第13話 鍛錬 前篇
凍えるように寒い。まるで冷蔵庫にいるようだった。凍傷一歩手前なのか体が動かない。
(駄目だ、動かない。このままじゃ死んじゃう……)
そう思った時、玲人の脳内に聞き覚えのある声が響いた。
《本体への危険接近を感知。撤退、回避行動に移ります》
体から軋む音が聞こえ、固まっていた節々が動き始めた。しかし、瞼が凍っているため、目が開かない。
《周辺状況をインストール。支配権を拡大します。現状理解。回避、撤退行動に移ります。》
あの時と同じように眼が奪われ、瞼がバチリと開いた。
皮膚が裂け、弾けるような痛みが襲う。
目の前には広大な土地が広がっていた。後ろを振り向けば遥か彼方にはポツンと小さな小屋が建っていた。
危機的状況をプラセバが感知し、すぐさま行動するために足に力が込められる。
視覚情報から小屋までの距離を読み取り、走り始める。恐ろしい速さで小屋へと向かった。
しかし、小屋に辿り着く直前で扉が開き、腹に何者かの拳が入る。打撃部位から離れた頭と足は止まらず、くの字に体が曲がった。不快な痛みが体を駆け抜け、そのまま玲人は地面へと突っ伏した。
―――
死にそうなくらい痛い。
眩む視界で何者かの顔を見上げる。見覚えのある顔。ジョーカーだった。
『よおレイジ。調子はどうだ?』
笑うような尋ね方に玲人は不満を込めながら答えた。
『……最悪だよ。なんであんなところに置き去りにしたんだ!』
『ははっ!そうかそうか!実のところ、これから迎えに行く予定だったんだ。まだお前が寝てたら叩き起こしてジュピターに帰らしてたところだ。もしかしたら低体温症で死んでたかもしれないけどな。』
『 死んでたかもだって!?なんで……』
玲人は驚きを隠せなかった。しかしジョーカーはそれがさも当然のことのように話し続ける。
『一カ月で強くなるのに文句、反論は必要ねぇ。黙ってこなしてればいいんだよ。それより大丈夫か?異常な速さでこちら側に来るもんがあるからよ。敵かと思っちまったじゃねえか』
『僕のせい?!』
『そりゃそうだろ。ここら辺は立ち入り禁止にしてるのに小屋に向かってリディール並みの速さで来る物体なんてはたから見たら敵だろ』
正論を言われ玲人が黙る。
『リディールかと思ったらお前で俺はやっちまったと思ったね。人間があんな早く走れるわけねぇ。例のプラセバの効果か?』
玲人が静かに頷く。
『情けねぇな! そんなんでどうやって真銀戦に戦いを挑むってんだ!一発撃たれて即死に決まってる』
『うっ……。僕が弱いのはわかったよ! 強くなるから大丈夫だよ! それに死にそうになったらプラセバが助けてくれる! だって放たれた中世子銃だって躱したんだよ?』
言い終わる前に頬を銃弾がかすめ、血が流れる。
突然の出来事に反応さえできなかった。
『……え?』
何をされたのかわからなかった。しかし撃たれた事実に顔の筋肉がこわばる。
『ほらな。シーナの言ってたことは正しかったぜ』
『な……何が?』
震える声で恐る恐る尋ねた。
『お前の命をプラセバは守ってくれねえよ。それは危険を感じるのに視覚情報と感情情報に頼ってやがる。それらは誤魔化せねえからな。問題は今の中性子銃をくらった理由と俺の打撃をくらった理由が同じってことだ』
『つまり……? 僕の気づかない攻撃は受けるってこと?』
『ああそうだ。中性子銃も打撃もどちらもお前の認知外からの攻撃だった。故に避けられないし躱せない。コウジから聞いた飛翔船襲撃事件。確か敵の中性子銃発射を見て死を覚悟したらしいな。その視覚情報と感情情報を基にプラセバは起動して銃弾を躱せたって訳だ』
ジョーカーが淡々と説明する事実に玲人は絶句した。プラセバがあることで自分は無敵だと信じ込んでいたから。突然の宣告。それは大きく心を揺さぶった。
『じゃあ、僕は戦いで死ぬかもしれないの?』
おどおどした玲人の質問にジョーカーはきっぱり言い放った。
『間違いなく死ぬな。なんせその状態じゃ死ぬか逃げるかの二択しかないからな。お前の目的の復讐を成功させるためにはプラセバを使用不能にしなきゃダメだ。プラセバを使用不能にしたら逃げる選択肢は消え、やるかやられるかの二択になる。復讐のためには相手をやらなくちゃいけない。つまりは対等以上の力を一ヶ月でつけなきゃいけないんだ。こんな話をしてる時間さえ惜しい、今から鍛錬を始めるぞ!』
突然の鍛錬開始宣告に始め、玲人は混乱した。
『えっ? もう?』
聞き返す暇もなくわき腹に蹴りが入り、吹き飛んだ。
2メートル飛ばされたあたりで床にぶつかり、背中を打った。
ひしひしとした痛みが現実として脳に伝わる。
『文句はいらねぇって言っただろ?俺にまずは一発入れろ。そこからだ』
ジョーカーが構える。
隙もなければ油断もしていない完璧な構え。おそらく今日中には触れそうにもなかった。
痛みに震える肩を庇いながらジョーカーに向けて走り出す。無知ゆえの無謀な突進。
玲人の顔を殴るためジョーカーは右こぶしを放つ。それを一重でかわし、逆にカウンターを打ち込もうと空いた右脇腹めがけて玲人は蹴りを放った。しかし、想像とは違って当たる直前に玲人はまた吹き飛ばされた。
先ほどよりも重く、速いジョーカーの蹴りが玲人の足をなぎったのだ。
倒れている玲人を見下ろしながらジョーカーが言い放つ。
『おいおい、何回脳内で敵とのシミュレーションをしたんだ? その成果がこれか? 早く一発決めてみろよ』
そう言われた時、玲人は脳内での"あいつ"との戦いのシミュレーションを思い出した。
眠っていた6年間、絶えず繰り返した体の動き。
それを自分に被せる。
息を整え、構えた。無論構えたのはこれが初めてだ。だからこそジョーカーの構えに似せるほかはなかった。
右足で地面を蹴り出し、ジョーカーに急接近する。ジョーカーの左大振りをかわし、わき腹に拳を入れる。もちろん、ジョーカーはそれを右手で防ぐ。すぐさま玲人は左斜め後ろに回り込む。死角からの下段蹴り。ジャンプで躱され、胸に蹴りを入れられた。息が出来なくなりなりながらも踏ん張ってジョーカーの顔をめがけて蹴りを放った。脚払いでバランスを崩され、蹴りが空を切る。不安定になった体に切り返しの左脚蹴りが叩き込まれ、玲人は再び転がった。
すぐさま顔を上げてジョーカーを眼で追う。しかし倒れた敵を待つほどジョーカーは甘くない。
玲人の視界にはジョーカーの靴底しかみえなかった。
吹っ飛ばされた最中にジョーカーは距離を詰め、顔めがけて蹴りを放っていたのだ。
またもや吹き飛ばされることを覚悟した時、蹴りは鼻先で止まった。
『な? 脳内でのシミュレーションと実戦じゃ全然違うだろ? 分かったなら立ち上がれ、呼吸を整えろ。武道の基本を教えてやる。』
ジョーカーが足を収めた。
まるでお遊びだったかのようにジョーカーは乱れた服を整える。
玲人はよろめきながらも立ち上がった。
身体中が痛かった。
全身から血が滲み、呼吸は荒く、心臓が激しく音を立てる。
死ぬんじゃないか?
もはやこれは模擬戦ではなく、本当の実戦であった。
それゆえに玲人は死を連想した。
彼の感情情報を元に、プラセバが起動した。
《本体への危険接近を感知、撤退、回避行動に移ります》
そこからバックステップで移動し、後ろを振り向き、全速力でジョーカーから距離をとった。
小屋から2キロまで離れたところで脅威が消えたことを確認したプラセバは停止し、体に自由が戻る。
遠くからジョーカーがリディールに乗ってこちらにきた。
『おいおいレイジなんでこれごときでプラセバが起動してんだ?』
『仕方ないでしょ! プラセバは自動で起動するんだから!』
『ちげぇよ、なんで俺との組手ごときで《死ぬかもしれない》感情を抱いたかって聞いてんだよ。そんなんじゃ敵と会った瞬間にプラセバが起動するぞ。俺との組手を危険と思うな。死ぬと思うな。よくある遊びだと信じ込め』
『そんなの無理だよ……だってジョーカーは強すぎるから』
消え去るようなか細い声にジョーカーは頭をかきながら答える。
『それならお前も俺並みに強くなればいい話だろ。そのための鍛錬だ。』
『そんなに強くなれるの?』
『お前が本気ならな。さぁ続きだ。基本を教えてやる。構えろ』
言われた通りに玲人が構える。
『全ての戦いの基本は呼吸法と歩法だ。絶えず酸素を肉体に供給しろ。片時も乱すんじゃない。呼吸の乱れは意識の乱れに、ついには感情の乱れにまでつながる。それは戦場において敗北につながる一因だ。そして歩法。相手が近接の場合、お前の勝率を格段にあげる。遠距離や中距離になると相手との距離を詰める、もしくは移動にしか意味は為さないが覚えてないよりかはマシだろ』
そう言ってジョーカーは玲人に手本を見せた。
『頭で覚えようとするな。頭で覚えると実戦では臨機応変に戦えなくなる。思考から行動まで若干のラグがあるからな。だから体で覚えろ。骨の髄まで叩き込め。いつでもできるようにしろ』
初めて見る歩法。そして呼吸法。それを玲人は一晩中教え込まれた。
寝て起きて鍛錬。合間に飯を食べ、休めるときは全力で休み、全力で寝た。
限界まで研ぎ澄まされた集中の中、それが生命維持に必要と感じ取った玲人の体は教えられたこと着実に吸収していった。
そして最初の1週間は瞬く間に過ぎて行っ
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