釜の底から小さな気泡が沸き上がって来る。

湯を沸かしながら今さっきの自分の行動を思い返し、羞恥心で頭を抱えたくなった。

どうせ自分は世間知らずだ。

この家から出た事も無いので小都会の風習は元より、この辺りの郡、麓の里の風習にだって明るくはない。

知っている筈も無い。

アユタだってそれを知っていて、自分の郷ではこうであったと言うのを種にキリエをからかっただけだろう。

それをいなす事も出来ず馬鹿正直に反応してしまったのが、更に恥ずかしさを誘う。

顔を覆いたくなった。


本当に自分は、何も知らないのだ。

家事や畑の世話の仕方、掃除や裁縫などの雑事は多少知っている。

けれども社に祀られている剣の事は分からない。

字の読み書きも出来なければ、家の外の事も、何も知らない。

それをアユタに気遣われた時は少々腹が立ったが、しかしそれも、どうしようも無い事実だ。

むしろ気遣って貰えるだけありがたい。

何も知らない田舎の小娘に付き合ってくれるアユタの優しさを思うと、恥ずかしい以上に、自分の下らなさとアユタに対する申し訳無さで消えて無くなってしまいたくなる。


それに。

キリエは思う。

外の事を知らないのと同じくらいに、アユタの事だって、沢山話はするけれど、知らない事の方がずっと多い。

先程、無意識に口にしてしまったのが、その事を不満に思っていた本心だろう。


知りたいとは思う。

話してはくれないだろうけれど、それでも、興味はある。

全てを明らかにしたいと思う。

その根底には、未だアユタに対して抱く不信感もあるのかもしれない。

それを思うと、キリエは自然と溜息が出た。


湯が沸いた。

湯沸しを火から下ろして茶を淹れ、アユタと自分の二つの湯呑に湯気が立っている内に盆に載せて、キリエはアユタの元に戻った。

物置の扉は閉まっている。

矢張り吹き込む風が寒いのだろう。キリエは外から中に声を掛けた。


「入りますよ」

「おー」


返事にもなっていない返事を受けて、キリエは扉を開けた。

中ではすっかり目が覚めた様子のアユタが、古い冊子を手にしてキリエに片手を上げる。

読んでいる途中の箇所に、指を挟んで栞代わりにしていた。

握り飯はすっかり平らげられて、皿には綺麗に何も無い。

キリエはアユタの傍らに膝をついて、湯呑を置いた。

アユタは冊子を持っている方とは逆の手でそれを受け取り、吹き冷ましながら口を付ける。


「熱い」

「すみません。大丈夫でしょうか?」

「平気。熱い茶っていいなって思っただけだから」

「そうですか」

「そう。この部屋さ、やっぱ寒いな。この季節じゃどこ行っても変わんないかもしんないけど」


あったまる、と嬉しそうに顔を綻ばせながら、アユタはキリエの持って来た湯呑を握り締める。

アユタの笑う顔を見て、キリエの方でも温かい気持ちで自分も淹れた茶に口を付ける。

熱源が身体の中を流れ落ちて行くのを感じながら、キリエはアユタの手元を覗き込んだ。

冊子としてまとめられている紙に、黒い墨で何やら難しい模様の様な物が、縦に列を作って並んでいる。

これが文字なのだろうが、キリエには何と書いてあるのか分からない。


そっとアユタの顔を盗み見る。

アユタは文字を上から下へ追いながら、時折、目を留めて考え込んでいる。


「……何と書いてあるのですか?」

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