4 【ヴィジョン・エラー】

 REC 04


 僕は今、夢を見ている。

 夢特有の浮遊感と、現実味のない風景。それが、自分の身体を纏う。 

 間違いなく、これは夢だ。 

 ただ、不思議なことに、見ている光景は見慣れない世界のものだった。アーカイブのように分割された映像を、誰かに見せられている感覚に言い知れぬ不安を抱く。しかし、同時に、夢なんてそんなものか、とどこか単純に思う僕もいる。

 流れていく光景が、あるとき停止し、再生を始めた。

「ああー面倒くせえ。またミスっちまった」

 声を出したのは、ぼさぼさの長い髪をした男。もう数日は眠っていないのだろう。目の下に黒ずんだくまが見える。

 声を掛けられた女性は、長い髪を後ろで結び、涼やかな視線を男に送る。

「イライラしすぎ。そんなんじゃ、長生きできないよ?」

 くすくすと笑う女性は、膨大な資料を手に携え、男を伺う。

「平坦に長生きしても、碌な事無いだろうよ。特に、こんなご時世じゃ」

 吐き捨てるように言う男に、女性は呆れたと言わんばかりにため息を漏らす。

「碌な事ない世の中を変化させるための私たち、じゃなかったっけ?」

「まあ、そうだけど……犠牲になるものが多すぎる」

 男の語気は少し弱まり、その眼は頼りなく移ろいでいる。

「……どこで間違えたんだろうな、俺たちは」

 男の言葉は、きっと女性に向けられたものでない。彼の目は、白く清潔な部屋の外へ向けられている。

「君は本当に、厭世観の塊だ」

「そう言いたくもなるだろ」

「まあね。でも、間違えたんなら、正せば良いだけ。私たちはこんな世界でもまだ、生きてる。混沌とした空気の中で、まだ息をしてる」

「辛うじて、な」

 言うと、男は閉じきられた簡素な部屋のブラインドを開け、窓の外に目をやった。

 高くそびえるビル群、敷き詰められたように混在する住宅地、慌ただしく歩く人の群れ。そのような、ありふれた光景が、彼の目を通して僕に伝わる。そうだ、僕は夢の中で彼の意識を生きている。だが、その視点は彼のものではなく、僕自身が俯瞰の視点に居る感は否めない。他人の世界を〝外側〟から覗いているようで、少し後ろめたさを感じる。

「成功すると思う?」

 背を向ける男に対して、女性が不安げに呟く。男は振り返り、呆れたように告げる。

「あのなあ、開発者様がそんなこと言っててどうすんだよ。優雅で、雅量に富んだ研究者、って言われてるお前が……」

「もしかして、新聞記事見たの?」

 怪訝そうに女性は、口を挟む。

「……見たけど」

 申し訳なさそうに言う彼を見て、女性は、恥ずかしそうに俯いた。

「ああいう煽り方はやめてって言ったのに……私はただ、自分のために研究を続けてるだけだし」

「でも、その研究が世界を救うかもしれない。俺は、いい煽り文句だと思うけど」

「やめてよ。そもそもこの研究は、お父さんが基礎構築をしたものだし……それに、そんな良いものじゃないよ。……この研究はもっと、卑しいものだと思う」

 女性がそう言った直後、大きな振動が部屋を揺らす。二人は、手近な机を支えにしながら、ほぼ同時に口を開いた。

「またか……」

「また、だね」

 窓の外は、赤く爛れたような炎が、轟々と燃えている。まるで、あの日の惨劇を思い起こさせるような光景に、胸が詰まる。

「早く、このシステムを完成させないと……」

 女性の呟きは、誰に向けられた言葉でもないと、何故だか理解出来てしまう。

 女性がふらふらと歩みを進める。その先には、仰々しい扉。重厚な造りのそれが、彼女の操作によって開かれる。彼女が見据える先に、夥しい数の冬眠用シェルターが見えた。

「ごめんね。早く、帰ってきたいよね」

 こんなどうしようもない世界でも、と女性は頼りなく息を漏らす。

 そして、彼女の呟きは、こう続いて、途切れた。

 ――私の所為だから。私が助けないと……。

 寂しい囁きは、僕の耳の奥にこびり付き、消えてくれなかった。




「二階堂さーん。大丈夫ですかー?」

 間延びした声に呼ばれ、目を開けると、ユカリが僕の顔を覗き込んでいた。

 辺りは照明の点滅が激しく、吹き付ける風が轟々と音を鳴らす。

 あ、そうか、と思い返す。ここは、エリア3内。収監施設を間近に望む、廃屋の中だ。収監施設とは目と鼻の先、大声を出せば、セキュリティシステムに音声感知され、僕たちはお縄となってしまう。この緊迫した環境で、どうやら僕はまた、眠っていたらしい。

「よく寝てられるな、お前」

 嫌みったらしく大志が言うと、それを制するように、雅が口を開いた。

「受信不全者特有の現象だよね、それ」

 僕に訊ねる彼女の表情は、少し強張っている。身体を起こし、答える。

「うん。昔から、緊張が高まると睡魔に襲われるんだ。だから、昔からなるべく深刻に考えないように心がけてて……」

 言うと、ユカリが、「似てますね……」と呟いた。

「似てる、って何が?」

「いえ、お嬢にかかるリミット機能と、受信不全者の意識の欠落の因果関係は、以前から少し気になっていたんです」

「そういえば、そうだね……でも、僕たちの場合は、明確な原因があるわけじゃないけど」

 数原との戦いの際、恐らく雅はリミット機能によって能力を限定的に制限された。機能制限は、RECシステムに繋がれたウィザード特有のもので、エリア内の人々に課せられている機能制限とは異なる、強制的なものなのだろう。そもそも、一般の人々にそんな措置をとれば、流石に反対の声が挙がり、国は機能しなくなる。

 それにしても、ウィザード特有の制限を受けないためのファンクションコントロールアプリだったはずだ。エリア3侵入時に、ネットワークの枷を外すため、使用するはずのアプリを、ユカリは停止した。あの危機的状況で、それでも雅の身体機能停止を受け入れた。「お嬢が戻って来られなくなる」という発言は、リミットにその先があるということを示唆していたのではないか。ファンクションコントロールの効能は、RECシステムを遮断する以外にもあるのだろうか。僕は、ユカリに訊ねる。

「ファンクションコントロールアプリは、雅たちを自由に行動させるものじゃないの?」

「正確には違います。憶測でしかないのですが、元来これは、一般用に制作されたもののように感じますし、私たちは現状、RECシステムを遮断する機能以外使用していませんから、その他の機能については、作った本人に訊くまで判然としません」

 ユカリは大袈裟にため息を吐く。僕は、更に追求する。

「その他の機能の予測は?」

「そうですね……数原との戦いで、ファンクションコントロールアプリは誤作動を起こしていました。リミットが訪れたお嬢に対して、何らかの促進電波、恐らくは、リミット制限の先、完全な能力の開放を促す機能を発現しようとしていました。故に、あの時、停止せざるを得なかったわけです」

「独立可動するはずのファンクションコントロールが、外部からの干渉を受けたってこと?」

「その可能性は否めません。……正直、謎だらけです」

 自信に満ちていたユカリの表情が、少し陰る。僕は重ねて、疑問に思っていたことを口にする。

「そもそも、リミットが外れるっていうのは、どういうことなのかな? 強い力を封じて、それを開放するって感じかな?」

 問うと、ユカリを始めとした皆が総じて顔色を曇らせる。ややあって、雅が僕を見据えて言う。

「リミットが外れた私たちは、人じゃなくなる。この世界から、〝外れた人間〟になってしまうんだよ。この世界の理から逸した、化け物に近くなる」

 重々しく語られた言葉は、静かな空間に漂った。「まだ、ここを離れるわけにはいかない」と雅は意味深に独りごちる。

 発言するのが憚られるような空気の中、ユカリが言う。

「高志の話はしましたよね?」

 ユカリが僕に訊ねると同時、大志が口を挟む。

「お前、言ったのか?」

「言いましたよ。二階堂さんは、知る権利がありますから」

「……事情も知らねえ奴に」

「お嬢が選択した方を、あなたは否定するつもりですか?」

 不服そうな大志に対して、ユカリの鋭い眼光が向けられる。

「そういうわけじゃねえよ……でも、あの状態は、口で説明して分かるもんじゃねえし……」

 口調を澱ませる大志に、雅が語りかける。

「そうだね。私たちに能力的制限があるのはそもそも、高志の件に端を発するわけだし、アラタに伝えないわけにはいかないでしょ?」

「……はい」

 叱られた子どものように、大志は小さく呟いた。

「アラタ」

 雅は改めて、僕に向き直る。

「私たちは、RECシステム……セフィロトと繋がれた象徴みたいな存在だって知ってるよね?」

 僕は頷く。そう教えられている。ウィザードは、セフィロトというこの国の英知の結晶に選ばれた者だと聞かされてきた。

「でも、実の所、私たちは常時セフィロトと交信しているわけじゃない」

「え? でも、それじゃ、管制塔外に出られないっていうのは……」

「それは、一般の人達と同じで、官制計でモニタリングされているだけだよ。まあ、監視網の数が尋常じゃないから、どう足掻いても脱走は出来ないけどね」

 私みたいな方法をとらない限り、と雅は微笑む。そして、淡々とした口調で、こう言い切る。

「私たちに自由はないんだよ」

 各エリアに住まう人々は、有事の際以外には、エリア間を行き来することが出来ない。常時管制塔と交信する官制計が、各エリアの人口を一定に保つための措置だ。それと同じく要領で、ウィザードは管制塔に縛られているということか。エリアの中で自由に生活出来る人々とは違い、彼女達の行動範囲は、管制塔の中に限られている。幼い頃から、ずっと。

「そんなの、まるで――」

 人を人とも思わない。制限と言う名の支配ではないか、と口にしかけたところで、雅は僕の心根を見透かしたように言う。

「人ではないみたいだよね。まるで、賢人会そのものが、従者に指示を出す神様みたいな気もしてくる。支配者気取りの、愚かな神様」

 自嘲気味に放たれた言葉は、冗談のようでいて、そうは聞こえない響きを含んでいた。

 思えば数原の言動から、ウィザードへ対する信仰のようなものを感じていた。三園さんへの絶対的な信頼。それは、偶像への危うい尊位とも感じる。そして少なくともこの国に暮らす大半の人々が、その感情を共有している。

 安寧、共存、平安。絶対多数への最大幸福。その多数に、目の前の彼女は含まれないのだろう。同じく、僕や、ここにいる皆も。

 自分と同年代の女の子が受けてきた支配は、僕の想像を凌駕する、おぞましいものだった。

 神様。そんな大仰な例えも、笑い話では済まされないのかもしれない。

 雅は、ふう、と息を吐くと、言い改める。

「まあ、大袈裟な話は置いといて、つまりリミットが外れるってことは、私たちをセフィロトが制御出来なくなる状態、って感じなんだよ。だからそうならないための、RECシステム。制限付きの行動は、私たちを縛るためのものでもある」

 それほどまでに限界値を超えたウィザードは危険、ということなのだろう。いや、先人学級で他者の脳機能に異常をもたらした七海高志の能力を鑑みれば、周囲に与える危険は多大なものになる。

「じゃあ、ファンクションコントロールって、かなり危ないものなの?」

 枷の外された人知を超える者を、野に放つわけだ。その行動が狂気に傾けば、混乱は避けられないだろう。

「隠された機能があると睨んでいます。いえ、そうでなければ、あの時の誤作動はあり得ません。それを確かめるために、博士のもとを訪ねないといけないんです」

 言うと、ユカリは厳重に監視されている収監施設に目をやる。

 ユカリの話では、通常の囚人とは別の収監施設、つまり僕たちの目前にある施設に、美澄博士が収監されている可能性が高いらしい。セキュリティネットワークで無人管理されている収監施設と違い、目の前の収監施設では、多くの屈強な男達が入れ替わり立ち替わり目を光らせている。

「あんな警備の中、どうやって博士に会うんだ?」

 収監施設を無言で見つめていた大志が皆に訊ねる。

「大志とユカリにはここでファンクションコントロールを使ってもらう。擬似的にこのエリアのコントロール権限をこの場所に移す」

 雅の言葉に、二人は納得したように頷く。

「混乱に乗じてお嬢と二階堂さんは博士の下へ。なるほど、多少強引な手段ではありますが、それしかないでしょう。ファンクションコントロールの視認光は目を惹きますからね」

 起動光の目映さは、僕も目の当たりにしたので想像に難くない。遠目からでも視認できる起動光をこの場所で顕現させれば、確かに誘導にはなるだろう。だが、

「い、いや、そんなことしたら、二人が……」

 矢面に立たされてしまう、と言いかけた僕の言葉に、ユカリと大志は、声を揃えて、「何か問題が?」と言わんばかりの顔で振り返る。

 況んや、口にするのも憚られる。既にそういうものだと知っていたはずではないか。

 退路はない。彼女たちは、その気概の下で、自らの街を捨てたのだから。

 押し黙る僕を余所に、雅が告げる。

「大志はユカリを守りながら、可能なら私たちの後を追って。恐らく、全勢力をこちらに向けるようなことしないだろうから……くれぐれも無理しないように」

 雅の語気は、後半少し弱くなった。

 短絡的な作戦だと、思わないでもなかった。だが、僕の意見云々で、彼女達の行動が変わることはないのだろうとも理解していた。ここに来ても僕は、どこか臆している。明瞭な意思表示を行えないのは何故か。思考と言語の間に、大きな隔たりがあるような違和感は、彼女たちと行動を共にする中で、大きくなっている。けっして大きくはないものの、ぬぐい去れないノイズのようなものが、脳内に漂っている気がしてならない。

 はっきりとしない。何が? きっと、僕自身の存在が。今、ここに存在しているという実感が。

 常識的に考えれば、この場面も、以前の襲撃時も、命を失ってもおかしくない状況だった。切迫していた。恐れていた――恐れている、はずだった。

 けれど、深い昏睡に陥ったのち、目覚めると、その恐怖や焦りは、遠い記憶のように薄れていく。この感覚は何だ。これから、変革のときに触れるかもしれないというこの場面で、なんと場違いな考えだろう。

 受信不全症の僕に、大人達は口々にこう言っていたことを思い出す。

 ――考えてはダメだ。自分の立ち位置なんて考え出したら、生きて行けなくなる。

 それを甘言だと受け入れられないでいた。理由すら奪った世界が、僕自身の生きる意味を問う。なんて皮肉だろう。どうしたって考えてしまう。

 僕は何故、ここにいるのだろう、と。この命は、何を欲しているのか。

「アラタ?」

 不意に飛んで来た声に振り向くと、雅は怪訝そうに僕を見つめていた。

「どうしたの? 気分良くない?」

 心配そうに彼女は覗き込む。僕は、即座に返答することが出来ないでいた。

 不思議な人だ、と改めて思う。

 緊張と緩和が自由自在。まるで、この世界の理をすべて知っていて、それでも尚、この世界の中を悠然と飛び回るような、彼女。

 ウィザードの枷は、四ノ宮雅にどんな影響を及ぼしたのか。三園マイから感じた不安定さと、雅が持つ放漫さは、異なるものでいて、どこか重なる部分がある。

 彼女たち、そして、人ではなくなったと表される七海高志は、仕立て上げられた共犯者のような存在なのかもしれない。

 この国の多くの人々が、そして僕たち受信不全者が、与えられた自由を享受しながら、その一方で埋めがたい不自由を嘆いている。自分たちの遙か頭上にある不完全を恨み、完全性を生み出せと叫んでいる。

 人知れず、苦行を強いられている人間がいることを、いつからか誰もが忘れていく。

「なんでもないよ。……留まってても、変化はないもんね」

 ようやく溢れた台詞は、酷く空虚で、誰にも届かないような気がしてしまう。

 収監施設に目をやると、先ほどより人の数が減り、寂しげな建物が風に吹かれている。

「じゃあ、よろしくね、ユカリ」

「はい……ですが、もしお嬢に危険が及びそうな場合は、これを停止させる判断をします。それだけは、お許しを」

 レプリカセフィロトを操作しつつ、ユカリは慎重に言葉を継ぐ。

「お嬢の身の安全が一番ですから……私たち……いえ、私はそれ以外のことは……」

「わかってる。何も言わなくていいよ」

 自分に言い聞かせるように、雅は何度も、わかってる、と反芻する。ふと、雅の表情に陰りが見える。僕は何故だか、DD起動時のあの言葉を思い出していた。

 ――代行者としての、あなたを信頼します。どうか、忘れず、あなたが成すべきことを、成してください。終わりるべき世界に、明瞭な意思表示を期待します。

 真意は相変わらず不明だ。だけど、目に見えないものに縋るよりも、今、目に見えるものを、僕は選びたい。それが、成すべきことではないとしても、この世界にあぐらを掻いて傍観するよりはよっぽどましだ。

「雅、行こう」

 短く告げた僕に、雅は少し間を開けて応じる。

「アラタから率先するのなんて初めてだね」

 おちょくるように、彼女は笑う。しかしすぐに表情を硬くして、

「うん。行こう。この世界の理を拒絶しに」

 強い語気で言うと、彼女は僕のDDに触れる。

「万が一の時はまた、お願い」

「万が一、が起こりすぎるのもなんだと思うけど」

 それもそうだ、と言った後、彼女は収監施設のほうへ歩み出す。その背後に添うようにして、僕も続いた。



 雑然とした路地に、顰めがちな足音が響く。

 収監施設の裏路地に回り込んだ僕と雅は、息を潜めつつ、施設の外周を伺っていた。

「遠目に見たのと同じで、人影はなさそうだね」

 表口を覗き見ながら、小声で雅は訊ねる。

「だね。寧ろ、人っ子一人いない感じだ。不自然すぎる」

 エリア4脱出時から、収監施設をモニタリング続けていたユカリの話では、ここ数日、昼夜問わず警戒態勢が途切れることはなかったという。だが、現状、表にも裏にも、人の姿はない。

「罠と分かってて突っ込まないといけないのも、難儀だよなあ」

 雅がそう言ったのと同時、収監施設前方の廃屋から、眩い光源が現れる。闇夜に包まれていた施設周辺は、一瞬にして真昼のような明るさを帯びた。

「よし、行くよ」

 徐々に薄れていく光を横目に、雅は表口を望む路地に駆け出す。

「雅! ちょっと、早すぎ……」

 目にもとまらぬスピードで飛びだしていった彼女を追って、僕も路地に出る。

 と、そこで見た光景に息を呑む。

 夥しい数の人間が重なるようにして倒れている。死んでいるのか? いや、中には微かに身体をよじっている人の姿も見える。一様に傷らしきものはなく、一見眠っているようにも思えた。ものを言わぬ塊が、路地の端に積み上げられ、その横で、寒々しい風が埃を舞上げている。

「先を越された、ってことか……」

「何言ってんの、雅? これ、誰が……」

「賢人会が中に……あの子を助けないと」

 意味の分からぬ発言に困惑していると、雅は僕に構うことなく、収監施設内へ飛び込んでいこうとする。その動作を止めるべく、僕は彼女の腕を掴む。

「待って雅! 危険だよ」

 賢人会は、美澄博士を庇護し、この世界を良化しようと試みる集まりだと、そう思っていた。実際、管制塔の存在は、一般市民にとっての拠り所で、その仕組みを作った人間達は、善意ある集まりだと、皆が考えているはずだ。雅が言うように、賢人会が良からぬ動きをしている可能性はある。情報分配、ファンクションコントロールの制圧、DDの実用化、その過剰なまでのシステム防衛は、反逆者に向けられることはあるにせよ、こと身内に対して向けられるものではないだろう。

 賢人会が、警備の人間を攻撃した。そして、美澄博士の下に今、向かっている。

 雅が言いたいのはつまり、そういうことではないだろうか。だとしたら、なおさらおかしい。

 中枢で息を潜める権力者が、自ら手を汚すとは考えにくい。こう言う場合、より円滑な手段があるはずだ。賢人会がこれまで彼女達、目の前の雅や三園マイに課してきたウィザードという職務。その流れから察するに、汚れ仕事を託すのは、ウィザード。ここエリア3でいうならば、その役目は、三園マイに降りかかる。

 今にも腕を振り払いそうな雅に、僕は訊ねる。

「賢人会は美澄博士をどうしようとしてるんだろう? こんな、仲間を攻撃するようなことをして」

「博士が邪魔になったんじゃないかな。諸処の事情で」

「そんな急に状況が変わるの? それに、エリア3で出来事なら三園さんが関わってないわけがないし、あの人がそんなこと……」

 三園マイは強引で傲慢で、それでいて、民衆を守ることを何よりの責務と感じる人だ。少しばかりの交流でこんなことを言うのは憚られるけれど、僕は勝手にそう思っている。

 その三園さんが、こんな暴挙に対して指をくわえて眺めているだろうか。

 僕の言葉を受け、少し黙っていた雅が、口を開く。

「……誰?」

 消え入りそうな呟きは、僅かに僕の耳を掠めた。

「誰、って何が?」

「いや、今アラタが言った三園って……」

 危急の事態に雅自身も混乱しているのか? 意図を汲めずにいる僕は、少し苛立ちを覚えた。

「三園マイさんだよ。このエリアのウィザードである彼女が、こんな行為を傍観してるなんて考えられない」

 矢継ぎ早な僕の言葉に、雅の反応は薄い。おかしい、おかしい。言葉が、届く気がしない。

「三園マイ……ウィザード?」

 途切れ途切れ、雅は知らない言葉を反芻しているように見えた。

 僕は、エリア3管制塔がそびえる方角を指差して、尚語りかける。

「雅と同じで、あそこにある管制塔を守るウィザードだよ! どうしちゃったんだよ、雅」

「アラタこそ、どうしたの? ……そこに何もないけど」

 言われて、僕は苛立ちのピークを迎える。何を言っているんだ、と目線を自分の指先が示す方へと向ける。

「え?」

 あるはずのもの。僕を苦しめてきたもの。多くの人間が見上げていたもの。この国の象徴。

 当然のように存在するはずのものがそこにない。

「管制塔が、ない?」

 エリア3のど真ん中にそびえ立っていたはずの塔は、消失している。僕から、理由を奪ったシステムの中枢が立地していた場所には、黒々とした闇夜が見えるだけだ。

「管制塔は? 三園さんは?」

 眼前の現象を受け入れられない僕に、雅が告げる。

「ねえ、アラタ……」

 何かが、崩れていく。日常と思っていたものが、姿を変えていく。

 僕は、今まで、何を見ていた? 少し前の自分の感覚を、疑いたくなる。

 追い打ちをかけるように、雅は僕に問いかける。

「三園マイって、誰のこと?」

 乾いた風が、僕をあざ笑うように、吹き抜ける。

 ――私の所為だから、私が助けないと。

 夢の先の彼女は、誰を助けようとしていたんだろう。

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