だ。店の奥からは何やら鈍い音が響いてくる。
「何の店だろう」
「なんか、怖い音がする……」
私の背中に張り付いて、怯えながらのぞみが呟いた。手近に展示してある瓶を一つ手に取ってみれば、理解できない言語で説明らしきものが書かれている。
ポケットから携帯端末を取り出し、翻訳アプリで内容を確認しようとすると店の奥から店主と思しき人物が出てきた。垂れ目が特徴的な初老の男性だ。彼は何か挨拶のような言葉をかけてきたが、生憎それを理解することはできなかった。
「すみません、英語は分かりますか」
私が尋ねると、店主は少し考えてから振り返り、店の奥に向かって声を上げた。しばらくして、誰かが奥から出てくる気配がする。現れたのは髪を短く刈った青年だ。初老の店主と目元がそっくりなところを見ると、きっと息子だろう。店主が何かを言うと、青年が納得したような返事をして私たちに向き合った。
「こんにちは。お客さん英語が話せるんだって?」
想像していたよりもずっと綺麗な英語だ。ホテルの従業員よりも流暢で聞き取りやすい。予想をいい意味で裏切られ、目を瞬かせながら返事をした。
「はい。残念ながらこの国の言葉は良く分からないので」
「そうかそうか。観光客がうちの店に来るなんてめったにないからびっくりしたよ。何の御用で?」
「なんとなく気になって立ち寄ったんです。ここは何の店なんですか?」
人の好さそうな青年を見て気になったのか、私の背後からのぞみがそっと顔を出した。目があった青年は花の咲くような笑顔でのぞみに手を振るが、恥ずかしくなったのか彼女はまた私の背に隠れてしまった。がっかりした様子も無く、青年は話を続ける。
「うちは蒸留酒を作ってるんだ。この街の名物で、マニアの間ではそれなりに有名なんだよ」
それを聞いて、棚に並ぶ瓶が何なのか納得した。ここに並んでいるのはどれも質の良い酒なのだ。のぞみにそう伝えると、目を丸くさせながら周りを見ている。こんなに大量の酒瓶を見たことなど今までなかったのぞみは、興味津々で棚に顔を近付けていた。
私たちがまだ日本にいた時は、既に飲酒の規制が酷くなっていた。健康と健全な社会活動を損なう可能性がある、なんて理由でほとんどの酒類が流通を止められたのは記憶に新しい。国民からの反対の声ももちろんあったが、政府はそんなものに構わずに法律を書き換えてしまったのだ。すべては国民の為である、と耳障りのいい言葉を吐きながら彼らの自由を少しずつ奪っていくやり方に、憤りを覚えたのは一度や二度ではない。のぞみの反応を見て、そんなどうでもいい思いがふと頭をもたげた。
「じゃあ、この瓶は全部お酒が入ってるの? 好きに買って飲んでいいの?」
「この国は日本と違って飲酒は違法じゃないんだ。もちろん、のぞみはまだ子供だから飲んじゃだめだけどね」
「ワタシも大人になったら飲んでいいの?」
「いいよ。まぁ、飲めるようになるまでもう少しかかるかな」
「不思議な言葉を話すんだね、君たち。何処の人?」
「あ、すみません……日本から来ました。あまりお酒には詳しくないので、教えてもらえると嬉しいです」
すっかり放置してしまった青年に謝ると、彼は気にしないでと頬を緩めた。
「あぁ、なるほどね。俺も日本の飲酒規制については知ってるよ。よし、じゃあそこのお嬢さんにも楽しんでもらえるようにしようか」
ちょっと待ってて、と言いながら青年は店の奥に消えた。私とのぞみは互いに顔を見合わせるが、二人とも青年の意図が読めずに首を傾げるばかりだ。気が付けば店主の男性もいつの間にかいなくなっていた。
少しして、青年がイヤホンが繋がった小型の機械を手に奥から姿を現した。
「ごめんごめん、遅くなったね。はい、これ付けて」
そう言いながら私たちにそれぞれ一つずつ機械を手渡す。のぞみはそれを受け取るとイヤホンを耳に装着して機械を作動させた。それを見てから青年がこの国の言語で何かを喋る。すると、のぞみはこぼれんばかりに大きく目を見開いて表情を輝かせた。
「すごい! 麗奈、これ付けるとお兄さんが日本語喋る!」
「へえ…小型の自動翻訳機なのか」
「俺が大学で作った試作品なんだ。テストするチャンスがないからなかなか使えなかったんだけど、良かったら試してほしい」
「分かりました、私たちでよければお手伝いします」
「そうこなくっちゃ!」
手を叩いて喜ぶ青年を見ながら私ものぞみを真似てイヤホンを片耳だけ付けた。若干のタイムラグがあるものの、この翻訳機はほとんどリアルタイムで青年の言葉を日本語に組み替えてくれる。便利な代物だ。のぞみが日本語で青年に話しかけているのを見ると、どうやら内蔵されたマイクを通せば日本語を彼らの言語に換えることもできるようだ。
「こんにちは、お兄さん」
「お、ちゃんと動いてる。こんにちはお嬢さん。名前は?」
「ワタシはのぞみ! この人は麗奈っていうんだよ」
「ノゾミか。可愛い名前だね。俺はリカルドっていうんだ」
「リカルドさん! はじめまして、よろしくね」
日本語が通じる安心感か、のぞみはリカルドと名乗る青年にすっかり懐いていた。リカルドも子供の扱いに慣れているのか、しゃがんで目線を合わせながらニコニコと笑顔を絶やさない。
「それじゃあ二人とも、俺に着いてきて」
「どこに行くの?」
「うちの酒を造ってる場所を見せてやるよ。ただ説明を聞くより、見た方が面白いだろ?」
魅力的な提案だ。のぞみも興味を持ったようで、表情が興味と期待で溢れている。
「見たい! お兄さん、案内して!」
「面白そうだ。私もお願いします」
「うちで作ってるのはちょっと特別な蒸留酒だ。どうか楽しんでいってくれよ!」
リカルドは大仰な仕草でお辞儀をする。彼に案内され、私たちは店の奥に向かった。
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