6(ヒーローショーと決意)

「ヒーローショー」

 というものがある。

 デパートの屋上や地域のイベントなんかで開催している催し物のことだ。アニメや実写のキャラクターの格好をした俳優が舞台でアトラクションを行う。大きなものは劇場なんかを使って、役も本人がこなして、ついでにチケットの値段も高い。が、小さなものは何かのイベントやちょっとした広場で行われ、基本的に無料だ。

 千絵はこのヒーローショーというやつが無類に好きだった。

 テレビのヒーローもの全般が好きらしいのだが、特にこの手の催し物系のショーがお気に入りらしい。理由は分からない。波長みたいなものがあうのだろう。

 休日に近くのデパートでヒーローショーが開催されるという情報を手に入れたぼくと千絵は、そんなわけで件のデパートへと向かっている。今は昼食を終えてバスで移動しているところだった。

 暖房の効いたバスの中は暖かくて、体が少しずつ溶かされていくような気がした。乗客は少ない。ぼくと千絵は二人がけのシートに座っていた。

 誤解のないよう先に言っておくけど、ぼく自身にはヒーローものに対する趣味嗜好といったものはない。

 バトル系のアニメやマンガはそりゃ好きだ。でもヒーローものということになると話は違う。派手なアクションや戦闘シーンにはそれなりに心を動かされるけど、ヒーローという存在そのものには懐疑的にならざるをえない。

 あるいは、本当のヒーローというのはそれとは別の、もっと個人的な存在なんじゃないか、と思うこともある。もちろん、人それぞれだけど。

 千絵にとって、ヒーローというのが一体何なのかはよく分からない。いつか魔王である自分を倒してくれる正義の味方だろうか。ぼくとしてはこいつの関心はそんな形而上的なものではなくて、もっと単純な動機にもとづいているようにしか見えない。要するに、好きなのだ。

 とはいえ、さすがに中学生にもなって一人でヒーローショーを見にいくというのは恥ずかしいらしい。そこで思い出されるのがぼくの存在だった。

「幸文くん、今度○○でヒーローショーがあるんです」

 大抵は、そんなふうに言ってくる。家が隣なので、わざわざ玄関前までやって来て。

 もちろん、そんな頼みはつっぱねて断ることも可能だ。何といってもぼく自身はそんなものに興味なんてないのだから。そんなところに行くくらいなら一人で五目並べでもやっていたほうがましだった。

 でもそんなふうに思っていられるのも、千絵が泣きだしそうな顔をするまでだ。

 結局、ぼくはよく分からないまま千絵といっしょにヒーローショーに出かけることになる。そして現われては消えいくヒーローたちの名前を覚えることさえなく、観劇を終える。

 この日出かけたのも、やっぱり同じような経緯をたどったものだった。ただ、ぼくはこのときだけはいつものように断ろうとはせず、素直に千絵の言うことを聞いた。

 例の審問会からしばらくの時間がたっている。

 表面的には千絵の様子に変化はない。相変わらずむやみに元気で、今だって窓の外を見ながら上機嫌そうに鼻歌を歌っている。いつもの千絵だ。

 ぼくは手すりに頬杖をつきながら、少し前のことを思い出していた。

 うちのクラスには、宇佐美という女の子がいる。千絵より少し背が高いくらいの、地味で目立たない生徒だ。千絵とは仲がいいのか、時々話しているのを見かけることがあった。たぶん、同じような体格のせいだろう。

 千絵と違って見た目どおりに引っこみ思案の宇佐美は、時々そこにいることを忘れられてしまうくらい存在感が薄い。そしてそんな時には必ず、自分が悪いみたいに弱々しい笑顔を浮かべる。たぶん優しすぎる人間に特有の笑顔を。

 だから彼女が生徒会長に対して千絵のことで直訴したと聞いたときには、ぼくは本当に驚いてしまった。

 何でも、話によれば宇佐美は一人で生徒会室に乗りこんで、乾会長に向かって千絵の弁護を行ったらしい。

 普段の彼女からは想像もつかないことだったけれど、何人もの人間がそのことを証言した。そしてその人間たちは一人の例外もなく彼女の行動を称賛した。そりゃそうだろ。拾ったものを何気なく相手に渡すことさえためらうあの宇佐美が、そんな大胆な行動をとるだなんて空前絶後もいいところだ。

 宇佐美の弁護にはたしてぼくが含まれていたかどうかはともかくとして、ぼくは素直にそのことに感謝したし、いくぶん勇気づけられもした。

 ――千絵は、そのことをどう思っているのだろう?

 ぼくは千絵に何も聞かなかったし、千絵がそのことを知っているのかどうかさえ知らない。従って、千絵が宇佐美の行動にどんな感情を抱いたのかは分かりようがなかった。

 こうして千絵の姿を見るぶんには、その様子はいつもと同じに見える。楽しみにしていたヒーローショーを見にいけるので心底はしゃいでいるように。

 でも、千絵はあの日以来魔王のことについてほとんど何も言わなかった。いつものように突拍子もないことを言い出すことも。

 あるいは人は、それを成長と呼ぶのかもしれないけれど……

 バスが目的地で停まって、ぼくらは車から道路に降りた。

 繁華街に面した通りで、デパートまではもう少し歩く必要がある。冬の通りは人影も少なく、各店舗の照明もどことなく活気にかけていた。何だかすべてが寒々しくて、空は今にも雪が降ってきそうな重い鉛色だった。

 石畳の歩道を歩きながら、千絵はふと思い出したみたいに言った。

「今日はありがとうです、つきあってくれて」

「別にいいよ」

 わざとぶっきらぼうに言った。「たいしたことじゃないから」

 でも、千絵はにこにこして言った。

「幸文くんにはいつも感謝してます」

 ぼくは渋い顔をした、と思う。自分でもそれが何故なのかはよく分からなかったけれど。

 それから、千絵は言った。

「幸文くんのことは、魔王補佐にしてあげますよ」

「ぼくの人生設計にそんな予定はない」

 魔王の就職勧誘を、ぼくは即座に断った。


 デパートの屋上は、閑散としていた。

 それはそうだ。

 今にも雪が降りだしそうな天気の上に、吹きさらしの屋上広場には太陽と北風もまっさおの冷たい風が流れていた。カバの形のカートや揺れるパンダの乗り物だって、こんな日に野外にいたくはないだろうと思う。

 設置された舞台の前に並べられたイスは、それでも三分の一ほどの観客で埋められていた。当然だけど、その大部分は親子連れで成りたっている。必然的に、狭い会場をどれだけ見まわしても中学生のペアというのはぼくら二人だけだった。ヒーローショーというのは、基本的に親子連れのためにあるものなのだ。

 さっきも言ったように吹きさらしの屋上は冷蔵庫のように寒かったけど、子供たちを見るかぎりそんなことは気にしていないようだった。ヒーローが現われるのを今か今かと待ち受けている。これがヒーローの力か。

 と思っていたらぼくの隣にも一人、子供でもないのにわくわくして落ち着かない人間がいた。

「どうしよう幸文くん、わたしすごくどきどきしてます」

 勝手にどうとでもしてくれ。

 ぼくは寒さに震えながら、今か今かとショーのはじまるのを待った。開演予定時刻は午後一時半。

 ありがたいことに、ショーは定刻通りに開始された。

 音楽がはじまり、まずは司会のお姉さんが前口上をナレーションする。ぼくは司会のお姉さんをプロだと思った。この寒いのにミニスカートをはいているんだから。

 お決まりのみんなへの呼びかけが終わると、怪人が舞台下に登場した。千絵に連れられて何度もこうした場面を見ているので、ぼくは図らずもそれなりの批評眼を養っている。それによると、この怪人の登場はあまりうまくいっていなかった。子供たちが怖がっていない。寒くてそれどころじゃないのかもしれないけど。

 暗黒怪人ジストニアンがマッチ売りの少女よろしくむなしく会場を温めたところで、ヒーロー戦隊カナデンジャーが舞台袖から現われた。録音テープにあわせて演技する、中の人たち。

 ここからの立ちまわりは、やや忙しい。やられ役の三下魔人たちとヒーローの擬斗シーンだけど、人数の都合上ヒーロー役と敵役を交互に行わなくてならないからだ。カナデンジャーのメンバーのうちここに集まっていたのは三人だけだったけど、それも人数の都合によるものだろう。

 ちなみにカナデンジャーレッドの武器であるバイオリンは、弓を剣のようにして使っていた。特殊な繊維素材で出来ているのだろう。

 三下役との消化試合が終わると、いよいよボスである怪人役との戦闘がはじまる。さすがにみんなプロだけあって、連携のとれた派手で見栄えのする演技だった。子供たちもぐっとひきつけられている。

 ここでお決まりの、やられそうになるヒーロー、お姉さんがみんなの応援を要請、逆転するヒーロー、という一連のやりとりが行われる。いつもの三分の一の声援だったけど、ヒーローのエネルギー事情に問題はないようだった。退散するジストニアン。会場から拍手。ぱちぱち。

 その後、握手会とグッズ販売が行われた。

 ぼくはさすがにその場にいる度胸はかなったので、屋上端のフェンスのところによりかかっていた。子供たちは嬉々として列をなして、ヒーローと握手している。その中には千絵の姿もあった。

 ぼくはぼんやりと、ずいぶん昔のことを思い出していた――

 それはぼくがこの町に引っ越してきて、まだ間のない頃のことだった。とても悲しいことがあって、ぼくは公園で泣いていた。今みたいに寒い時期で、公園には人っ子ひとりいなかった。ろくな上着も着ずに、ぼくはブランコに一人で座っていた。すごく寒かったはずだけど、不思議とそんな記憶はない。

 ブランコに座って、けれどぼくは自分がどうして泣いているのか分からないでいた。それが悲しいという感情に似ていることは分かる。でもドの♯とレの♭みたいに、それは似てはいるけどまるっきり違うものだった。それは凶暴で、暗く、ぼくの心を奈落の底まで引きずりこもうとしていた。それは悲しみという言葉を与えてやるにはあまりに悪辣で、冷酷で、無慈悲だった。ぼくは理由も分からないまま、ただ涙を強制されていた。

 ――どうしたんですか?

 声をかけられたのは、その時だった。見ると、目の前に女の子が一人立っている。ぼくとそんなに歳の違わない子供だ。いつもなら泣いているところを見られるなんて恥ずかしいことだけど、その時のぼくは何も思わなかった。たぶんそれは、本当は涙に似た別のものだったからだろう。

「どこかいたいんですか?」

 女の子の問いかけに、ぼくは首を振るのが精一杯だった。

 その後、ぼくとその子でどんなやりとりが交わされたのかは覚えていない。ただ気づいたときには、その子は笑顔でこう言っていた。

「そんなときは、ほしにおねがいするといいんですよ。ながれぼしにねがいごとをすると、それがかなうんです」

 そんなの嘘だ、とぼくは言ったのだろう。この頃から、ぼくは希望とか夢とかいうものに対して実に懐疑的だった。

「おとうさんとおかあさんがいってたんだから、まちがいありません」

 その子は自己の信念を欠けらも揺るがすことなく言った。よほど両親のことを信奉しているのだろう。

「きょう、いっしょにながれぼしにおいのりしましょう。そうすればきっと、ねがいはかないます」

 気づいたとき、ぼくはその子に向かって手をのばしていた。

 それで結局どうなったかというと、その日の夜にぼくとその子はいっしょに夜空を眺めつづけ、夜明け前のぎりぎりの時間に見えた流れ星にお願いすることに成功した。翌日、ぼくらは二人して仲良く熱を出して寝こんだ。それが、ぼくと奥村千絵の最初の出会いだった。

 フェンスによりかかったまま、ぼくは子供たちの列に並ぶ千絵の姿を確認した。

 ぼくは、あんなに元気のない千絵の姿を見るのは初めてだった。

 最初のセリフにもかかわらず、ショーの間中、千絵は黙ったまま一言も口をきかなかった。いつもなら送る声援も、ヒーローがやられそうになるときの不安な様子もない。ただ黙って、じっと視線を舞台に送るだけ。

 千絵はそこに、何を見ていたんだろう?

 その横顔は透明で、糸がほどけていくみたいに解けて消えてしまいそうに見えた。その横顔に、ぼくは何故だか見覚えがあった。

 デパートの屋上からは、だいたい町の全景を見ることができる。

 小さな町だった。厚い雲の下で、今にも押しつぶされてしまいそうに見える。雪でも降りだせば、その重さにだって耐えられないだろう。手の平に乗せてしまえば、そのままぱたんと閉じてしまえそうな景色だった。

 そんな町に魔王が一人くらいいたところで、どうだっていうんだろう。たいした問題じゃない。何も変わりはしないのだ。魔王も勇者も、この世界を救うことも滅ぼすことも、どうせできはしないのだ。

 嬉しそうにカナデンジャーレッドと握手して戻ってくる千絵を見ながら、ぼくはふと、いったいいつから千絵のことを「奥村」と呼ぶようになったんだろうか、と考えていた。

「感無量です」

 千絵は笑顔でたいそうな言葉を使った。

「満足したか?」

「もちろんです」

 元気よく親指をつきたてる千絵。

「……じゃあ今度は、ぼくたちの番だな」

 よっこらせ、とぼくはフェンスにもたれていた体を起こした。

「何のことですか?」

 ぼくは芝居がかった仕草でおどけて見せた。

「――魔王の逆襲」


 理科室で開いた臨時のクラス会で、ぼくはその計画をみんなに打ち明けた。

「……というわけで、是非ともみんなの協力をお願いしたい」

 室内はしんと静まりかえっていた。

 それはそうだろう。ぼくの言ってることは滅茶苦茶なのだから。

「あー、たぶんみんなの思ってることを代表して訊くけどいいか?」

 藤野が遠慮がちに手を上げた。

「どうぞ」

「それ本気なのか?」

 ぼくは即答した。「もちろん」

「しかし事が事だからな、学校から厳重処分を受けかねないぞ」

 委員長の副島が言う。

「分かってる。だから無理に手伝ってくれとは言わない。参加不参加は自分で決めてほしい」

「一人も参加しなかったら?」

 動物博士の水江が言った。

「その時はぼくだけでもやる」

 もう一度、沈黙。

「やるかどうかはともかくとして、それってうまくいくの?」

 クラスでは一番のおしゃれ女子である伊勢崎が訊く。

「まだ大雑把にしか考えれてないけど、五分五分ってとこじゃないかな」

「微妙だな」

 李がぽつりとつぶやいた。相変わらず適確な日本語だった。

「しかし成功の見込みがないわけじゃない。ぼく自身はたぶんうまくいくと思ってる」

「うまくいって、それでどうなんだ?」

 後ろのほうから発言があった。法律家志望の秀才、笹本。

「そのことにどんな意味がある?」

 ぼくは力強く答えた。

「意味なんてない」

 笹本はその非論理的な答えに反論する気をなくしてしまったらしい。軽く失笑した。

「ないけど、あえていうならこういうことになる。〝これはぼくらの信念を賭けた戦いである〟と」

「また大きく出たな」

 最前列で藤野が呆れた。

「動機はおのおのに任せる。でもこのことは、決して無意味なことじゃないと思う。ぼくらのことを、ぼくらが何をできるのかを、学校に、世界に、見せつけてやることができる。ぼくらには、世界を変える力が備わっている」

 大言壮語、としかいいようがない。

 けどここでは誰も、笑ったり茶化したりはしなかった。

「……いいんじゃないかな」

 歴史家で沈着冷静、秀でた額の萩島女史が言った。

「面白そうだし、やってみるくらいの価値は認める」

「わ、私もやります」

 宇佐美さんが小さな体を震わせた。というか、こんなに前のほうにいて今まで彼女のことに気づいていなかった。

「奥村さんのために、できるだけのことをしたいです」

 彼女の発言には相変わらず、ぼくのことが含まれている気配はなかった。

 その後は続々と参加の名のりがあがっていった。藤野、副島、小堀、葛城、笹本も。結局、一人だけ残して全員が参加の意志を表明してくれた。

「中井戸も手伝ってくれないか?」

 ぼくはその一人に声をかけた。

「聞くまでもなかろう」

 野武士のような、無口な頼れる男はこくりとうなずいた。

「クラスメートを助けるのは当然のことだ」

 これでクラス全員が協力してくれることになった。

「てことで、先生も手伝ってくれますよね?」

 ぼくは向きを変えて、一人教室の隅に座っていた高田先生に呼びかけた。

「何故、俺が?」

 三十五歳の独身教師はもっともな疑問を口にした。

「担任だからですよ」

 高田先生は十二年分の教員生活がつまったような、重いため息をついた。

「民主主義が学校教育の基本だからな、仕方ない。俺もF組の意志に従うことにしよう」

 ただし、と先生は言い添えた。

「このことについては学校には内緒にしておけよ。俺はまだ首にはなりたくはないんだ」

 一連のやりとりが終わったところで、ぼくは千絵のほうを向いた。

「……ということで、いいな千絵?」

 奥村千絵は両手いっぱいに花束を抱えた少女みたいに笑った。

「やっぱり、幸文くんは魔王補佐にしてあげます」

 だからそんな人生設計はないっつーの。

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