ゆうれいたちの魔法陣

「あら?あれは、確か聡さん?ちょっと年取っているけど、あの時のままだわ!」

真弓はゆらゆら揺れる体をちょっと不器用に漂わせながら、同じようにふらふらしている物体のもとへ飛んで行った。

「聡さん!あなた、こんなところで、何しているの?」

聡はふらつく体に戸惑いながら、辺りを見まわす事に精いっぱいで、何も考える事が出来ずにいた。

「大丈夫?あなた、もしかして、今死んじゃったばかりなの?」

「息が、息ができないんだ、君、君は、確か、いや、死んだなんて、まさか、あの...」

「いいの、いいの、落ち着いて。大丈夫、すぐ慣れるから。」

真弓は、普通の生身の人間がするように、ゆうれいの聡を優しく抱きしめた。聡は、縮こまってゆっくりと深呼吸して、呼吸を整える努力をした。光が見えたことは覚えている。その光が見えたとたん今までの苦しみが嘘のように楽になったことだけは確かだ。病院で、家族に囲まれていた気がするが、その家族の姿もない場所で気が付いた時には、まだ自分の置かれた状況がつかめず、このどこかで見たことのある女に名前を呼ばれた。

深呼吸して、少しづつ考えというか、今まで置かれていた状況や、自分に何が起こってしまったのか、おぼろげだがわかる気がしてきた。

「心臓がずっと悪くて、手術したんだけど、ダメだったみたいだ。家族には悪いことしてしまったな。死んだのか。じゃあ、ここは天国?地獄?君は、君は、真弓。真弓じゃないか!君のこと、ずっと探していたんだよ!君、あの時のまま変わっていないね。」

「聡さん、思い出してくれた。よかったぁ。」

「真弓、君も死んだって事かい?」

「そう、八年前に死んだの。胃がんで。ずっと持っていたの。聡さん、あなたに話さなくちゃいけないことがあるの。」

「真弓、なんだい、話って。」

「覚えている?一九年前のこと?」

「忘れないよ。あの時、どうして姿を消してしまったんだい?」

「だって、聡さんにはもう家族があったし、その幸せを壊すつもりなんてこれっぽっちもなかったの。あなたにも、赤ちゃんにも幸せになってほしかったし、奥さんにも幸せでいてほしかった。」

「幸せとはあまり言えなかったけど、子供たちはいい子に育ったよ。二人とも女の子で、本当に、これから心配だよ。結婚式も父親なしでなんて、かわいそうなことしたよ。まだ一八歳と一五歳なんだ。酒も一緒に飲めないんだな。君は?結婚したの?」

「ううん、しなかったわ。だって、愛する人の子供を産めたんですもの。」

「え?」

聡は驚いて、真弓のほうを見た。真弓はいたずらな子供のような笑みを浮かべて、聡を見返した。

「あの時、私のおなかにも赤ちゃんが宿ったの。あなたの身重の奥さんが単身赴任のあなたの帰りを待っている間、私にも同じように命が宿ったの。奇跡だと思ったわ。でも、絶対にしゃべってはいけない秘密だとも思った。だって、あなたのことがそれほど好きで、愛していて、傷つけたくなかったんですもの。そして、あなたの愛する奥さんが傷つくことを考えただけで、これはもう私が身を引くしかないって思ったの。」

「じゃあ、上の子と同い年か?名前は?女の子?男の子?」

「聡さん、もう落ち着いて。一八歳で、男の子よ。うちの父と母が立派に育ててくれているわ。聡さんに似ていて、男前よ。」

「男の子か!男の子が欲しかったんだよ、俺。名前は?」

「ねえ、覚えてる?あなた、赤ちゃんが生まれたら、名前をどうしようって話をしてて、女の子だったら外国風の名前にして、男の子だったら、あなたの家では代々漢字一文字って決まっているって話してたこと?それを覚えていてね、私、漢字一文字の名前を付けたのよ。」

「よく覚えていたね。」

「ええ、あなたとの事は、何だって忘れたことはないわ。」

「そうかあ、男の子か。会いたかったなあ。」

「見に行ってみる?この体ならどこへでも行けるのよ!」

真弓は聡の手を取って、スーパーマンが飛ぶような態勢になって、ゆっくりと飛んで見せた。聡は戸惑っていたが、結構うまく飛ぶことができた。時間が存在しない世界にいるようで、時空を自由に行き来できる。ゆうれいとはそんな存在なのだ。聡は一九年前単身赴任で半年ほど住んでいた、見覚えのある町に来ていた。

「わあ、懐かしいなあ。あの日、きみがあの橋で泣いていた。」

「ええ、すごく悲しいことがあって、死んでしまおうって、泣いていたの。道行く人は振り返るけど、誰もお構いなし。そしたら、あなたが声をかけてくれた。やさしく、そっと。どうしたのって。」

「うん、どうしたんだろうって、ね。」

「そしたら、あなた私が泣き止むまでずっと待っているんだもの。もう死んでしまおうなんて考えがなくなっちゃった。」

「あの時、一緒に死んであげてもよかったんだよ。」

「そうね、そんなことも言ってくれたわね。あなたがとてもきれいだったから、そんな事させたくなくて、死ぬのをやめたのよ。あなたの存在自体、すごくドラマチックで、夢のようだったわ。」

「私の一人暮らししてたアパート、見えてきたわよ。あの頃のまま。」

「あの日、君のことが心配で、一緒に帰ったんだよね。」

「そう、普段なら絶対そんな事しないのに、会ったばかりの人を連れ込むなんて、どうにかしてた。」

「死のうって考えてたくせに、結構散らかってたよね。」

「もう、そんなことは思い出さないでよ!」

「タバコを吸うあなたの横顔がきれいで、切なかった。あなたがゆっくりと話し始めて、奥さんと、おなかの赤ちゃんの存在を知って、また悲しくなった。でもね、あなたの話が聞けるだけでうれしかった。」

「一番大切な時期だったのに、俺の単身赴任が決まって、ちょっと情けなかったよな。子供は沢山ほしいと思っていたし、初めての子供なのに、そばにいてやれないなんて、つらかった。」

「それから、私たちは越えてはいけない一線を越えてしまったのよね。罪悪感で押しつぶれそうだったのに、心と体はあなたを求めるの。」

「罪悪感なんてあったの?」

「え?あなたにはなかったの?」

「あるわけないよ。愛していたんだから。」

「でも、奥さんや、お子さんは?」

「もちろん、愛していたよ。でもそれと同じくらい君も愛していた。」

真弓の目から大粒の涙があふれた。

「真弓、ゆうれいでも泣けるんだな。おいで。」

聡は真弓の肩を抱き寄せると、あの橋の日と同じように、ずっと真弓が泣き止むのを待っていた。

「ずるいわよ。そんな愛だとか、私がどんな思いをしてたのか知りもせず、身を引いて今まで思い出の中のあなたと生きてきて、死んでからもあなたの事を気にしてのぞいてみたりして、私ばっかり切ない思いして。」

「そうかな?俺は、みんなを愛せるよ。まあ奥さんは結構やきもち焼きだったから、最後こじれちゃったけどね。でも、上の子は俺のほかの恋人たちともうまくやってくれたよ。人それぞれじゃないのかな?だから、上の子供が生まれた後、君を探しにこの町に戻ってきたんだ。だけど、君はどこにもいなくて、探し出せなかった。」

「あなたが去って、半年後に私とあなたの子供が生まれたの。あの時は、子供がいるってわかった途端、消えなくちゃって思ったのよ。あなたには知られてはいけない。あなたはきっと優しいから、おろせなんて言わないけど、子供を欲しいっていうと思ったの。だから、あのアパートを去って、実家に戻ったの。」

「家の人は、何て?」

「もちろん怒られたわ。でもね、結局親子だから、諦めたのか、詮索されなかったし、赤ちゃんが生まれたら、すごくかわいいみたいで、喜んでくれたわ。」

「よかった。俺たちの子供は愛されて育ったんだね。」

「あれが、私の実家よ。あ、あの子が来るわ。陵っていうの。ね、あなたに似ているでしょ?」

「いい顔しているな。卒業か。就職先は?」

「うちの両親が頑張ってくれてね、大学に行くの。演劇を学んで、俳優になるんだって。あなたに似ているわよね、そういうところ。」

「いいご両親で本当によかったよ。俺は、おやじに反対されたからなあ。」

「ねえ、一つだけお願いがあるの。」

「なんだい、今の俺にできることかい?」

「ええ、簡単なことよ。ねえ、あなたの上の子と、陵を何かのきっかけで出会わせてあげることはできないかしら?陵には兄弟がいないし、私の両親も結構年だし、あなたの上の子は、結構あなたに似ているみたいだし。陵もあなたに似ているし。」

「でも、どうやって?」

「魔法陣よ。ゆうれいは、一つだけ願いを叶えることができるの。でも、その願いをかなえるには、大切な人の承諾と、サインが必要なの。それであなたを待っていたの。あなたに承諾してほしいわ。できる?」

「承諾ならできるよ。でも、サインは?」

「魔方陣を作るから、その中にあなたのサインをするの。」

真弓が指で空中をなぞると、魔法陣が出現した。その魔方陣にサインする場所があって、聡はサインをしようとして、ちょっと考えた。

「なあ、この魔方陣にサインしたら、何が起こるんだ?」

「多分、私の願いがかなって、私は天国か地獄へ行くんだと思うわ。それとも、輪廻転生で生まれ変わるってところかしら?」

「じゃあ、君ともお別れになるって事かい?やっと会えたのに?」

「そうね、そうなるわよね。」

「嫌だ。サインしない。」

「え、ちょっと何よそれ、ひどいじゃない。私八年も待ったのよ。」

「俺は十八年待った。」

「十八年、忘れなかったというの?ひどいわよ。ねえ、じゃああなたの魔法陣と私の魔方陣を一緒に作ればいいのよ。そして二人でサインするの。そしたら二人の願いが同時にかなうわ。」

二人はお互いの気持ちを込めて魔方陣を作った。そして手をつなぎ、サインした。

魔法陣が赤紫色に輝き、宙を舞って、きらきらと花火のように消えた。

二人は一緒に天国へ行った。

そして十年後の夏、二十八歳になった陵は演技派俳優として芸能界を賑やかせていた。その出演作を見た聡の長女絵美里は、亡き父親の若い頃に生き写しの綾を見てただ事ではないと思い、いろいろ調べていくうちに、父親がかつて単身赴任で半年ほど家を開けていた時期があり、場所や生年月日、家族構成から、陵は父親の不倫相手の子供だと確信する。

一方の陵は、母親に成人したら開けるように言われていた手紙の存在を近頃思い出し読んだところだった。


”陵へ

元気でやっていますか。ママは病気が悪化してもう長くはなさそうです。時間がなくなる前に、ママの秘密というか、陵にどうしても話しておかなくちゃいけないことを書いておきます。パパはいないから、って言ってごめんなさい。パパは、ママのことをすごく愛してくれて、ママもパパの事がすごく好きで、愛していました。でも、パパには家族があったので、ママはパパに陵のことを告げずに逃げてしまいました。

パパは陵の存在を知りません。陵には同じ年の兄か姉がいると思います。半分血のつながった、あなたの兄弟です。あなたは一人じゃないよ。でも、それが祝福される出来事なのか、ママにもわかりません。でもあなたには、知る権利があると思いました。

ママは職場でひどいいじめにあっていました。人格否定され、死んだらと言われたので、死のうと思い橋の上で泣きながらいろいろ考えていました。通り過ぎる人は私を不思議そうに見たり、振り返ります。でもだれ一人、声をかけてはくれませんでした。でも、そんなとき一人のきれいな男の人が声をかけてきたんです。それがあなたのパパでした。パパはずっと待ってくれて、話を聞いてくれて、家まで送ってくれました。パパには、嘘がなかった。結婚していることも、赤ちゃんが生まれることも、全部話してくれた。でも、ずるかった。私にも愛してるって言ってくれた。だから、死ねなくなったし、不倫と分かって関係を持ってしまった。不倫と思っていたのは、私だけなのかもしれないけど。パパは単身赴任が明けて、家族のもとに帰っていった。そしたら、お腹に陵がいた。ママは自分勝手だったから、パパから逃げた。パパから陵という存在を奪ってしまった。陵が生まれてしばらくして、昔いたアパートの大家さんに偶然会って、手紙を渡された。パパからだった。そこには愛しているだとか、連絡をくれだとか、パパの実家の住所と自宅の住所が書かれてあって、でも日付は三年前だった。だから、やっぱり連絡は取らなかった。

パパに会いたくなったら、ママの日記のカバーの裏にその手紙を張り付けています。その住所を訪ねなさい。自分で考えて、悔いのないように生きなさい。頑張るのよ。ほんとうに、ごめんね。ママより”


絵美里は同級生が陵と同じ大学に通っていたことを突き止め、連絡を取ってみた。そしたら、なぜか魔法のように、同じ学部でしかも同じサークル仲間だった、しかも今でもたまに会ったりメールをやり取りする仲だという。

絵美里は、大好きだった父に生き写しの青年にちょっとの希望を持ち、陵は初めて出来るかもしれない兄弟のことを考えうれしくなる。聡の誰でも平等に愛せるという不思議な遺伝子を強く受け継いだ二人はきっとうまくやっていけるだろう。

ゆうれいたちの魔法陣は今日もどこかで、人間達のちょっとした不都合を好都合に変えている。

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