邪魔になるかとは思いながらも好奇心に負けて、キリエは思い切って聞いてみた。

アユタは厭う様子も見せず、上げた視線をキリエに向ける。


「其の昔、此の地に双の龍在り」

「え?」

「遥か昔の時代、この辺りの土地には二匹の龍が棲んでいた。かな」

「昔話ですか?」

「そう。社の縁起が書いてあるみたいだ」

「社の縁起」

「この社が建てられた理由、起こりの話」


そこまで言って、アユタはキリエの反応を窺う様に言葉を止めた。

キリエが話についてこれているのを確かめて、さて、と話を切り出す。


「キリエ、この社は何を祀ってるんだっけ?」

「フツミカヅチノカミです」

「そいつは何の神?」

「雷です。雄々しく荒ぶる雷神だと聞きました」

「多分そいつが、この縁起に書かれている龍の内の一匹だ。フツミカヅチは、この地に住まう雄の雷龍だ」

「龍とは何ですか?」

「うーん……とにかく大きくて、魚や蛇みたいにびっしり鱗が付いてるんだって。牙とか鉤爪、髭や鬣がある奴も居るらしいって話だ。俺は見た事無いけど、大抵の言い伝えではそうなってる。雷龍ってんだから、きっと雷の眷属なんだろう」


キリエは剣を思い浮かべた。

キリエの中での認識は、フツミカヅチノカミと言えば青銅でできた諸刃の剣だ。

その魂が本来は龍の姿をしているといきなり言われた所で、ぴんとこない。

首を傾げるキリエにアユタは続ける。


「フツミカヅチの他に、この辺りにはもう一匹、龍が棲んでたんだ。名前はヨカタマノミコト。フツミカヅチの対になる、水の雌龍だ。この二匹は夫婦で、フツミカヅチは山の上に、ヨカタマは麓の大きな沼に、それぞれ暮らしていた」

「フツミカヅチノカミは、番いだったのですか?」

「ああ。……その様子じゃ、初めて聞いたみたいだな。聞かされなかったか?」

「はい」

「もしかしたらキリエの婆様も知らなかったのかもな。長い間を掛けて口伝されていく内に色々な情報が抜け落ちてく事なんて珍しくも無いし。書いてあっても知らないって事は多分、文字を読める人も居なかったんだろう。キリエに字を教える人が居なかったのも道理だ。これを書いた人は、当時にも珍しい文化人だったんだろうな」

「つ、続きは。何と書いてあるのですか」

「ああ。ちょっと待ってな……」


身を乗り出して逸るキリエを押し留め、アユタは古びた紙を捲り、そこに書かれた文字を追う。

紙に書かれている文字は所々滲んでいたり掠れていたり、或いは紙自体を虫が食って穴が空いていたりして、損なわれているものが多かった。

アユタはキリエの見ている横で、苦心しながら文字を繋ぎ合わせて、語って聞かせてくれた。


アユタが話して聞かせたのは、大体こういう物語であった。



此の地は名を斐乎之原と言う。

斐乎之原には二匹の龍が棲んでいた。一匹は布斗御雷之神。

雄々しく荒ぶる雷の雄龍。

もう一匹は与耶玉之命。

生命を見守る水の雌龍。

二対の龍は夫婦であった。

雄龍は斐乎之原で最も高い山の頂上を、雌龍は最も大きな沼の底を棲処としていた。

雷龍と水龍の見守る斐乎之原は実りが豊かで、様々な生き物や草花が、山に川に息衝いて、とても平和な土地であった。


その内、豊かな斐乎之原に別の地から人間達が移って来た。

人々は二匹の龍の存在を知らぬまま此の地に住み、集落を作り、田畑を耕し暮らし始めた。

二匹の龍は人間達に干渉しなかった。山に暮らす動物達と同様の眼差しを人間に向け、実りを分け与えすらした。

優しい龍に見守られ、人間達は数を増やし、村は大きくなっていった。

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