三章
1
「なあキリエ、この家、書庫とかあるか?」
翌朝、顔を合わせるなりアユタはキリエに訊ねてきた。
二人分の食事を持ってきたキリエは、耳慣れない言葉に盆と櫃を持ったまま首を傾げる。
「しょことは何ですか?」
「ええと、文献とか本とか……あ、いや、あるかはどうでもいい。俺が探す。そういうのがありそうな所はあるか?」
「物置きでしたらありますけれど」
「他に無けりゃ、じゃあ、そこだ。飯食ったら連れてってくれ」
「それは構いませんが……」
キリエは布団の上で胡坐をかくアユタの傍らに腰を下ろした。
自分とアユタの食事をそれぞれ並べながらアユタに目を向ける。
「何をなさるのですか?」
「昨日、キリエと話してる内に、剣について知りたくなったから、調べてみようと思って」
「お力になれず、申し訳ありません」
「ま、キリエの知ってる事がかなり曖昧だからってのもあるけど。俺さ、知りたい事は誰かから教えてもらうより自分の目で見る方が好きなんだ」
言いながらアユタは頭を掻いた。
切ったばかりの髪の毛が、アユタの指に触れてさらさらと乱れる。
アユタは、初めて見た時よりも健康的に見えた。
病も癒え、ちゃんとした食事をとり、きちんと寝ているのもあってか顔色も良くなり、やつれていた面貌も今は弾力を取り戻している。
「何か分かったら教えてやるから、キリエは心配するなって」
「私もお手伝い致します」
「キリエ、文字読める?」
「……」
答えられない。
婆から教わった事が無かったので、キリエは読み書きが出来なかった。
芳しくない反応を見たアユタは、元気付ける様に軽くキリエの頭を叩く。
「俺の郷でも読み書きが出来る奴は少なかったよ。さ、それより飯食おう。もうすっかり冬だ、すぐに冷めちまう」
アユタに促され、キリエは食事に手を合わせた。
読み書きが出来ない事など気にするなとアユタは言ってくれたが、それはアユタが優しいから言えるのだろう。
その優しさは様々な事を知っている余裕から来るものであり、何も知らないキリエを憐れむ気持ちから来るものだと思われた。
確かにキリエは何も知らないが、アユタの気遣いに気付かない程愚かではない。
傷付けない様にと言うアユタの優しさが腹立たしいやら申し訳無いやらで、キリエは胸が痛んだ。
こちらのそんな内心も知らず、アユタは元気に食事をしていた。
今日の献立は、雑穀飯と大根の葉の味噌汁、白菜の漬物だ。
質素な食事だがアユタは不満を言うどころか、あっと言う間に雑穀飯の椀を空にして、キリエに差し出した。
「おかわり、良いか?」
「どうぞ」
アユタから椀を受け取り、櫃を引き寄せて新たによそってやる。
アユタが食べる様になってから、炊く飯の量が増えていた。
椀を戻されたアユタは、嬉しそうにまた食べ始める。
「この野菜って麓の村から持って来てるんだっけ?」
「いえ、庭の隅の畑で作っております」
「じゃあ野菜買った事とかも無いだろ。郷の市とか、見せてやりたいなあ」
「市、ですか?」
「そ。物が売り買いされる所。野菜も米も魚も服も、何でもあるよ。見てるとなかなか面白いんだ」
キリエは箸を止めてアユタを見た。
アユタはどうして郷を出て来たのか。
ふと訊ねてみたい気がした。
市と言う所に何でもあると言うのなら、アユタは何を求めて郷を出て来たのだろうか。
傷だらけになって、病を貰って寝込んでまでも、アユタは何が欲しかったのだろう。
見聞か。
広く見聞きし様々な事を知る為に、郷を出たのか。
そう訊ねればアユタはそうだと言って頷くだろう。
これまでと同じ様に。半分だけは、と言いながら。
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