3 【ストレイシープ】
REC 03
僕が驚異を越えたと実感できたのは、目覚めてから少し、時間が経った後だった。
何度気を失えば気が済むのか、と自分の軟弱さを自戒したりもしたが、驚天動地の出来事が起こりすぎた。人生のターニングポイントが、一日の間に何度も訪れたようなものなのだから、致し方ない。
微かに痛む身体を起こし、ぼんやりとしたまま、周囲を見渡す。
と、突然目の前に、見知らぬ男が立った。切れ長の目をした大柄の男は、不機嫌そうに僕を見る。
「お嬢、目が覚めたみたいです。……ほんとにこの不抜けた男が、あれをやったんですか? というか、ユカリが付いていながら、お嬢を危険にさらすとか、なにやってんだ」
開口一番、僕を貶めるような発言をする男は、こちらに歩いてくる雅とユカリに、投げかける。男をいなすように、雅は口を開く。
「まあ、落ち着きなよ、
言うと、雅は「身体、大丈夫?」と微笑む。
「ここは? ていうか、僕、どうしちゃったの?」
ぼんやりした頭が徐々に、明確になる。起こった事象を振り返ろうとするが、どうも記憶が曖昧だ。
「二階堂さんはDD使用の反動で気を失っていたんですよ。初起動で、いきなりディスチャージを退けたわけですから。因みにここは、中間地帯と別の回避地です。エリア3の外周を沿うように何カ所も回避地があるという噂です」
「やっぱり、こいつが数原を……信じられん」
頭に包帯を巻いたユカリの横で、大志と呼ばれる男が僕を見据える。
「あの、顛末を教えてもらっていいかな?」
思えば、僕はずっと彼女達に質問してばかりだ。訊ねる僕を、大志は尚も睨みつける。
「お前が、エリア3のディスチャージ
「凄まない! ほんと血の気が多いんだから。でもまさか、アラタがリジェクトを使うなんて、思いもしなかったけど」
忌々しそうに言う大志を、雅が諫める。
リジェクト。あの時、僕の脳内にも、そのセンテンスが降ってきた。まるで、昔から知っていたかのように、その感覚は、僕を包んだ。
記憶は曖昧だが、あの場には、九音さんがいた。彼女もまた僕と同じように、DDに適応し、能力を使用していたのだろうか。
「その……対外防波、っていうのも、DDの力なの?」
訊ねると、恭しくユカリが答えた。
「対外防波というのは、本来ウィザードのみが持つ超常的な力、物理法則の否定を模したものですね。お嬢の空間固定も、法則否定の一種です。対外防波にも様々なものがあって、他者を攻撃するのに適した破壊的な力や、攻撃を受け付けない防御に特化したものまであります。個人差、といいますか、DDに対する適応レベルによってその強度はまちまち、という感じですね」
「模した、ってことは、完全な力ではないってことなんだね?」
「そうです。恐らくはウィザード能力と比較すると、十分の一にも満たないと思われます。ですが、それも適応度合いによって変わります」
「DDを使う人の間でも差があるってこと?」
「はい。ウィザードがセフィロトとの親和性を高めたものであるように、DDにも親和性の優劣があります。実際、九音さんという方の防御能力は、二階堂さんの攻撃能力に敗したわけですから、彼女より、二階堂さんの方がDDとより親和性をもっていたということになりますね……故に、通常なら手こずる相手ではないのですが……」
ユカリは、悔しそうに俯く。その姿を見て、雅が口を開いた。
「不意打ち食らったみたいなものだから、ユカリに罪はないよ」
「ですが、お嬢……」
申し訳なさそうに目を伏せるユカリを、雅が宥めている。そんな穏やかなやり取りを眺めつつ、僕は訊ねた。
「さっきの回避地に居た子ども達は……大丈夫だったのかな?」
覚えはないが、あの抗争は周囲に相当な被害を与えたはずだ。もし、回避地内の子ども達が、何らかの被害を被っていたら忍びない、と思ったが、
「それは大丈夫。あそこを去る時確認したから。あの子達は、地下で走り回ってた」
雅は、その光景を思い出しているのか、眼を細める。「そうか……」と胸をなで下ろす僕に、雅は続ける。
「アラタは、地下を見てないもんね。あの子達の素性も、知らないまんまだし」
「地下?」
「まあ、追っ手がいつ来るか分からないあの場所で、ゆっくりしてるわけにもいかなかったから、仕方ないけど……数原は、結構しぶとい奴らしいから」
首を傾げる僕に、雅は一人言のように呟く。
数原圭太という男からは、およそ迷いというものが感じられなかった。
この世界の仕組みへの、狂信的な信仰心が窺える言動には、素直に恐怖を感じた。
「その……これからもあんな危険な人たちが襲ってくるのかな?」
遅ればせながら、思う。仕組みに逆らう行為というのは、これほどの危険を伴うのだと。
「国に逆らうんだ。それくらい、当然だろ」
躊躇いがちに訊く僕に、大志は、すげなく返す。
「お嬢にファンクションコントロールを送ってきた奴も、勝手なもんだよ。抗うなら、てめえがやれってんだ」
「言っとくけど、勝手に私に付いてくるって決めたのは、大志だからね。勝手にやってるのは、大志も一緒でしょ」
「いや……確かにそうですけど……俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「じゃあ、何?」
「いや……別に、いいっすけど」
雅の苦言に、大志は口を噤む。
「あ、あの。雅が言ってた地下っていうのは?」
口を挟んだ僕を忌々しそうに見る大志を横目に、雅は、
「そうだね、実際見てもらってからのほうが、わかりやすいかも」
と言い、僕を誘う。
内部からでは外装を計り知れないが、建物の造りは、以前の回避地と相違ないように感じる。いや、まるで模倣したかのように、そっくりだ。彼女達の言葉がなければ、移動していないと錯覚していただろう。
建物の一階ロビーに降りると、明かりのない広々とした空間が僕らを迎える。
「この階段を降りて」
雅に促されるまま、ロビーの端にある石畳の階段を恐る恐る降る。
「じゃあ、開けますね」
眼前に現れた、硬質な扉をユカリがゆっくり開いていく。
「灯を点けます」
ユカリが言い、暗く閉じきられた室内に、徐々に光が灯される。
と、僕は、その光景に息を呑んだ。
「これ……」
真っ白な部屋の中、等間隔に並べられた冬眠用シェルター。昔、コールドスリープなんてものが人々の間で流行したと教わったことがある。その時に見たシェルターの形状と、目の前の物体は酷似している。シェルターのそれ一つは、人一人がすっぽり入るほどの大きさなのだが、この広々とした地下空間に確認出来るだけで百はくだらない数のシェルター、いや、人間が敷き詰められている。
「私たちが調べた限りでは、この奥にも地下空間は広がってる。この地下空間は、前の回避地にもあったんだよ」
雅が指差す方に目をやると、微かに灯りが届く範囲に、大きなトンネルが見える。恐らくは、回避地にある建物全体の地下と繋がっているのだろう。あの先にも、ここと同じ光景が広がっていると想像するだけで、ぞっとする。
「な、なんでこんな場所に……」
人が、と言いかけて、言葉に詰まる。シェルターの数に圧倒されたわけではなく、その中に眠るであろう人々の影に、言い知れぬ恐怖を感じた。
「ここが何なのかは、正直分からない。でも、私たちが聞かされていた、『回避地は特別視されている』って話と、この場所は無関係じゃないんだろうね」
それに、と雅は続ける。
「この場所には、統合管制塔からのRECシグナルが微細ながら届いてるんだよね」
その発言に、僕は首を傾げる。
「でも、回避地には管制塔からのシグナルは全く届いてないのに、統合管制塔から何でわざわざ?」
「詳しいところは分からない。でも、統合管制塔が隠したいほどの、きな臭いことが行われてるんだろうね」
まるで、文明が停止したような空間に、多くの人々が眠っている。現実感を失うこの場所の違和感は、そのまま、この国の仕組みへの疑いに繋がる。僕は、言い知れぬ不快感を抱きつつ、雅に訊く。
「じゃあ、君たちの目的は、隠匿された事実を開示させることなのかな?」
偶発テロから十年で、この国は随分穏やかに保たれるようになった。その安寧の裏側で、不穏な因子が蠢き続けているとしたら。雅は、少し間を置いて、答える。
「まあ、素直に開示してくれるようなら、こんな危険な橋は渡らないんだけど……うん、概ねそれであってるよ。でも、一番知りたいのは、私が何を求められているのか、ってことかな」
「それは、ファンクションコントロールを雅に送ってきた人と何か、関係があるの?」
「うん。当面の目的は、その人と会うことなんだよね」
「送ってきた人は、わかってるんだ?」
「確かではないけど、わかってる。元賢人会で、今はエリア3のどこに居るはずの元研究者。正直、生きてるかもわかんないけど、こんなアプリを作れる人は、あの人しかいないはず」
「賢人会……そういえば、東神校長もそんなこと言ってたような」
名前から想像するに、厳かな組織のように感じる。それも、相当にあくどいことを行う集団のようにも想像出来る。しかし、そんな僕の思い込みに反して、雅は酷くあっさり、
「アラタが考えてるほど危険な組織じゃないよ。それに、東神凍耶は賢人会の人間だからね」
と告げる。僕は、強張った表情をしていたのだろうか。考えていたことは、彼女に筒抜けだ。
「で、でも、あの人は神園学園の校長で……」
「賢人会はね、この国のいろんな業務の管理を行う人たちの総称なんだよ。凍耶は、名ばかりの校長だから、普段は学内に居ないはずだよ」
確かに、東神校長の姿を見たのは入学式の時と、あの校長室だけだった。呆気に捕られる僕を一瞥して、雅が続ける。
「賢人会は官制計が生まれた頃から存在していて、当時の職務は官制計を使用する人たちの管理だった。とは言っても、五十年前はまだ国民の数パーセントしか官制計を使用してなかったから、大した職務じゃなかったらしいけど」
官制計が生まれた当初、体内にチップを埋め込むなんてことは、嫌悪の対象だったそうだ。今となっては考えられないことだが、その使用者は、周囲から奇異な目で見られたのだと、伝え聞いている。
「賢人会がこの国の中で力を持ち始めたのは、十年前。偶発テロで混乱するこの国を立て直す権限を与えられたのが、賢人会。当時まだ一カ所しかなかった管制塔を増築して、官制計着用を義務化したのも、彼らの仕業だよ」
「今の仕組みの中じゃ、賢人会がこの国の中枢、ってことだね。雅が疑ってる」
言うと、雅は、「そうだね」と答える。
「私たちが各エリアに配属されたのは、今から八年前。その段階では、賢人会内部に不穏な動きはなかった。飽くまで、九歳だった私の眼から見て、って補足付きだけど」
「今は、どうなってるかわからないんだね」
「全く。そもそも私たちは、賢人会が多く在籍する統合管制塔の場所を知らないし、ウィザード自身が他エリアとの交流をすることも禁じられてる。だから、マイと会うのも、八年ぶりだった」
最悪の再会にしちゃったけど、と雅は自嘲し、続ける。
「私は、ファンクションコントロールが送られてきた一年前、アプリの稼働実験も兼ねて、各エリアに連絡信号を送ったの。でも、どうやっても反応がなかったのは、マイのエリア3。エリア4のネットワークを停止させてからも何度かユカリにエリア3宛ての信号を構成してもらったけど、ダメだった」
「その、少し話がずれちゃうけど、今エリア4はどんな状態になってるの、かな?」
訊くのが躊躇われた質問は、思いの外あっさりと口を突いた。
「セフィロトが自動で修復してネットワークを再構成するように設定してきたから、今頃は復旧してるんじゃないかな。飽くまで私たちがエリア外に出られるまで、システムを停止させられればよかっただけだし」
でも、エリア内の人には悪いことしちゃったな……と、雅は顔を曇らせる。僕は、あまりに大きな規模の話に、かける言葉が見つけられない。
言葉を無くす僕に、雅は優しく語りかける。
「そっちの方は私の責任だから、アラタが沈んだ顔することないよ」
「僕、そんな顔してた?」
「悲壮感たっぷりな顔してる。アラタって、顔に出やすいよね」
言うと、雅は肩を揺らし、笑いを堪える。彼女は、一頻りそうした後、気を取り直したように、
「ここにね、知ってる人たちもいるんだ」
と、シェルターが並ぶフロアに目をやる。人一人が通れる幅の通路をゆっくり進み、雅は、言葉を継ぐ。
「全員、ってわけじゃないけど、さっきユカリと確認しただけで、三〇人は元賢人会の人がいた。皆、生体反応はあるけど、長い間、昏睡状態にある」
生きている。だけど、ここに居る多くの命は、流れから取り残されている。迷い子のように、時の流れから、はぐれたような。
「この人たちが、賢人会によってここに送られたってことは考えられないかな」
「まだ分からない。でも、美澄さんが……あ、私にファンクションコントロールを送ってきたかもしれない人が、多くのことを知ってる気がする」
「例の元研究者の人だね」
訊くと、雅は少し躊躇いがちに、
「そう。美澄さんは、官制計開発者の関係者で、RECシステムの浸透に一役買った人」
「そんな人がどうして賢人会をやめたのかな?」
「美澄さんが自らやめたのか、追い出されたのかはわかんない。……なんにせよ、明確な答えはないんだよ。今の所、お手上げだね」
雅は、手を肩まで上げて、戯けるように言った。
当面の目的は、その美澄という人物に会うことなのだろう。そうでなければ、ファンクションコントロール送付の目的も、この地下施設の意味も闇の中だ。
「ここに居る人達は、いつから眠ってるんだろう」
ふいに口を突いた言葉に反応したのは、会話に参加していなかったユカリだった。
「コールドスリープ開始の時期はバラバラですね。古い人物で、九年前。ここ最近ですと……一ヶ月前の方もいます。ただ、ほとんどの人物が、いつからここに居るのか判別できないのですが」
シェルターの側に屈んで何か作業をしていたユカリは、継いで、
「統一されているのは、皆が同じ夢を見ていることでしょうか」
「夢って、寝ている時に見るあの……」
「そうですね、あの夢です。でも、この方々の場合は、作られた夢を共有している、といった感じでしょうか」
ユカリの発言を継いだのは、雅だった。
「前時代に消えた、仮想現実ってやつだね」
「お嬢の仰るとおりです。どうやら、このシェルター内に流れるシグナルによって、同時に仮想空間にダイブしているようですね。外部からの干渉は出来ないようなので、どのような夢を見ているかまでは、判別できません。それに……」
「それに、何?」
訊ねる僕に、ユカリは怪訝そうに答える。
「どうもガイドプログラムが働いているようですね。彼らの夢の世界をサポートする人工的なプログラム」
「それは、人工知能のこと?」
「ええ。セフィロトは元々、単一のAIから派生したとされていますから、そのコピーを量産し、コールドスリープ内に送ることも容易だと考えられますね」
セフィロトが人工知能の進化形だということは、初耳だった。だが、ユカリが携えているレプリカを見るに、プログラムの分散や分配を行っても本体に支障が無いようだし、セフィロトには、底知れぬ情報貯蓄があるのだろう。しかしまあ、全人類の経験則を蓄えた人工知能の考えることなんて、僕には知りようがないのだけど。
僕は、再びシェルターが並ぶこの奇妙な空間を見回す。
繁栄する都市の片隅に、ひっそりと眠る人々。彼ら彼女らが見る空想は、いったいどのような世界なのか。それは、ユートピアか、それとも、ディストピアなのか。
様々な疑問を並べたところで、答えなど、返ってくるはずがない。
僕は何故か、シェルター内の人々に、妙な親近感を抱いていた。この世界に存在しながら、手足をもがれたような僕ら受信不全者と、眠りの中にいる彼らの姿は、どこか重なる気がする。
呆ける僕の背後から、一際明るい声で、雅が呼ぶ。
「さ、アラタ。一通り小難しい話が終わったところでさ、ご飯にしよ。今頃、大志が用意し終わってるだろうから」
振り返る僕を、屈託ない笑みが迎える。
現実離れした出来事の中で、その表情はどこか懐かしく、安心感を抱く雰囲気を纏っていた。
「おい。その肉は俺のだ。勝手にさわるんじゃねえ」
「大志さん……子どもですか、あなたは。いいじゃないですか、肉の一つや二つ……」
「よかねえよ……って、ユカリ! おまっ、何枚とってんだ! 食料調達した俺の苦労をねぎらおうって気は……」
「ないですね」
轟々と燃える火の向こう側で、小言を言い合うユカリと大志は、まるで兄弟のようにじゃれ合う。
地下施設を出た後、陰惨な気分に陥っていた僕の前に、妙な光景が現れた。
授業でしか見たことのないような、旧時代の調理道具。たしか、バーベキューコンロ、とかいう名前だったような気がする。
僕たちがいた建物の外で、大量の食材を並べ、待っていた大志は、「エリア3に侵入して最初の役目が、食料奪う、って、俺は盗人ですか……」と雅に愚痴っていた。どうやら、僕たちが死線をかいくぐっている同時間に、大志は、食材を運んでいたらしい。その姿を想像すると、確かに、盗人のそれそのものだ、とほくそ笑む。
「それにしても、何でわざわざ外で食べる必要があったんですかね……」
「引きこもりには丁度良いんじゃねぇの。籠もりっぱなしのパソコンオタクは、こんなアウトドア、したことねえだろうから。それに、中でやったら燃えるだろうが」
忙しく箸を動かしつつも、二人は言い合いを続ける。
そんな光景を眺めていると、隣に居た雅が僕に訊ねる。
「どうしたの? お腹、減ってない?」
「いや、そうじゃないけど……なんか、拍子抜けしたというか……」
言うと、雅は、「ま、それもそうだね」と、箸を置く。
「落ち着いてる場合じゃないんだけど、あまりに情報が少ないから、その前に、腹ごなしってね」
「まあ、そういうものなのかな……」
どうも腑に落ちない僕は、黙ったまま、皿に盛られた野菜を口にする。
ユカリに訊いたところ、あの広場での戦いから、半日が過ぎたのだという。ということは、僕が雅に連れられて回避地に来てから、もう二日目だ。
僕が眠っていた半日の間に、数原(と九音さん)以外のディスチャージが攻めてきた痕跡はない。やはり、あの攻撃は彼らの単独行動だったのか。それとも、エリア3の関係者達は今まさに、僕らを攻撃する為の算段を立て直しているのかもしれない。そう考えると、僕は、この落ち着いた空間を素直に受け入れることが出来ない。
そもそも、僕は、ずっとそうではなかったか。
いつか、この世界が僕を捨て置いて、先に言ってしまうのでは、という不安から、純粋に目前のものを受け入れられずにきたのではなかっただろうか。
冷静に、ある種、暢気に周囲を眺めるふりをして、必要にアンテナを張り巡らせて、脅えていたのではなかったか――。
「あ、ら、た、くん! っと」
少し俯いた僕の顔を両手で挟むようにして、雅は自分に向き直らせる。彼女は、少しむくれて、僕に言う。
「考えすぎても良いことなんて一つも無いと思うよ。そりゃあ、準備や考察は大事。勿論、不安を抱くことも、必要だと思う。でも、自分の考えにがんじがらめにされてちゃ、肝心な時に動けないんじゃないかな?」
でも、と目を逸らそうとした僕を制して、彼女は続ける。
「君がどんな労苦を強いられてきたかは私たちに分からないけど、それを振り返って、これからの出来事に当てはめても、何の役にも立たないと思うな」
取り越し苦労ってやつ? と雅は笑う。
「選択した自分を信用しなきゃ。……どれだけ振り返ったって、戻れるわけじゃないんだし」
一瞬、雅の眼差しが遠くを見つめるように、揺れた。移ろう視線は、僕には知り得ない彼女の感覚を想起させる。
「おい。なにお嬢と楽しそうに話してんだよ」
声のする方を見ると、鋭い眼差しの大志と目が合う。
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「なに!? お前、お嬢と話すのが楽しくねえってか」
先回りするように僕の言葉尻を捉える大志は、端的に言えば、面倒くさい。凄む彼の横で、ユカリが、はあ……とため息を吐いた。
「大志さん……ほぼ初対面の二階堂さんにその態度はどうかと思いますけどね、私は」
すみませんね、子どもで……とユカリは僕に小さく頭を下げる。
「第一、俺はこいつを仲間にするなんて、聞いてねえんだよ」
うん、僕も聞いてない。と、頭の中で同意する。
「……俺は、軽々しい気持ちでここにいるんじゃねえ」
そう言うと、荒々しく席を立ち、大志は建物の中に消えていく。
唖然とする僕に、雅が声を掛ける。
「大志は悪い奴じゃないんだよ。少し、口が悪いだけで」
「悪すぎるきらいがありますがね……」
やれやれ、といった感じで、ユカリが雅の言葉を継ぐ。
「僕、彼に何かしたっけ……?」
思えば、僕が目覚めた時から大志はあの様子だったし、彼に嫌われるような心あたりは全くないけれど。
「恐らくは、リジェクトが影響しているんでしょう」
ユカリは、意味深長に呟く。
「リジェクト、って……僕もよく分かってないのに……」
謂われのない恨みをかっているようで、あまり気分がよくない。だけど、僕は確かに新参者で、雅やユカリと出会ってほんの数日しか経っていないし、僕が、大志の立場だったとしても、得体の知れない新参者なんて、気分が良いものではないのかもしれない。
そんな僕の取り留めもない考えを遮るように、雅が口を開く。
「アラタのことが憎いんじゃなくて、その能力に、大志は良い思い出がないだけなんだよ」
それはそのまま、僕に対する嫌悪感と等しいのではないか、と口を挟もうとする僕を見据えて、雅は続ける。
「リジェクトは、エリア7のウィザード、
流暢な語り口に反して、彼女の表情は硬い。雅の言葉を補足するように、ユカリは告げる。
「七海高志はウィザードとしては有能な男でした。八年前、各管制塔にウィザードが着任する際も、早い段階で着任先が決まったのが彼でした。……ただ、その人格に難がありましてね。所謂、危険思想の持ち主でした。争いを肯定する姿勢がありましたね」
ウィザードの生い立ちなど想像もつかないけれど、様々な性格を持ち合わせた人間がいるのは仕方ないだろうとは思う。だが、ことこの国の根幹を握る主格人物が、危険思想を持ち合わせていたとしたら、ぞっとしない話だ。
「着任後も、エリア7を私欲で独占しようとしたことがありましたし、二階堂さんと同じリジェクトの能力を、権力誇示の為に使用したこともあるそうです。まあ、セフィロトからの制御が高度になるにつれ、彼の良くない噂は聞かなくなりましたが」
「そんな人が、エリア7にはいるんだ……」
独りごちるように呟く僕に、雅が語る。
「その七海高志が、大志の兄なんだよ。昔は仲のいい兄弟だったんだけど、今は忌み嫌ってる感じだね……大志と私たちの付き合いは長いけど、高志のほうは……先人学級以来、会ってないからなあ……」
「先人学級……そうか、雅もあそこにいたんだ」
「ってことは、アラタも?」
「一応、ね。でも、僕はすぐに特別指導校に移動したけど」
偶発テロの被害者の中には、親を亡くした子ども達が多くいた。偶発テロの直後、街中に放置されていた多くの個人用シェルターに、十歳に満たない子ども達が眠っていた。誰が何の為にそうしたのかは分からないが、戦禍を逃れたシェルター内の子ども達、僕も、その中の一人だったのだけど、目覚める以前の記憶はまるでなく、全ての子ども達が出自不明のまま、当時の政府に保護された。その子ども達が送られた先人学級は表向き、子どもの保護を掲げていたが、その実、その後有用な人材と成りうる人間を見つけるための場所だった。僕は言うに及ばず、才覚の乏しい人間は、後に設立された特別指導校に編入させられた。神園学園に通っている生徒の殆どがこの先人学級から外れた孤児達だ。世間一般では、ストレイシープ。迷い子、と呼ばれているらしい。
「そっか。ユカリや大志、高志も偶発テロ以降二年間は、そこにいた。私は先人学級が出来る前からウィザードとしての教育を受けていたけど、今、各エリアにいるウィザードの殆どは、先人学級でRECシステムとの親和性を高めた人間なんだよ。まあ、中にはマイみたいに、親族がウィザードだったっていうサラブレッドもいるけど」
そういえば、あの校長室で雅は、優等生には分からない、と三園さんを揶揄していた。その言葉の真意は測りかねるが、偶発的に生まれた管理者と、先天的に遣わされた管理者では、その思考に差違が生じるのかもしれない。
「二階堂さんは、先人学級で起きたクラックシグナルの件はご存じですか?」
「いや……詳しくは知らないけど、RECシステムの不具合か何かで、その場に居た子ども達の脳にダメージが出たとか」
僕が先人学級と呼ばれる保養地にいたのは、偶発テロの後、一週間程度だった。現在のエリア3管制塔が建つ場所に臨時の避難施設が開設され、その場所で、僕たちは保護された。そこで、当時まだ義務化されていなかった官制計の付与、身体検査、後にこの国を包み込むRECシステムとの親和性を検査され、その結果僕らは先人学級に入ることはなかった。確か、クラックシグナル事件が起きたのは、先人学級始動後、一ヶ月が経ったころだったように思う。なにせ、自分達が関わるかも知れなかった場所で起きた惨事だ。とても他人事とは思えないでいた。
「周囲の人間に及ぼしたダメージは深刻でした。ある者は記憶障害、ある者は、RECシステムとの親和性を保てなくなったり」
「もしかして、その能力が……」
「リジェクト、ですね。システムのネットワークを拒絶するシグナルを構成し、システムを内部から瓦解しようとしたのは、まだ八歳だった七海高志だったんですよ。幸い、被害は最小に抑えられましたが、彼の身柄は、賢人会に一任された、と聞いています」
「そして、後にウィザードになったわけだね……なるほど、大志さんが僕を毛嫌いする理由は、それか」
RECシステム正式稼働前の事故だった、と僕らは聞かされていた。原因の詳細は語られず、クラックシグナル対策プログラムを含んだシステムは、今日まで、正常に機能を続けている。一個人、それも子どもが一人でシステムを脅かしたとなれば、大人達が多くを語らないのも無理はない。
ユカリの話を静かに聞いていた雅は、僕を見て言う。
「リジェクトは、全てをひっくり返すほどの危険な能力。だから、その対策プログラムが組み込まれたRECシステムの中では、機能しないようになってる。でも、ファンクションコントロールアプリでアラタのDDを起動させた結果、リジェクトは機能した。まあ、元々アラタにその能力が備わっていたんだろうけど、正直、驚いた」
肩を竦め、雅は、「それに、助けて貰っちゃったしね」と笑う。
自分の脳内に響いた声は、DDのプログラムが発した音声なのだろうけど、その言葉そのものに、懐かしさを感じるような気がしていた。
――お帰りなさい。×××。
雑音の中で呼ばれた名は、僕の名前だったのか。いつかの暗闇の中で、僕を手招きしていたものとの類似性を疑い、心が疼く。
音の消えた空間で、誰の干渉も受けない空間で、あの日の僕は、世界を拒絶しようとしていた。
あの日から、理由も分からぬ不安と焦燥感を、抱えていた。
「まあ、どんな理由があろうと、ろくに会話したこともない二階堂さん相手に、あの態度はないです。食事は楽しく、団らんの場にしなければ」
あほです、大志は。と、ユカリが口を尖らす。その固い言い口と反した動作に、僕は思わず吹き出す。
「ははっ……確かに、食事は楽しく、だね」
「私、結構真剣に言ったんですけど……」
「ユカリは真面目すぎるのが欠点だからね。表情硬いよ?」
雅はユカリの両頬をつまみ、ぐりぐりと弄る。
「ほじょー、やめてくだしゃいー」
その間抜けな顔を見て、僕はまたわき出す笑いを堪える。
「おらおらー、楽しくなれー」
無邪気にじゃれる二人を眺め見て、穏やかに思う。
もし、彼女達の進む先に答えがあるのなら。いや、たとえ何もなかったとしても、僕はこのまま進むしかないのだろう。それは、もう元の生活に戻れないから、という後ろ向きな考えではなくて、一つの可能性の話だ。
僕が忘れた僕を見つけられる可能性。七歳以前の、記憶の扉を、開く鍵は、恐らくこの先にある。自分が何者であるか分からないまま、烙印を押され続けた暮らしが、現状、大きく変化している。
僕にこの世界を変えようなんて気概はまるでない。雅やユカリ、そして、大志が掲げる理想と、まるで違う僕の意識。
きっと僕は、僕の理由を探すため、ここにいる。彼女達に付いていけば、見つかるかもしれない、と淡い期待を抱いている。この世界の象徴であるウィザードに偶発的に出会っただけとしても、雅が、僕を連れ去ったことに意味などなかったとしても。
――もう一度、始めよう。
求めていた言葉を、与えられたのだから。今は、疎外感に満ちた僕の心中を穿ったその言葉が、理由でいい。
笑え、笑えー、と大声を上げる雅の声は、月の見えない空の下にこだまする。
「なんか、暢気でいいな。こういうの」
僕の言葉に、目を丸くしたユカリが応える。
「暢気、ですか?」
怪訝そうな顔を見せるユカリに、慌てて訂正する。
「あ、いや、馬鹿のしたわけじゃなくてさ……その、君たちは、置かれてる状況に反して、穏やかというか、冷静というか……なんか、優雅でいい」
言葉が足りない僕に対して、首を傾げるユカリの横で、雅が相好を崩す。
「よくわかんないけど、ちょっと分かるかも」
「何それ」
僕は、素っ頓狂な雅の口調に、口元を緩める。
「気負ってもしかたない、って私たちはどこかで思ってるし、頭を抱えて悲観しても、嘆いて恨みを叫んでも、何も変わらないのも知ってる。だから」
僕の目を真剣に見据えて、雅は続ける。
「選んだことに、身を賭す。その為には、こうやって、気を緩めるのも大切、って思う」
真面目って疲れるから、とふざけた調子で彼女は言う。
「僕も一応、選んだことには責任を持つタイプだよ」
軽い口調で言うと、雅は、表情を崩さぬまま、
「アラタの眼は、そういう眼をしてる。迷って、濁って、滞って、それでもまだ、目の前のものを離さない、そんな眼」
「過大評価じゃない?」
「君は誰にものを言っているのかなあ? 私、ウィザードだよ?」
戯けて言う雅の顔に、笑顔が戻る。
「人さらいのウィザードだけどね」
そう言うと、「手厳しいなー」と、彼女がいじけたような表情を見せる。
穏やかなやり取りをする僕たちに、怪訝そうな表情をしたユカリが話しかける。
「あの……あっち、見てください」
僕と雅は、彼女の指差す方を見る。
その先には、こちらに走ってくる人影が見える。というか、必死な顔をした大志が、何かを叫びながら、こちらに駆けてきた。
「やべぇ、やべぇ……」
「大志さん……深夜にランニングするのは自由ですが、現状どう見てもヤバいのはあなたの顔ですからね。人殺しみたいな極悪顔ですよ?」
ユカリの言うとおり、大志の表情は、引きつったようにも、睨みつけるようにも見える。
「誰が人殺しだ! 俺がこんなに焦ってるのに、お前暢気だな!」
「焦っている理由を明確に話してくれないと分かりませんから。もしかして、会話することも忘れちゃいました?」
「てめぇ、ユカリ……」
「二人とも、いい加減にして」
二人のいざこざを、雅の言葉が遮る。
「何があったの? 大志」
雅が訊ねると、大志は、落ち着きを取り戻し、告げる。
「実は……地下施設から子どもが一人、出てきました。女の子です。今は、ビル内のエントランスに待たせていますが、どうも奇妙なんです」
訥々と話す大志に、ユカリは訊ね返す。
「前の回避地にも子ども達は数名いましたしね……あの子たちのように、何らかの切っ掛けでシェルターから目覚めたのかもしれませんが……大志、奇妙、というのは?」
「何も喋らないんだ」
急な目覚めに驚き、言葉を無くしている、ということだろうか。僕が、そう考えていると、雅が呟く。
「似てるね。ストレイシープの時と」
僕ら、孤児の総称、ストレイシープ。それと、地下施設から現れた子どもに、何の因果関係があるのか。
雅の呟きに、大志は大きく頷く。
「はい。と言っても俺は、当時の自分や周りの状況について後から知らされただけなので、詳しくはわかりませんが……」
「うん。この中で当時の状況を知ってるのは私だけだもんね」
当時七歳の雅は、既にウィザードとしての適正を持ち、あの戦禍を間近で見ていた。彼女は、当時どんな思いで周囲の子ども達を見ていたのだろう。
ややあって、考え込んでいたユカリが口を開いた。
「あのシェルターは、あと数年開かれないように設定されていました。以前の回避地の子ども達は滞りなく会話できるようでしたが、私たちが動き出したタイミングで子ども達が目覚めるなんて……何か、嫌な予感がしますね……」
彼女が言う予感、それが僕には伝わってこない。改めて僕は、彼女達の背負うものを微塵も知らないのだと、痛感する。
「賢人会が、何かを仕掛けているのは確かだろうね。……少し、急いだ方がいいのかも」
雅は、自分に言い聞かせるように、言葉を吐き出す。
「少々……いえ、かなりの危険が予想されますが、エリア3内に侵入して、美澄博士と落ち合う必要がありますね。お嬢、ご判断を」
ユカリは、雅を真っ直ぐに見て、答えを仰ぐ。
「ユカリ、博士の現所在地についての情報は?」
「はっきりとは分かりませんが、エリア3管制塔近くの収監施設にいらっしゃる可能性がありますね。……正直、確率は高くないと思いますが」
「収監施設か……厄介だね。あそこはマイと同等レベルのディスチャージ部隊がいるだろうし……」
顔をしかめ、迷いを見せる雅。続けて彼女は、自身を奮い立たせるように言う。
「……やるしかない、か。進むしか方法はないんだしね」
その言葉は誰に向けられているわけでもない、と感じてしまう。
雅の呟きに、ユカリが大きく頷いた。
「お嬢がそう仰るなら、私たちは付き従います」
「ユカリ……」
「悲しそうな顔はやめてください。お嬢は、何が起きても揺れることのない人です。そのままでいてください。私たちは、そんなお嬢を信頼して、ここにいるんですから」
ユカリの言葉が、雅を掴んで離さない。きっと幾度も彼女達はこのように、支え合いながら生きてきたのだろうと思わせる奥行きを、感じる。
「だね。死ななきゃなんでも出来る、が私の信条だしね」
「随分強引な信条だね」
思わず、僕は口を挟んでしまう。
「アラタは、こういう女の子は嫌いかい?」
戯けて、雅は首を傾げる。屈託のない笑みを見ていると、困窮した状況が嘘のようにも思えてくるから不思議だ。
「いや、好きではないけど、嫌いじゃないよ。そういうの」
曖昧だなー、と彼女は笑う。それにつられて僕も吹き出す。
一頻り笑うと、雅が改まって、告げる。
「ここから先は、アラタが今まで経験してきたものとは別種の世界が待ってる。その覚悟だけはしておいて」
僕は、彼女の瞳を見据え、頷く。
しかし、僕は本当に理解出来ているだろうか。雅の言う別種の世界の真意。それは、僕の意識の根源へ、その闇の中心へと向かう片道切符になってしまうのだろうか。実際に目にしなければ、理解出来ないものもあるだろう。本来、生きているということは、このように唐突で、どうしようもない出来事が起きることをいうのかもしれない、と大仰な考えを心に浮かべる。
エリア3管制塔を見つめる雅の背中を見て、僕の脳内で微かな痛みが弾ける。
また、デバイスから光源が漏れた、ような気がした。
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