八日目⑩

 サクヤがたどり着いたとき、店前にはたくさんの人が集まっていた。

 インテリアショップと見間違えるかもしれないモダンな店構え,、入り口付近の窓ガラスの向こう、焼きあがった鴨を皮、皮と肉、肉のみと切り分けていく店員の様子がみえる。

 店先に設置されてあるディスプレイ端末の人数の数字を押すと、整理券が印刷されて出てくる。上部モニターに自分の番号が表示されてから、黒いTシャツ姿の店員に整理券を渡して案内してもらう。日本のショッピングモール内の飲食店でもみかけるシステムだ。

 ディナーは十七時半から。それより前はアフタヌーンティータイムを行っていた。

 十七時半からディーナー客の入店がはじまった。

 モニターには、家族向けのテーブル席は二十組待ちと表示されていた。

 二十分ほどして、サクヤの番号が表示される。


「We only have outdoor seats right now. Is it okay for you?」

「Ok」


 即答したサクヤは、オープンテラス席へ案内された。

 サクヤはサングラスを外す。日が沈み、辺りが薄暗くなりだしている。遠くにビクトリア湾が広がり、香港島にそびえ立つビル群の陰影に明かりが灯りだしている。

 眺めは悪くなかった。


「一人客だから先に案内してくれたんだ。それにしても屋内席が人気だな」


 周りを見ても、サクヤ以外テラス席に客はいない。


「家族連れのお客は、夜景を見飽きてる地元の人かな」


 思いかけて、サクヤは一瞬で否定した。


「む、大気汚染か」


 地下鉄や建物の中にいる時間が多かったとはいえ、歩道だって歩いた。暑い一日だったにもかかわらず青空を見た記憶がなかった。


「しまったー、今日はPM2.5がひどかったのかも」


 中国の人も警戒しているのだろう。

 いまから室内席に替えてくれと言っても席はないだろうから、とサクヤはテラス席で食事することにした。


「Half Beijing duck, please.(ハーフサイズの北京ダックをください)」

「We will order Beijing duck at any table.It takes more than 30 minutes to carry to your table.Is it okay for you?」

「Sure.」


 サクヤは笑顔で店員に注文した。

 注文してから鶏をさばいて調理するから三十分かかるといわれ、運ばれるまで夜景を眺めながら気長に待つことにした。

 夜景、で思い出す。ひょっとすると、香港の夜景を撮影するためにキョウは単独行動をとったのかも知れない。ホイアンでもカメラ片手に夜景をもとめて別行動していた。


「昨晩は雨が降っていたから、うまく撮れなかったろうな」


 サクヤは、ガラケーを構えて数枚、夜景を撮影した。


「やっぱし、画素低いからうまく撮れないか」


 この場にカコがいたら、「どうして香港に来て北京ダッグ?」と質問してきたかもしれない。たしかにここは香港。広東料理の本場であり、北京料理の本場である北京ではない。だが香港は、中国全土のおいしいものが食べられる場所。なかでも人気が高いのが、正統派北京ダッグ。ぜひ食べてみたいが、少人数ではなかなか注文できない料理でもある。しかも本格的中国料理店は敷居が高く、香港初心者や若い人が気軽に行ける場所ではない。

 そんな人々をターゲットとして二〇一三年にオープンさせたのが、『美中・鴨子 M&C DUCK』である。

 昨年も、サクヤは来店して北京ダックを食べている。

 パリッとした食感、皮に含まれる肉の旨味。餃子の皮に似て薄く、手のひらサイズの荷葉餅という中華パンに甜麺醤ベースの味噌ダレをまんべんなく塗り、細切りのキュウリやネギと一緒に具を縦向きに並べてきつめに巻いていく。

 これが北京流であり、うまい食べ方だ。

 北京ダックはパリパリの皮だけを食べるものだと、いまだに思っている日本人もいるかもしれないが、そんなことはない。北京で北京ダックを提供する有名店では、皮と肉を一緒に楽しむのが一般的で、皮だけ出す店はほとんどない。残った身肉と骨は、鴨湯のスープ出汁をとるのに使われる。このスープに香草を入れて飲むのも北京流だ。肉は燻製にして酒のつまみにもするし、焼く前に内蔵を取り出すが、捨てたりせず炒め物や煮物などの料理に使われている。

 対して広東省では、北京ダッグを注文すると身のついていない皮だけが出てくる店もある。それがいけないわけではない。薄く削ぐのも技術だし、皮の脂が焼けた香ばしさとパリパリの食感はうまいかもしれないが、もったいないとサクヤは思ってしまう。

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