カランコエを探して
逆立ちパスタ
第一話 赤い屋根と漆喰の壁
第1話 ①
「麗奈。街が見える」
私よりも先を歩いていたのぞみが、丘の向こうを指さした。重たい足を動かして彼女の横に立つと、確かにそこには赤い屋根が連なる町があった。白い漆喰の壁と赤い屋根のコントラストが、久しぶりに晴れた青い空に見事に映えていた。
「日が暮れる前には着けそう?」
「そうだね。少し急げば昼には到着するだろうね」
「じゃあ、行こう。おなか減った」
私の服の裾をそっと掴んで、のぞみが私を見上げた。黒い髪が、秋の涼しい風に乗って遊んでいる。私は服の裾にかけられた手を握った。
「あの街はご飯が美味しいといいね」
遠目から見た街も美しかったが、実際に足を踏み入れると格別だった。少し坂は傾斜がきつかったが、石畳が続く街並みと漆喰の壁が連なる景色は穏やかな雰囲気によく合っている。二階建ての住居では、窓辺に飾った花をかいがいしく世話している住民の姿も見て取れた。日本では当たり前に街中に張り巡らされていた電線もなく、視線を上げればそこには赤い屋根と青い空があるだけだ。
大きな荷物を抱えた私とのぞみは不自然に目立っていたが、どうやらこの街は旅行客も多いらしく、住人は特に気にする様子もなかった。
「麗奈。ご飯」
「分かってるよ。ホテルのスタッフにこの国の名物を聞いてみよう」
街に到着する前に携帯食料はわずかに口にしていたが、成長期の彼女には物足りなかったようだ。街の至るところにある露店からは何かが焼けるいい匂いが漂ってくる。どうやら匂いの発生源は軒に吊るされている肉類のようだ。歩く客にどっしりとした存在感と香ばしい匂いを振りまいていた。私は読んでも意味が理解できない異国の文字で説明が書かれている札に、のぞみはその横の肉に釘付けだ。
「麗奈」
「ホテルに着くまで我慢できそうにないのかな」
「今食べたい。お肉がワタシに食べてって言ってる」
「私にはそんな声聞こえないけど」
「麗奈、お願い」
普段滅多に見せないおねだりを、ここぞとばかりに使ってくる。どうやらのぞみの腹の虫はもう我慢できないらしい。ぐう、とまぬけな音が聞こえてきて、のぞみは恥ずかしそうに俯いた。
「いいよ。その代わりに一口ちょうだい」
そう言いながら露店に歩み寄る私を見て、のぞみは嬉しそうについてくる。
「すみません、英語は分かりますか」
私がそう英語で声をかけると、露店でラジオを聞いていた男性は首を傾げる。仕方なしに私は手元の携帯端末で翻訳アプリを起動すると、それに日本語で話しかけた。
「この料理を一つください」
私の言葉を認識した機械が、瞬時に翻訳された文章を画面に表示する。それを指さして男性に見せると、笑顔を見せて男性は料理を盛り付け始めた。
吊るされた肉を、何やら喧しい音を立てる手持ちの電動カッターで削いでいく。野菜をふんだんに盛った紙製の器に、焼き目のついた肉を豪快に盛り付けている。なるほど、これは美味しそうだと見ていると私の腹からも、先程ののぞみと同じような情けない音が鳴った。
「なんだ、麗奈もお腹空いてたんだ」
「こんなに美味しそうなものを見たらお腹も空くさ」
口に手を当ててくすくすと笑うのぞみに苦笑いを返すと、男性が突然声をかけてきた。
何を言っているか分からず、携帯端末の音声認識を入れて男性にもう一度言ってもらうようジェスチャーで伝える。私の意思は問題なく理解できたらしく、今度は私ではなく携帯端末に向かってゆっくりと喋った。画面に表示された文字を見て、今度は私が首を傾げる。
「ソースに追加しますか」
のぞみを見ると、彼女も私につられた様に首を斜めにする。
「なんか、ソース付けますかって聞かれたよ」
「ソース? それは美味しいの?」
「さあ? 分からないからとりあえず付けてもらおうか」
「ん」
私は大きく首を縦に振ると、男性は分かったというように作業台に置いてあるボトルを掴んだ。軽く上下に振って中身を均等に混ぜると、それをこれでもかという程に肉に振りかけた。しっかりと閉まらない蓋を無理やり被せて、輪ゴムをひっかける。
男性はそれをのぞみに差し出した。のぞみが嬉しそうにそれを受け取るのを見て、私は財布からコインを二枚取り出す。札に書かれていた金額を男性の豆が浮いた掌に乗せれば、また何かを言った。確かこれはこの国のありがとう、を意味する言葉だ。私も拙いが真似をするように言うと、男性は笑顔で手を振る。のぞみはそれにつられるように手を振り返した。
露店の近くの小さな公園には、おあつらえ向きのベンチがいくつか設置されていた。のぞみと同じか、それよりも幼い子供たちがボール遊びに興じているのを眺めながら、私たちはそれに腰かけた。
「荷物は預かっておくよ。温かいうちに食べな」
「ありがとう、麗奈。いただきます」
のぞみはプラスチックで出来たフォークで、器に盛られた肉と野菜をいっぺんに刺す。大きく口を開けてそれを一気に頬張ると、しばらくの間咀嚼を続けた。ごくん、と音が鳴りそうなほど口の中の物を勢いよく飲み込むと、幸せそうに頬を押さえる。
「美味しい。すごい美味しい」
「一口」
「はい」
先ほどと同じようにフォークにまとめられた器の中身が私に差し出される。餌を待つひな鳥のように口を開ければ、のぞみがフォークを差し入れた。
噛み締めるとまず感じるのが、肉汁の香ばしさだ。香辛料を塗布して焼いているらしく、スパイシーな香りが少し焦げた部分から刺すように香った。ソースは甘辛い味付けで、口の中からじんわりと暖めてくれる。野菜はみずみずしく、噛むたびに軽やかな歯ごたえを楽しめた。
思いもよらない美味の発見に心を躍らせていると、隣ののぞみはあっという間に器の肉だけを平らげてしまった。野菜が苦手なのは知っているが、ここまであからさまだと逆に笑ってしまう。
「こら、のぞみ。野菜もちゃんと食べないと」
「あ、あとで食べようと思ったの」
慌ててフォークで器の野菜をかき集めて口に放り込む。肉よりも時間をかけて飲み込むと、自分の鞄の横に括りつけていた水筒の中身を一気に飲み干した。
「よく食べたね」
「美味しかった。次はお肉だけ食べたい」
「それは不健康でしょ。ちゃんとバランスよく食べなさい」
言いながら私は立ち上がり荷物を背負いなおした。出発の気配を感じたのぞみも、同じように鞄を持つ。
「そろそろホテルを探そう。街に来てまで野宿なんて私は嫌だよ」
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