二章
1
少年が目を覚ましたのは彼が現れて倒れた三日後の事であった。
軽い食事を持って様子を見に部屋に入ると、少年は布団の上で上体を起こし、緩慢な動作で辺りを見回していた。
入ってきたキリエに気付いた少年は首を捻って眉間に皺を寄せる。
「……誰だ? 何処かで会った気がするけど」
「お会いしたのは、あなた様が倒れてしまう直前です」
布団の脇に腰を下ろし、キリエは落ちていた手拭いを桶に漬けた。
少年は額に手を当てて、倒れる、と言葉を小さな声で繰り返し記憶を辿っており、何度目かの呟きの後、合点が行ったのか手を離して声を上げる。
「そうだ。山の中で行き倒れそうになった所で、家があったから誰か居ないかと思って入ったんだ。勝手に家に入って悪かった」
「いえ、そう言う事情でしたら……気にしてはおりません」
頭を下げる少年に首を振り、頭を上げる様に促す。
驚きはしたが実害をこうむってはいない。
対応に窮していると、少年の目がキリエの手元で止まった。
「飯」
「え?」
「それ、もしかして俺に?」
「あ……はい、そうです」
頷きながら、少年の前に食事を乗せた盆を差し出す。
食事と言っても、質素な粥だ。
作ってきたばかりなのでまだ湯気が立っている。
少年は盆を受け取ると、嬉しそうに綻ばせた顔をキリエに向けた。
曇りの無い笑顔に、キリエの方が引けを感じる。
「ここ暫く、ちゃんとしたもん食ってなかったんだ。ありがと」
「いえ……」
キリエは言葉少なに返事をした。
初めて見た時は恐ろしい人物に思えたが、実際に話してみると意外ととっつきやすい印象に安心して胸を撫で下ろす。
実は密かに、起き上がった途端に怪我を負わされたらどうしようかと心配していた。
少年は木の匙で粥を掬ってそのまま口に運んだ。
けれど熱過ぎたらしく小さく悲鳴を上げて匙を吐き出す。
今度はそれに懲りた様子で息を吹き掛けて冷ましながら、少しずつ口に運んで行った。
余程腹が空いていたのだろう、夢中で器の中身を口に押し込んでいく勢いの良さに感心し、キリエは無言でその食事風景を眺めていた。
半分程食べ進んだ所で、少年は手を止めてキリエを見た。
「そう言えば、あれ、何だ?」
「あれ……とは?」
「剣。あっただろ、青銅で両刃の。随分古い物みたいだけど」
ああ、とキリエは合点して頷く。
社の奥に置いてある剣だ。
「龍神が宿っていると、昔、死んでしまったおばあさまから教わりました。詳しくは私も知りません」
「なら魂代か」
「たましろ?」
「魂の宿る憑代の事だ。魂代の剣を祀ってるってことは、ここは神の社か? それであんたが、この社の巫女?」
「巫女……?」
「違うのか? 神に仕える乙女だろ?」
「違います。確かにあれを祀ってはいますが、私は神に仕える者ではありません」
「そっか。名前は?」
「フツミカヅチノカミ様です」
「神じゃなくて、あんたの名前だよ」
キリエが赤面すると、少年が忍び笑いを漏らした。
小さく咳払いをして仕切り直す。
「キリエと申します。私からも宜しいでしょうか」
「俺の名前?」
少年は立てた膝に肘をついて、その手で顎を支えながら答える。
「アユタ」
「アユタ様、ですか」
名前を繰り返すキリエに、アユタは身を乗り出した。
気がかりそうな顔をしてキリエに問う。
「なあキリエ、俺はどのくらい寝てた? 半日? 一日か?」
「三日です」
「そんなにか……」
寝ていては都合の悪い事があったのだろう、アユタの顔が曇った。
キリエはアユタの顔色を窺うが、それに気付いたアユタは覆い隠す様に笑みを浮かべる。
知られたくない事がある様だ。
不審に思いながらもキリエは訊ねる。
「お起こしした方が良かったでしょうか? 熱もおありでしたし、悪い夢を御覧になっている様でしたが」
「いや」
アユタは苦笑しながら気にするな、とでも言う様に手を振って見せた。
「どうせ起こされても、熱が出てたんじゃ動けなかっただろうな」
「ですが、寝ていてはご都合の悪い事があったのでしょう」
「いいんだ別に」
アユタそれ以上は何も言わなかった。
会ったばかりの相手に込み入った事情を打ち明けるつもりも無いのだろう。
言葉の代わりに粥を口にして、アユタは一つ頷く。
「美味い」
「……ありがとうございます」
「怒ってる? 俺が答えなかったから」
「怒ってはおりません」
「なら良かった」
「何ならお答え下さるのですか?」
「答えられそうなのなら何でも」
アユタはそう言って唇の端を舐めた。
アユタの唇は切れて皮が向けていたが、酷くぶつけて腫れ、裂けている所もある。
舌の先がうっかり傷口に触れてアユタは痛そうに舌を引っ込めた。
指先で裂けた所に触れてみて、小さく悲鳴を上げる。
顔を顰めるアユタに、キリエはまず気になっていた事を訊ねてみた。
「アユタ様はどちらからいらっしゃったのでしょう?」
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