5(審問)
ぼくは生徒会室の中央に座っていた。
まわりには長机でもって十人ほどの人間が囲んでいる。その集まった人間が何者なのかは分からなかったけど、前方に座る四人についてだけは分かった。生徒会長、副会長、書記、会計だ。つまりは、生徒会役員の面々だった。机に置かれた卓上プレートにそう書いてある。
その場にいた全員が、真剣なまなざしでぼくのことを注視していた。室温が調節されているにもかかわらず、裸のまま南極点にでも立っているような寒々しさだった。磔刑に処せられたキリストもこんなふうだったのかもしれない。「私は渇く」とでも言ってみようか。水くらいなら出してくれるかもしれない。もちろん、そんな冗談を言うような場合ではなったけれど。
「三年F組、出席番号六、清川幸文君」
ぼくが着席してからしばらくして、前方の机から声があがった。生徒会長の乾一彦だった。
「君はどうしてこの場所に呼ばれたのかを理解しているね?」
重々しい口調だった。眼鏡の奥から鋭い眼光がのぞいている。
乾一彦は髪をさっぱりと短く切った、涼やかな顔立ちの少年だった。まだ少し幼い感じが残るが、将来有能な人間になるのは間違いなさそうである。二年の時から続いている生徒会長の役も立派にこなしている。確か、フェンシング部の主将でもあったはずだ。
「大体の想像はできますけど」
ぼくは机もない、むき出しのイスに座っていた。さすがに落ち着かない。肩をすくめるような余裕もなかった。
「なら、僕のほうからきちんと説明することにしよう」
乾生徒会長はあくまで厳然とした態度で続ける。
「君はさる某日、四時限目の十二時三十五分頃――これは多数の生徒で一致する時間だ――校内放送にて大音量の音楽を無許可のまま流した。結果、各授業は中断を余儀なくされ、多数の生徒、先生方に大変な被害を与えることになった。このことは生徒の一般生活、及び学業を著しく阻害するものとして看過できない事態である。よって我々はここに臨時の生徒会を開いて、この件に関する可及的速やかな解決を図ることとなった」
理路整然、重厚荘重な実に見事な冒頭陳述だった。言い澱みも言い間違いもない。ぼくはよほど拍手しようかと思ったけど、どう考えてもそんな雰囲気ではないのでやめておく。
「ぼくが呼びだされた理由についてはよく分かりました」
しごくまじめが顔で、ぼくはうなずいてみせた。
「それで、どうしようっていうんでしょうか? さまよえるユダヤ人よろしく、罪を償い続けろ、とでも」
「我々には生徒を処罰するような権限は与えられていない。誓詞に向かって血判署名しろというようなことも言わない」
如才なく返されてしまった。
「この集会の目的は、今後二度とこのようなことが起きないように協議することだ。君も含めてみんなには、そのために集まってもらった」
「なるほど」
それにしてはぼくの扱いだけがあんまりだという気はしたけど。
「共通認識が成りたったところで、いくつか質問したいと思う。正直に答えてほしい」
「その前に、いいですか?」
ぼくは訊いた。
「なんだい?」
「これは裁判ですか?」
その質問に、生徒会長は一瞬口を閉ざして困ったような顔をした。
代わりにぼくの問いかけに答えたのは、隣に座った副会長の牧瀬紗矢香のほうだった。
「これは任意での話しあいで、決してそういうことではありません」
副会長は柔和な声と表情でぼくにそう告げる。大和撫子然とした風貌は、目立たないながらも生徒会長の横で確かな存在感があった。柔らかそうな黒髪に、ぴんと糸を張ったような挙措動作。
「答えたくないことや、答えられないことは、無理に話す必要はありません。あくまで話しあいです」
「だったらどうしてぼくだけが被告人みたいな扱いなんですか?」
「あなたと奥村千絵さんの取った行動が問題なのは確かです。私たちとしては、その理由をはっきりさせておきたい、ということになります」
そこで牧瀬副会長は軽く笑った。
「残念だけど、こういう扱いになった原因の一端はあなたたちのほうにもあります。今回の形式については大目に見てもらう、ということをお願いするしかありません」
「……分かりました」
もちろん、そんなことは最初から分かっていた。正論では歯が立たない。
「――ではあらためて、質問に戻りたいと思う」
一度咳払いしてから、生徒会長が言った。
「まず、今回の件にいたる動機を聞きたい。何故、君は授業中に音楽を流し、それにはどんな意味があったのか?」
――意味?
ぼくは考えこんでしまった。
「どうしたんだい。答えられないのかな?」
「…………」
たぶん、その質問に答えることはできる。
できるけど、誰も理解することなんてできないだろう。そのことは、ぼくには分かっている。そして理解されないなら、その質問に答えるべきじゃなかった。
何故なら――
そうなったら、その大切な答えは世界の亀裂に吸いこまれてしまうだろうから。
「……意味は特にありません。学校中のぎすぎすした雰囲気に耐えられなかっただけです」
「もうすぐ受験を控えた三年生を含めて、全校生徒の授業を妨害した、それが理由?」
「はい」
ぼくはやや無表情にうなずいた。
結局のところ、この人には分かりはしないだろう。別に、悪い人じゃない。一方的にぼくを断罪するわけでも、苛立ちまぎれの理不尽な追及を行うわけでもない。でも結局のところ、この人には分からないのだ。世界に魔王が必要な理由なんて――
「動機については、一応それでよしとしよう」
乾生徒会長は前言どおりに無理な弾劾は行わないようだった。
「しかし君たちは以前から〝魔王〟と称して様々な活動に従事しているね」
「ええ」
「今日のことも、その一環のようなものなのかな?」
「まあそうですね」
「とすると、今後も同じようなことを起こす可能性はあるんだろうか?」
ぼくは少し考えるふりをした。
「今回、ぼくたちが音楽を流したのは授業の終了間際で、音楽自体は先生にとめられる前にはもう終わっていました。一応自己弁護しておきますけど、できるだけ被害の少ないように配慮したつもりです。ぼくたちの目的は必ずしも授業の妨害ではありませんでしたから」
「しかしそれは君たちの行為が正当化されるような理由にはならない」
乾会長はやんわりと話の方向を元に戻した。
「それに問題が一つ。君たちはどうやって放送室の鍵を開けたのかな?」
なかなか痛いところをついてきた。先生方の時には、そのことはうやむやのうちに終わったけれど、さすがに気づいていたらしい。
もちろんぼくは、「マスターキーを持っているからです」なんて答えるわけにはいかなかった。
「方法については秘密です」
「そこの放送委員長に確認したところ、鍵は間違いなくかかっていたはずだ、ということだ」
ぼくが右手側の机を見ると、端に座っていた男子生徒が軽く頭を下げた。放送委員長は放送部部長が兼任するのが通例だから、その人は千葉から何か聞いているのかもしれない。
「事件当時、放送室の鍵は職員室で保管されていた。これは鍵を取りにいった荒谷先生が証言している。ということは、君たちは正規の鍵を使わずに放送室のドアを開けたことになる」
「黙秘します」
「もしも今度、同じような事態が生じた場合、君はまっさきに疑われることになる」
軽い脅しだった。
「断言はできませんけど、そういうことが起こることは二度とないと思います。少なくともぼくには、もう一度同じことを行う意志はありません」
「ふむ」
生徒会長は机に肘を置いて指を組んだ。ねめつける、というにはあまりに静かなその視線は、こちらの心底を見すかすようだった。嘘はつけそうにないな、とぼくは思った。
「疑問は残るけど、ここは本人の言を信じることにしよう。鍵のことはよしとする。ではあらためて聞くけど、今後同じようなことはしないと確約できるだろうか?」
鍵の一件は、ぼくにこのことを了承させるための伏線だったらしい。念のいった上に周到なやりかただった。
けれど――
「それはできません」
「……できないというのは?」
「ぼくには約束できない、ということです」
というか、それはぼくの決めることではなかった。
「分からないな」
と、生徒会長は小さく首を振った。
「君は自分の罪を認めている。自分たちのしたことへの十分な認識もある。なのに、ここに至って約束をすることはできない、と?」
「そういうことになります」
乾会長は困ったように大きく息をついた。
「しかしそれでは筋が通らない。生徒会としてもそんな答えを認めるわけにはいかない」
「今日のようなことをしないことは約束できます。でも同じようなことをしないとは確言できないですね」
「それは通らないだろう。ここには関係者のほか、何人かの傍聴人にも来てもらっている。もしも話しあいがまとまらないようなら、生徒総会にかけるようなことだってしなくちゃならないかもしれない」
「乾会長」
意外だったけど、助け舟は隣の牧瀬副会長から出された。
「私の印象だと、清川君の言うことは信頼してもいいと思います。その上で、彼がどうしても約束できないというなら、それにはそれなりの理由があるんでしょう。これは問責決議のようなものではありません。今日のところはここまででいいんじゃないでしょうか?」
乾会長はしばらく黙っていたが、諦めたように組んでいた指をほどいた。
「……多少不本意なところは残ったが、副会長のいうこともあるので今日はここまでにしたいと思う。ただ、今後の事態によっては生徒会から学校側に処分要求を提案することもありうる。清川君はそのことを忘れずに」
「分かりました」
「では、退出してよろしい」
ぼくはイスから立ちあがって、後ろのドアから出て行った。他には誰も動こうとしない。
生徒会室の外に出ると、脇の下に嫌な汗をかいているのが分かった。何度か深呼吸して、平衡感覚を取りもどそうとする。まわりのものに薄いノイズがかかっているようで、いつもと同じように見えるまでにはずいぶん時間がかかった。
ぼくは教室で、千絵が戻ってくるのを待った。
今日の生徒会からの召喚は、当然だけど千絵にもかけられている。わざわざ二人別々に行うところに念のいりようがあった。囚人のジレンマのようなものを感じる。
教室には誰もいなくて、外は日が暮れかけていた。冬の日没は早い。もうすぐ夕陽が射して、暗くなるだろう。教室は電気をつけていないので薄暗かった。とても静かだ。寒いのでポケットに手を入れながら、ぼくは自分の席に座っていた。
三十分から、一時間というところだろうか。
がらがらと音がして、教室の扉が開いた。見ると、思ったとおりそこには千絵がいた。逆光の薄暗さの中に、千絵の体は半分くらい沈んでいる。
「終わったのか?」
「うん」
訊くと、短く答える。
「どうだった?」
「怒られました」
軽く笑った。
「ぼくもいろいろ言われたよ。まあ当然といえば当然だけど」
「そうですね」
荷物をとるために自分の席に向かう千絵は、いつもと変わらないような気がした。
「何を言われた?」
「もうこんなことはやらないほうがいいって」
「そうか」
短い沈黙。
「どうだ、いっしょに帰るか?」
千絵は首を振った。
「こんなことのあったあとだし、今日は一人で帰ります。いっしょにいると、いろいろ疑われちゃうかもしれませんから」
「そうか」
ぼくは曖昧な感じにうなずいた。
やがて千絵はコートを着て荷物を手にとると、「さよならです」と言って手を振った。
ぼくも、「またな」と言いつつ手を振った。千絵は少しだけ笑った。
帰り際に見えた千絵の後姿は、勇者に敗れた時の魔王よりずっと寂しそうだった。
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