3
日は高く昇っていた。
家事の一切を終えたキリエは裁縫道具を持ってアユタの様子を見に行く所だった。
話し相手になりながら、あちこち擦り切れていたアユタの着物に継ぎをあてようと思っている。
今ではアユタの熱もすっかり下がり、布団の中でも寝ている時間より起きている時間の方が多い様だ。
元気を取り戻して沢山物を食べられる様になってきたからには、怪我の回復もきっと早くなるだろう。
そんな事を考えながらキリエはアユタの寝起きする部屋の戸を開けた。
「お加減は如何ですか、アユタ様」
「あ、キリエか?」
アユタは起きていた。
布団の上で胡坐を掻いて振り向く。
キリエはアユタの手にしている物を見て、頭から血の気が引く音を聞いた。
アユタが持っていたのは彼の数少ない所持品である、柄の付いた小刀だった。
鉄を鍛えられて拵えたそれを自分の頭に当てている。
刃の切っ先が鋭く、光る。
その光が目を刺して、キリエは我に返った。
「な……っ、にを、なさっているんです!」
慌てて駆け寄ってアユタの傍らに膝をつき、アユタの手ごと小刀の柄を握って刃を頭から遠ざけた。
しかし、アユタは何でも無いと言う様な顔で頭に遣っていた刃を下ろし、首を傾げてこちらを見る。
「何でそんなに焦ってんだ」
「何故も何も、だって、今、アユタ様、ご自分の事を」
「もしかしてキリエ、俺が自分で自分の頭切ると思った?」
「……もしかして、違いましたか?」
顔を覗き込んでくるアユタに、キリエは頷いて訊き返した。
そうとしか見えなかったが、アユタは成程と言って首を横に振る。
その笑顔で自分の取り越し苦労を悟った。
そうと分かると力が抜けて、キリエはアユタから手を離してその場にへたり込む。
アユタは決して自分を傷付けるつもりではなかったのだと分かって安心すると、今度は自分の慌て振りが恥かしくなった。
熱くなった顔を下に向けるとアユタは明るく笑った。
「心配してくれたんだな」
「……お見苦しい所をお見せしてしまって、申し訳ありません……」
「謝る様な事じゃないさ。それに慌てたキリエの顔、結構面白かった。いいもん見たよ」
「お忘れ下さい」
「冗談だって。心配してくれて嬉しい」
穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったが、それでもアユタの感謝の言葉に救われた気がした。
まだ熱い顔を上に上げて、それで、と抜き身の小刀を気にしながらアユタに訊ねる。
「アユタ様は何をなさろうとしていたのですか?」
「別に大した事じゃないけどな。寝てて髪の毛が鬱陶(うっとう)しかったから、ちょっと切ろうかと思ってさ」
「散髪ですか」
「うん。手が届かないから前髪と顔の周りだけしか出来ないだろうけど、まあ、やらないよりは少しは気分もすっきりするかなと」
「呼んで下さればお手伝い致しますのに」
「だってキリエ、家の事してたろ。俺の用事で呼び付けんのも悪いじゃん。それに驚かせようと思ったんだよ」
まあその顔は今見せてもらったけど、とアユタはからかう様に顔を覗き込んできた。
両の頬に手を当てて顔を背ける。
勘違いはそっとしておいて欲しい。
アユタはこちらの反応に満足したらしく、顔を離して持っていた刃を鞘に納めた。
鞘は柄と同じ太さで滑らかに磨かれており、傍目には平たい木の棒に見える。
身の回りにある刃物と言えば青銅の剣か包丁しか馴染みが無いので物珍しかった。
キリエの視線に気付いたアユタは、持っていた小刀の柄を差し出した。
「持ってみる?」
「いえ、そんな」
「…………だよな。ま、こんなの好き好んで受け取る奴も居ないか」
アユタは刃を手元に戻した。
その顔には、陰のある淋しそうな笑みが浮かんでいた。
それはキリエの知らない表情で、キリエは少し戸惑った。
アユタが何か得体の知れない物を背負っている様に思われて、自分とアユタとの間に大きな隔たりを感じて、ふとアユタが恐ろしくなる。
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