第1話 ②

「お部屋ですね。それなら一室空いております。何日の滞在になりますか?」

「一週間のつもりなんですが大丈夫ですか?」

「かしこまりました。それではお部屋にご案内いたします」


 仕立てのいい制服に身を包んだスタッフがにこやかに案内を申し出た。そのあとを大人しく着いていくと、のぞみが小さな声で話しかけてきた。聞き取れるように少し歩みを遅くして身を近付ける。


「ホテルの人、英語通じてよかったね」

「観光客が相手の仕事だからね。でも訛りがひどかった」

「そうなの?」

「うん。何言ってるか一瞬わかんないくらい」

「そんなに酷いの?ワタシは英語は全部おんなじに聞こえるけど」

「理解できればなんだっていいよ」


 そんな会話をしていると、先を歩いていたスタッフが興味を持ったのか振り返る。


「もしかして、貴方達は中国人なのですか?」

「いや、日本人ですよ。二人とも日本のトウキョウから来ました」

「そうなんですか。日本からのお客様は珍しいのでなんだか嬉しいです」

「観光客は多いですよね?」

「アジアだと多くは中国からいらしていますよ」


 へえ、と声を漏らすと内容が気になるらしくのぞみが服を引っ張った。


「なに?なんて言ってるの?」

「…? 彼女は英語は話せないんですか?」

「えぇ。日本語しか」

「そうなんですね。コンニチワ、アリガトウ」

「! こんにちは! 日本語喋れるの?」


 私以外の人から聞く日本語は久しぶりだ。のぞみは嬉しそうにスタッフに駆け寄る。


「ニホンゴ、チョットダケ。アッカンベー」

「あはは、あっかんべえなんて変なの!」

「アッカンベー」


 彼は笑いながら舌を出す。どうやら使い方は知っているらしい。私は不思議に思って尋ねた。


「珍しい日本語をご存知なんですね」

「以前来た日本人の家族が挨拶だけ教えてくれたんです。アッカンベーという言葉はその子供がしていた仕草なんですよ」


 こんな風にね、とまた彼は舌を出した。ご丁寧に指で右目の下まぶたを少し引き下げる。のぞみも真似するようにあっかんべえと笑った。


「こちらがお部屋です。ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」

「お兄さん、じゃあね」

「ジャアネ? それはどういう意味ですか?」

「さよなら、またね、みたいな感じです」

「なるほど。お嬢さん、ジャアネ!」


 楽しそうに手を振って扉を閉める。気さくなスタッフだ。

 クリーニングも頼めばやってくれるそうなので、遠慮なく使わせてもらおうと荷物を下ろして中から洗濯物を取り出した。のぞみは早速部屋の探索に向かったらしい。バスルームから嬉しそうな歓声があがった。


「麗奈、お風呂が綺麗! タオルも真っ白!」

「今晩の風呂が楽しみだね。のぞみ、洗濯物貸して」

「はぁい」


 バスルームから出てきたのぞみはベッドの上に放った鞄を開けて、使用した下着や泥のついたタオルを抱えてきた。それを受け取って、自分のもまとめてクリーニング用の布袋に詰め込む。口を紐で縛ると、のぞみが楽しそうに袋をパンチした。


「ここの洗剤はいい匂いだといいね」

「ここらではかなりいいホテルみたいだしきっとそうだよ」


 よっこらせ、と声を上げて袋を持ち上げた。


「のぞみ、これ出すついでにちょっと散歩に行こう」

「行く!」

「よし」


 威勢よく返事をするのぞみに部屋のカードキーのスペアを持たせ、貴重品の入った小さなリュックを預ける。一抱えもある洗濯物の塊を両手でしっかりと捕まえると、のぞみが扉を開けてくれた。


「ありがと」

「あっかんべえ!」


 先程のスタッフの真似をするようにのぞみがはしゃいだ。私が扉をくぐるのを見てから、金属製の把手を離す。オートロックの扉は重々しい音を立てて閉まった。

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