第4話

 違う。これも違う。これも違う。

 白紙に一本、線を描いては消しゴムで消し、線の跡の付いた紙をグシャグシャに潰して床に投げ付ける。この紙は絵を描くための画用紙ではなく、どこにでも売っているようなプリント用の薄い紙だ。百枚の白紙の塊を自部屋に持ち込み、部屋に篭って、下校後から就寝時の午前三時までずっと描いては消して、と絵を描いている。といっても私は中学の美術部にも入部していない帰宅部の生徒なのだ。将来の夢はイラストレーターや絵に関する仕事に就職したいと考えているのだけれど、果たして美術の授業くらいしか学んでいない人間にそんなことを成し得られるのだろうか。今の美術は五段階評価の3で至って普通。幸いなことは元々絵が上手かったこと、不幸なことは美術の先生に嫌われていることなのだ。美術の先生は小谷先生という女性で三十路の周りと比べれば比較的若い教師なのだけれど、まだ独身なことも関係しているのか女っけがあり、女生徒に少しだけ厳しい。上手く立ち回った社交的な女生徒には友達のようにフレンドリーに接するものの、私のような女子のことは見ていて苛立つようだ。私が誰よりも上手く絵を描いても、3、良くて4でもそれは中学一年の頃に一度だけあった以来、4を取ったことはない。

 カレンダーに赤いサインペンで丸を付けられている「八月二十四日」。その下に小さく、「幡山先生宅、集合」とボールペンで書かれている。それを見て私は口元を緩めた。

 幡山先生というのは隣町の中学の美術の先生で、四十五歳の優しく才能のある人だ。私がたまたま隣町にスケッチブックを購入しに行った際、文房具屋で同じくスケッチブックを買おうとしていた幡山先生に向かって、

「絵、描かれるんですか?」

 とただの好奇心で聞いたときに幡山先生が美術の先生だということを知り、私の方から積極的に絵を教えてもらおうと話し掛けていく。それからというもの休日の週二日で独身の幡山先生宅にお邪魔し、美術を教えてもらうようになった。相変わらず成績の方は変わらないのだけれど、絵は格段に上手くなっていった。それでも一人で部屋に篭って絵を描くとなかなか上手く描けず、今のように紙の山が積もっていくだけなのだけれど、先生に手取り足取り教えてもらえると自分でも感嘆の息が漏れるくらいに素晴らしい絵が描ける。

 八月二十四日の今日は午前中に自分一人で絵を描いて、午後に幡山先生宅をお邪魔して絵を見てもらう為に今、一生懸命に描いている。仮想世界が題なので自分の世界観をきちんと決定し、確実に書き進めていかなければならない。

 鉛筆を持つ手に力が入る。

 左手できっちりと紙を押さえ、気の向くままに鉛筆を動かした。

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