第9話 襲撃 後編

 耳に焼きついた無機質な声。そして紅く輝くプラセバ。それらふたつが意味するのは即ちプラセバの起動であり、即座に玲人の体の支配権はプラセバに掌握される。プラセバは瞬時に、放たれた銃弾の起動を予測し、最小限の動きで回避する。しかし起動から被弾までの時間が短く完全に回避することはかなわない。銃弾が顔をかすめた。

 玲人に当たらなかった銃弾は右隣に座るパル人の頭に被弾し、その頭を破砕した。

 風船が割れるような音がしてパル人の頭蓋が飛散する。大量の血飛沫をまともに浴びた女性が悲鳴をあげた。


 続いて機内と機外の空気圧の差によって砕けた窓から機内の空気が勢いよく宇宙へと流出する。急激な酸素濃度の低下を感知し、酸素マスクが落ちてきた。


 《周辺状況をインスト―ル。支配権を拡大します。現状理解。撤退、回避行動に移ります。》


 玲人への危険接近を感知したプラセバは唯一自由であった眼球までもをその支配下にいれ、その眼をぎょろりと動かした。

 視覚情報を元に、現状を理解したプラセバは隣のパル人の亡骸を持ち、砕けた窓へと投げる。


 玲人にこんな力があるはずがない。片手で人を投げ飛ばすなど不可能だ。

 しかし、プラセバの支配下に置いて、筋肉などの諸器官はその効率を限界まで上げられる。

 ゆえに常人離れしたその行為さえもプラセバの介入により可能となる


 窓に叩き込まれた亡骸は空気の流出によって勢いよく軍事飛翔船の覗き窓へとその臓物を撒き散らし、高速で射出された骨がその窓を砕いた。ついで窓を抜けられなかった胴体は窓の枠に詰まり、栓となる。亡骸は再び血飛沫を飛ばせ、空気の流出を無理やり止めた。


 左翼を失ったことにより旅客飛翔船はバランスを失い、軍事飛翔船の下に潜る。合わせて軍事飛翔船の両側から中性子銃が発射された。窓の破壊と大量の血のせいで外部を見る手段を失い、闇雲に撃っているらしく、下に潜っていた旅客飛翔船に当たることはなかった。


 ―――


『プラセバの支配は終わったのか?』


 浩二が玲人に尋ねる。

 しかし玲人は答えない。プラセバが玲人の筋力を限界まで引き出すために絶えず呼吸をしているせいで発声に割く余裕がないのだ。また、体をいまだ支配されているためでもあるが。


 浩二と玲人の眼が合った。玲人の眼の中にはパル人を殺してしまった罪悪感と生きている今が自分の力による結果でない悔しさが見えた。

 浩二はそれが辛かった。

 今すぐ解放させたかった。

 けれどもできなかった。


 なぜならこの飛翔船内には当然危険物は持ち込めず、唯一プラセバを止められる核電気ショックパックとその起動装置が別輸送でパルテノンへと向かっていたからだ。


 プラセバが現状理解のため再び支配権を眼球にまで拡大させる。玲人の眼球はまたもや支配権に降り、ぎょろりと辺りを見渡した。


 玲人の足がコクピットへ向けて走り出す。そのあとを浩二が追った

 しかし傾いている機内を走ることは容易ではなかった。

 コクピットへたどり着く直前、冷静さを取り戻したCAが道を塞ぐ。


『すみませんお客様、ここから先は立ち入り……』


 緊急時にもかかわらずここまで冷静に対応するCAに浩二が驚く。しかしプラセバにとってそれはただ道をふさぐ邪魔なモノにしか見えておらず、CAが言い終わる前に玲人はCAの胸倉を掴み、後ろへ投げ飛ばしていた。背中をしたたかに打ちつけ茫然とするCAに玲人は心で謝りながら、コクピットの扉へと手をかけた。

 途端に扉のモニターに浮かび上がるパスコ―ド欄。


 《パスコ―ドの入力をお願いします》


 飛翔船制御システムがそう答えた。コクピットへ入るには指定のパスコードが必要らしい。

 けれどもパスコードをプラセバが知っているわけがない。


 《パスコ―ド推測。解析不能。制御システムをハッキングします》


 プラセバの輝きが増し、パスコードの入力機から火花が散った。機内の照明が落ち、小さな悲鳴が上がるが、すぐに光が戻る。

 暗転している間に扉は既に開いていた。

 するりと玲人は中に入る。中では機長と副機長が機体を立て直すべく奮闘していた。


 玲人の進入に気づいた副機長が喚く。


『おい! ここは立ち入り禁止だぞ!』


 冷静な判断であった。

 無論、言った相手が玲人出なかったのなら。


 関係ない、と言わんばかりに伸ばされた手を浩二が慌てて止める。


『これでいいか?』


 浩二が支部長時代の身分証を提示した。権力はないが未だ権威はあるらしく、渋々といっ副機長が操縦席を玲人譲る。


 その時、機内にまたもや轟音が轟き、激しく揺れた。軍事飛翔船が目下の旅客飛翔船に気づき、その高度を下げたのだ。

 軍事飛翔船の底部と旅客飛翔船の天井部がぶつかり、軋んだ音が広がった。


 しかし、それにも構わず玲人は操縦桿を握る。

 その目はただただまっすぐに前を睨んでいた。

 それを見て、機長が運命を託すかのように言った。


『この船は左翼の消滅によってバランスが取れなくなっている。加えて直進ができず、右に回ることしかできない。今は等速直線運動の名残で直進を維持できているが、軍事飛翔船との接触でスピ―ドが落ち、少しずつだが進路が右にずれてきている。どうすればいい!』


 機長が叫んだ。


「どうすればいい?」そんなことを聞かれてもそんなこと知らない、それに操縦方法さえもわからない、と玲人は心の中で反論する。しかし、届くわけがない。


 《制御システムのハッキングより、飛翔方法をインスト―ル。構築完了。》


 思いとは裏腹に玲人は思いっきり操縦桿を右に傾けた。水平だった飛翔船がみるみるうちに傾いてゆく。いつの間にか立っていた浩二と副機長が客席に戻り、シ―トベルトの着用を促していた。

 機内の傾きを察した乗客たちは言われるがままに一斉にシ―トベルトを付け始めた。その間も機内の斜度は大きくなり、ついに90度を超えた。人の手を離れた小物が宙を舞い暴れる。


 その時になって玲人は亜光速飛翔開始のボタンを押した。


『馬鹿な! 無謀だ! 墜落するぞ!』


 機長が止めにかかる。しかし、行動を阻害されそうになった玲人は機長の伸ばされた手を弾き、頸椎を素手で殴る。それによって機長が気絶する。うるさいものはいなくなった。

 亜光速飛翔に移ったことで機体の傾くスピ―ドが上がり後方からジェットが噴出した。

 みるみるうちに前進するスピ―ドが上がり、引っ付いていた軍事飛翔船との差を広げる。

 回転により、機体は螺旋を描き始める。そして、旅客飛翔船は真下から前方にかけて軍事飛翔船の目の前へ浮上した。

 それによって後方のジェットが軍事飛翔船のコクピットのフロントガラスに直撃する。噴出された高熱の炎はガラスを中にいた操縦士ら共々融解させた。広がった損傷により軍事飛翔船内から空気が流出する。可燃物を得た炎の大きさは数秒の間5倍にまで膨れ上がった。

 その炎が軍事飛翔船を焼く。翼の接合部が溶け、前方部が崩壊し、遂にエンジン部に点火した。燃料への着火に伴い瞬く間に炎は体積を増やし、軍事飛翔船は爆発した。破片のいくつかが旅客飛翔船に当たる。

 しかし、そのどれもがちょっとした傷を作るだけで大したダメ―ジにはならなかった。


 そうして旅客飛翔船は大破した軍事飛翔船の残骸を残し、螺旋を描きながら亜光速でパルテノンへと向かっていった。

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