第十三章

 アンナはゆるやかな斜面を見下ろす、テラス状になった岩のあたりにたどり着いた。その直後、空を切る音がしてロケット弾が飛来した。

 岩の一部がふきとび、アンナは転げ落ちそうになる。

「アンナ、大丈夫か! 状況知らせ!」

「被害なし。接近は危険だ。現在の岩陰で待機していてほしい。

 カイザーの通常ロケット弾で、追跡機能はついていない」

 アンナは岩をのぼり、向こう側に転がり込んだ。顔をだすと、岩山の麓のほうからなんとかカイザーの登ってくるのが見える。

「真奈。カイザーを目視した。斜面下八百メートル」

「そっちは有利だ。上から岩を投げ落としてやりな。銃弾を使う必要はないよ」

 アンナは一抱えもある岩を見つけ、それを転がし落とした。

 岩はなだらかな斜面を転がり落ちてくる。銀色の巨人はそれを認め、左肩に担いだままのロケット砲で正確に狙った。

 オレンジ色の炎が飛び出した直後、転がる岩がはじけた。無数の破片となって岩がちな斜面を転がる。砂煙と硝煙で視界が閉ざされる。

 それでも石の転がる音をキャッチし、カイザーは大きめの破片を敏捷にさける。 いくつかが銀色の肉体にぶつかったが、ダメージはほぼない。

「アンナ、いいよ。のろまにあてられなくてもロケット砲を消費できる。

 どんどん投げな。礫は古来の武器だ……デカすぎるけど」

 アンナはすこしこぶりな岩を投げ落とした。今度はロケット砲をつかわず、斜面を機敏に転がって岩をさける。

 つづいて三つほどの大小の岩が転がってきた。カイザーは一つをロケット砲で破壊した。あとの二つは避けきれず、肩などにぶつかってしまう。

 銀色のなで肩がすこしへこんだ。

「カイザー。ロケット弾が少なくなった。次のアンナの動きを阻止しろ」

 アンナ周辺の手ごろな岩も少なくなった。直系一メートルほどの岩を見つけたアンナはそれを両腕でかかえ、岩テラスの上から投げ落とそうとした。

 そのとき、オレンジ色の炎をひいてロケット弾が飛来、アンナが頭上に掲げた硬い岩を砕いた。炎が飛び散り、周辺は硝煙と土煙で満たされる。

「アンナ!」

 アンナは衝撃でうしろに倒れ、テラスから落ちそうになる。しかしなんとか両腕でテラスにつかまった。

 そこへ斜面下方から、機銃弾が襲う。アンナのパンツァーヘムトに、数発の完全被甲弾が食い込んだ。

 アンナは這って岩テラスのむこうへと転がり込む。

「アンナ、大丈夫かよ?」

「パンツァーヘムトと左肩の間接部にやや被害。戦闘に支障はない」

「カイザーがのぼってくる。もう岩はない?」

「適当な大きさのものがない」

「低木でもなんでもいいから投げ落として、ヤツの弾丸を消費させてやれ」

 アンナは低木を根っこごと引き抜き、ほうりなげた。木はきれいな放物線を描き、カイザーの頭上を目指す。カイザーは咄嗟にその物体がなにか判断できなかった。またロケット砲弾で迎撃する。

「カイザー、もうロケット弾がなくなる」

「残弾一。機銃弾は八百三十発」

「よし、アンナをおいつめろ。気をつけろ。相手は有利な位置にいる。

 接近戦に持ち込めば君にとっては有利だ。気長にかまえろ」

 クアドリーガも、斜面下のよく見える位置に陣取った。少佐はコックピットをひらき、電子双眼鏡を使った。すこし上には真奈の姿も見える。

「……危ないな、あんなに近くでは。

 日本人はいつまでたっても、カミカゼ精神がぬけないのかな」

 高度が上がると、風も強い。空は青々としている。

「少佐、最後のロケット弾の使用指示を願います」

「直接頭部にでも命中させないと、効果は期待できない。なるほど、相手はロケット弾を撃ちつくすのを待っているな。

 最後の一弾、できるだけ効果的に使おう。アンナの腰に円筒形の燃料電池が一つだけぶら下がっている。あれを狙え」


「アンナ、デカブツはよく見えるかい。斜面下のほうを苦労して上ってきている。 いいね、正面から攻撃しなくてもいい。姿を見せて徴発し奴の銃弾を使わせな。

 岩テラスにのぼってきたり横からでてきたりしたら、数発撃ってもいい。けどあくまで戦略持久、電力と弾丸節約だよ」

 ほどなくカイザーは、テラス状にせり出した岩の二百メートルほど下まで迫ってきた。動きは遅いが太い手足を着実に使い、這い登ってくる。

 アンナはテラスの上に立ち、右手の単身機関銃を構えた。トリガーを短くしぼり、数発を銀色の頭部に集中させる。

 火花がカイザーの頭に散る。カイザーは顔をあげ、起き上がろうとせずそのまま左手のロケット砲を差し出した。

「アンナ、頭守って!」

 アンナは顔をそむけ、左腕で頭を庇いつつ伏せようとした。しかしロケット弾はアンナの上半身ではなく、腰の辺りで炸裂した。衝撃で飛ばされるアンナ。

「アンナ!」

「こちらアンナ。左腰に直撃したが、パンツァーヘムトが防いでくれた。ただし、最後の予備燃料電池が完全に破壊された」

「燃料電池が。奴はそれが狙いだったんだね。ケッ! あの笑い男の知恵だね。

 いよいよ内部電池しかなくなったか」

「カイザーはロケット砲弾を撃ちつくした。計画通りだ」

「でもまだ弾丸はしこたま持ってる。それも消費させられるといいんだけどね」

 カイザーは右手に機銃をかまえ、左手と脚だけで器用に岩をよじ登ろうとする。

「アンナ、よじのぼってくるよ。お見舞いしてやんな」

 アンナはすこしよろけつつ立ち上がり、機銃をもちなおした。カイザーはテラス岩の横をなんとか登り、顔をだした。目の前には、アンナの防護ブーツがあった。

 立ち上がったアンナは足でカイザーの顔を蹴り上げた。さらに機関銃の銃口をカイザーの頭に押し付けるようにして発砲する。

 カイザーは後ろむきに斜面に落ち、そのまま滑り落ちていく。しかし途中で岩につかまって身を支えた。起き上がると、機銃を乱射する。アンナは岩テラスに伏せ、わずかづつ反撃した。

「アンナ、奴のつかまっている岩を撃って」

 アンナはテラスの上に伏せたまま、斜面下二百メートルの岩の「でっぱり」にむかって三十八口径機銃の照準をあわせ、連射した。

 重いカイザーが左手だけでつかまっている岩は、火花を散らしてくずれていく。 カイザーも機銃で応戦する。アンナにとって頭部は弱点だった。岩に伏せ、機銃の銃口だけを出して攻撃を続行する。

 だがカイザーのつかまっていた岩の突出部がついに砕け、銀色の巨体は斜面をすべり落ちていく。山肌の表面が崩れ、土砂と土煙が小さな雪崩となる。

 山を見上げる黒い森の中で様子を観測していた少佐は、あの腹立たしい笑みを浮かべつつ、指示を与えた。

「損害は軽微だな。カイザー。それでいい。まずアンナの銃弾を撃ちつくさせろ」

 クアドリーガは、森の中で身を起こしつつあるカイザーに接近する。突如起き上がったカイザーは、数十メートルに迫ったクアドリーガめがけて、機銃を構えた。

「……カイザー、私はなにか気に障ることを言ったかな」

 驚いた少佐だったが、おびえはしない。クアドリーガを停止させた。その直後、仁王立ちになったカイザー右手の機銃が火を噴いた。

 弾丸はクアドリーガの風防を飛び越え、すぐうしろに迫っていた残骸のようなロボ・セントリーに集中した。

 たちまち火花につつまれ、火を噴出す四本足のセントリー。最後に残った一基も、白や黒の煙をふいて倒れてしまった。

 ファイト少佐の背後で小さな爆発がいくつもおこり、鬱蒼たる森を震撼させた。

「ありがとうカイザー。礼を言うよ」

「わたしに少佐が礼を言う理由はなんでしょう」

「助けてもらったからだが」

「礼は人間、時には他の生物に対して発信するコミュニケーションと理解しています。無生物に対して発する例は登録されていません」

「そうだな。まあいい。素直に受けておくものだ。

 あと残弾はどのぐらいだ」

「百七発」

「多分アンナもそう残っていない。そのあと、どう勝負するかだ」

 少佐はコックピットから出て、火花を散らしているロボ・セントリーの残骸に近づいた。四本の長く丈夫そうな足が、すこし動いていた。


「アンナ、また来やがったよクソ野郎」

 急勾配の岩斜面の中腹、なんとか岩から生えている低木の下に陣取っていた真奈は、五百メートルほどむこうを這うようにしてのぼるカイザーを見つけた。

 カイザーは突如真奈のほうをむき、一般通信で語りかけてきた。流暢な日本語だった。

「あなたは戦闘区域に接近しすぎています。退避を推奨します」

「ご丁寧にありがとよ。でも自分はここにふんばるよ」

「お気をつけて」

 拍子抜けするようなことをいいつつ、カイザーは岩斜面を登っていく。そしてまた岩のテラスに、横手から回り込もうとする。

 アンナは身を乗り出して機銃を発射した。カイザーははいつくばったまま反撃する。銀色の巨体と足元の岩に激しく火花が散る。

 硝煙と土煙と火花でカイザーの姿が見えない。真奈は電子双眼鏡をのぞいて、つぶやいた。

「判らん。あの煙の下で、いったいなにがおこっているのか」

 ほどなくその煙の塊の中から、カイザーの巨体が転がり落ちてきた。機銃も大型弾倉もはずれ、斜面を転がり落ちる。そしてふもとの森の中に身を没すると、木のへしおれる大きな音がして白煙があがった。

「よくやったよアンナ。ただいまの射撃、見事なり!」

「しかし銃弾の消耗がはげしい。 残弾二十五」

「! 奴に銃弾を消費させるつもりが、こっちも使っちまったね。

……それが奴の目的だったかもね。カイザーの残弾を推測して」

「百発以上。ただし機関銃の銃身が損傷していると推測される。交換用の銃身がない場合、発砲はできない」

「格闘戦になったらあんたは不利だ。奴も少なからずダメージを受けている。やってきたら蹴り飛ばしても岩なげてもいいから、追い落として」

「長期戦になると不利だ。積極攻撃にでるのは、弾丸が残っている今しかない」

「長期戦に持ち込めはば、電力消費の大きいカイザーのほうが不利のはずだよ。

 だからヤツは、焦ってるんだきっと」

 キーン、キーンと言う金属を叩く音が森の中からきこえてくる。

「アンナ、なんの音だい」

「おそらくは、ロボ・セントリーの残骸をナイフなどで解体しているものと推測される」

「セントリーの? なんでこんなところまで。さっきの爆発はセントリーかな。

 そっちから見える?」

「森の中だ。カイザーの頭部が時折光る以外は見えない」

 やがて森のなかに動くものが見えだした。初秋の太陽に輝く、銀色の巨体である。森のはずれを出て、古代人の聖地とされるシュピールベルクのふもとにとりついた。

「アンナ、見えるかい」

 カイザーは右手に、二メートルほどの長い金属の「棒」を持って、斜面をゆっくりだが確実に匍匐前進してくる。

 そのさまは、夜間切込みをかける旧日本軍に似ていた。

「いろんな戦闘方法がプログラムされてるね。こりゃ浪子さんのほうが正しかったかな。弾丸はいざと言うと気に、確実に使いなよ。相手は棒切れ一本だ」

「形状から、ロボ・セントリーの脚部を叩きなおして伸ばしたものらしい。武器としてどれほど役に立つかは未知数だ。

 脚部加工に使った機材は不明だが、凶器転用の可能性あり」

「機関銃に対して竹やりか。嫌な戦技までプログラムされているね。

 至近距離で目など頭部を狙って。確実にしとめるんだ」

「了解。電力残量、六十パーセント」

「よし、決戦だよ。敵を圧倒殲滅して迅速に戦捷を獲得しよう!」

 アンナが機銃を構えて立ち上がった岩の下、三百メートルほど。突如「剣」をもった銀色の巨人が、岩がちの斜面で立ち上がった。

「なんのつもりだい」

「攻撃するか」

「待って……」

 空は千切れ雲が流れているぐらいで、晴れ渡っている。

 その青い空の真上で、なにかが光った。真奈は空を見上げた。

「アンナ、上空になにがあるか、判る?」

「静止衛星だろうか。強力な電磁波を感じる」

 仁王立ちになっているカイザーが、突如前に伏せた。機銃の巨大円形弾倉もなく、銀色の平らな背中が天空にむかってさらされている。

 しだいに、その背中が輝いてきた。

「真奈、カイザー周囲の空気の一部が、イオン化している」

「な、なんだって。あのカイザーの光はなに?」

「強い振動数をもつ光子を受光していると推測される」

「なんだい。それ。上になにがあるんだよ」

「静止衛星から、メーザー波が照射されている」

「!」

「菅野から五百瀬君。そっちでなにがおきている」

「室長。カイザーにむかって、衛星軌道からメーザーが照射されているようです」

 菅野はすぐに日本の偵察衛星を呼び出した。たしかに戦場直上に、クライネキーファー社の実験太陽発電プラットフォーム「シュピーゲル」が浮かんでいる。

 そこから強力なメーザーで、電気をカイザーに送っているようだった。

「あの銀色の体は、全体が受光板ってわけね。室長。大会規定では」

「外部からの援護、補給は禁止されている。しかし燃料電池の搬入や送電装置、ケーブルの導入は禁止されていてもメーザー送電までは想定していない。

 第一回大会のときはまだ実験段階だったから」

 やがてカイザーの輝きはとまった。そして立ち上がった「彼」は、エネルギーに満ち溢れているように見えた。

「アンナ、ちょっとヤバいかもよ。距離二百で発砲開始だ」

 もう匍匐前進ではなかった。立ったまま急斜面をゆっくりと確実にのぼってくる。立ったまま機関銃をライフルのように構えたアンナは、三発バーストで発射しだした。

 しかしカイザーは自家製の剣、いや木刀ならぬ特殊鋼刀を両手で目の前に構える。数発が刀にあたって火花を散らした。弾道を見切っているようだ。

 カイザーの肩や腹にも命中するが、傷つけるものの致命的ではない。カイザーは確実に近づいてくる。やがて、アンナの銃弾がつきた。

「アンナ、奴の構えは本格的だよ。日本の剣道かなにかがプログラムされている」

「わたしには剣術のプログラムはない」

 教官である真奈も、新銃剣格闘術と新格闘術は習っていても、剣道は知らない。

「アンナ、支援機関銃の給弾ベルト外して、スコップもとっていい。

 棍棒がわりにふりまわしな。相手がどんな剣術つかうか知らないけど」


 ついにカイザーは、アンナの攻撃拠点たる岩のテラスに到達した。テラスによじのぼろうとすれば、アンナの機銃が振り下ろされる。

 そのとき重そうなカイザーが軽く屈み、いっきに飛び上がった。五メートルは飛んで、岩のテラスに降り立った。アンナの目と鼻の先である。

「な、なんて奴!」

 アンナはとっさに、バットのように機銃を振り、カイザーの右肩に打撃を与えた。すこしよろめいたが、カイザーはびくともしない。

 カイザーは長さ二メートルほどの特殊金属製の刀状の棒を、大上段よりも高々と掲げ、袈裟懸けに切り込んできた。

 そのひと太刀を浴びせられる直前、アンナはうしろへ飛びのいた。しかし岩から転げ落ちてしまう。

「アンナ、逃げるんだ!」

 アンナが起き上がろうとするとカイザーは岩から飛び降り、さらに上から一太刀を浴びせかけた。寸前、アンナは機関銃で受け止めた。火花が散る。

 カイザーは一歩下がり、刀がわりの鋼鉄棒を「八双」にかまえる。

「アンナ、逃げろ!」

 アンナは転がって立ち上がり、逃げ始めた。とは言え急斜面の山肌である。大小の岩が転がり、低木が所々生えていて風も強い。

「あれは示現流だ。薩摩に伝わる一撃必殺の剣法だ。

 絶対に太刀を浴びちゃいけない。ともかく速力を利用して今は逃げるんだよ」

 真奈も斜面の枯れた沢をのぼりだした。

「アンナには剣術なんかプログラムされていない。

 なんでカイザーに薩摩の剣法が……」

 アンナは自学自習能力を持つ特殊な電子脳をもっている。敵の動作から「学ぶ」ことも出来るが、長い観察が必要だった。今はそんな余裕もない。

 示現流は薩摩で発展した、一撃必殺の恐るべき剣法である。その鋭い初太刀を太刀で受けようとしても、たいていは叩き折られてしまう。


「菅野室長、見えてますか」

「ああ、超望遠レンズと静止衛星でモニターしている。まさかカイザーにそんな行動がプログラムされているとは。こっちでもどう対処していいか判らない。

 アンナに銃剣術でもプログラムしておくべきだったな」

 いつも沈着冷静、時に冷たいと言われる菅野が少し焦っていた。

「ナイフ格闘術は教え込んだけど」

 アンナの姿が見えなくなってしまった。とても真奈には追いつけない。クアドリーガも岩山の麓までしかたどりつけない。

 ファイト少佐は衛星映像と、大会運営委員会が設置した隠蔽カメラの映像で、カイザーの様子を確認した。

「相手は足が速い。あわてずにゆっくりとおいつめろ。

 長期戦になればこちらが有利だ」

 カイザーは自家製の刀を右手に掲げ、急斜面を匍匐全身のようにのぼってくる。

 そこへ、上のほうから根っこごと低木がとんできた。直撃は間逃れたものの、カイザーのすぐ上に落下して石をとばし、カイザーに倒れてきた。そんなことではびくともしないが。

 つづいて、十メートルほどの木が飛んできた。カイザーは斜面を横に転がってさけた。これより上、シュピールベルクの「本体」は全くのはげ山なのだ。

 アンナは投げるものがなくなる。ほどなくカイザーは、中腹のやや平坦になった部分にたどり着いた。しかしアンナの姿はない。カイザーの視点は、ファイト少佐のクアドリーガに転送されている。

「アンナはどこへ行った?」

 そのとき、大きな岩の陰からアンナが飛び出した。高く飛んでカイザーの頭めがけて落ちてくる。そのまま丈夫な両足がカイザーののっぺりした頭部に衝撃を与えるはずだった。

 が、カイザーは自家製刀を右上から斜め下に払った。アンナの長い脚は横手から衝撃を受け、バランスを崩してカイザーの横に転がった。

 つづいてカイザーは八双に構え、自家製太刀を振り下ろした。とっさに転がって避けたアンナだが、頭の部分に転がっていた小さな岩が砕かれた。

「アンナ、どうなってる?」

 真奈はなんとか岩場をのぼっている。上の方にカイザーの銀色の背中が見える。

「相手の太刀先が鋭く、接近不可能」

「示現流の初太刀を受けちゃだめだってば!

 ともかく逃げるしかない。なんとか方法を考える」

 とは言っても、野生児真奈にもいい考えが浮かばない。

 アンナは脚力を利用して岩山を上へとのぼっていく。このあたりはもう草木も生えない。一帯の最高峰である火成岩の塊がそびえている。

 近くで見ると濃い褐色のごつごつとした岩肌は、どこか不気味だった。

 アンナの頭に巻いていた、朱色の鉢巻が緩んできた。しかし自分では結びなおせない。

 スマートなプリンのようなシュピールベルク山は、まるで悪魔の拵えた塔にも見える。火成岩の岩頸が侵食されたものだが、表面は柱状節理と言う縦方向の亀裂がいくつも走っている。

 その中、巨大な岩のプリンをめぐるように細い自然の道ができていた。

 アンナでも岩の割れ目をつかみながらのぼっていくしかない。重いカイザーはしばし細道から落ちそうになりつつも着実にのぼって来る。

 歩行速度は鈍いが、意外に機敏である。

「アンナ、下から見えてる。そろそろ頂上だ。どうしたらいい」

「真奈、赤い鉢巻が溶けてしまった」

「そんなものはどうでもいい。頂上の平たいところに出たら、何か武器になるものを探しな。頑丈なロボ・セントリーの脚だって、無敵じゃない。

 あんたの骨格に使っている特殊鋼のほうがきっと硬いよ」

「わたしの足を刀にするのか」

「そんなことできない」

 真奈は今更ながら上へのぼれと指示したことを後悔した。アンナは追い詰められてしまう。

 シュピールベルク山の頂上は、直径百メートルほどの平らな地形である。雨風に浸食され、大小さまざまな岩が転がっている。

 賽の河原もかくやと思われる。紺碧の空から飄々と風が吹き降ろされる。

 しかし草木はない。カイザーもごく細い道ともいえぬところを、着実にのぼってくる。アンナは足元にあった人の頭大の石を、上から投げつけた。

 左手で岩のでっぱりをつかんでいたカイザーは、右手だけで太刀をふるい、その石を砕いてしまう。投石も効果はない。

 アンナは無表情で周囲を見回した。逃げ場はない。なるべくカイザーとは距離をおくべきだった。その時ついに、頭に巻いていた赤い鉢巻が落ちた。

 それは大き目の日本手ぬぐい状の、丈夫な布を折ったものだった。


 カイザーは何度も自然の小道から落ちそうになりつつ、頂上にたどり着いた。

 それは道ですらなかったかもしれない。乾いた水路の外側が、風化して崩れたものであろうか。

 頂上はかなりの広さがあるが、風化崩壊途中の大小さまざまな岩が転がっている。カイザーの両目であるカメラからの視点は、シュピールベルク山ふもとに停車している全自動装甲バイク、クアドリーガのコックピットに立体映像として写る。

 ファイト少佐はいつものやや不愉快な笑みを浮かべつつ、映像に見入っている。

 彼は連邦軍のエリートで優秀な軍人ながら、人を冷笑しがちだった。しかしプライドと忠誠心は人一倍高い。

「カイザー。十時の方向、岩陰にアンナを確認しているな」

「距離六十メートル。攻撃を開始します」

「……おかしいな。なにかを企んでいるかな。相手は子供程度の思考能力はあねからな」

 岩陰にいたアンナが立ち上がった。カイザーは特殊鋼の剣を正眼に構え、すすもうとする。アンナの右手の回りで、赤く細長いなにかが回転している。

 少佐の顔が少し曇る。

「カイザー、アンナの右手をアップ」

 カイザーが命令を実行しようとしたとき、急速で接近する物体をセンサーがとらえた。

「Es ist gefährlich! 危ない!」

 ずっと英語で命令していた少佐は、思わず母国語で叫んだ。

 しかし砲弾並の速さで飛んできた、人の拳よりふた回りほど大きい石を、銀色の巨人カイザーはよけられなかった。

 丈夫な胸部にあたり大きな音がした。火花も飛んで。巨体がよろけてしまった。


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