八日目⑤
サングラスを掛けるサクヤの額に汗が滲んでいる。
気温は二十六度。三月に入ってはじめての夏日。香港でも夏日と表現するかはサクヤにもわからなかった。
門をくぐると右へ曲がり、サクヤは息を切らしながら顔を上げる。
「まさか、緩やかな上り坂になっているとは」
筲箕湾より西へ歩いて十五分。辺鄙なところにひっそりとあった。
香港海防博物館である。
一八四四年にイギリス軍が築いた鯉魚門要塞は、東の海側と大陸側からの香港島防衛において最重要要塞として長く戦いの歴史を刻み続けてきた。戦後、イギリス軍訓練基地として使用され、一九八七年には完全撤退。歴史的価値ある施設として、一九九三年に修復が決定。当時建造されたものを活かした博物館として、二〇〇〇年七月より一般公開されている。
トラムの移動に時間がかかり、歩き疲れていた。入場料ももったいない。砲台や戦車などの屋外展示だけで済まそうとしたサクヤの目に、看板が入った。
免 費 入 場
Free Admission
免費の読みはミェン・フェイ。
意味は費用を免じる、つまり無料。
二〇一五年十二月より行われた社会福祉活動、『欣賞香港キャンペーン』に合わせて、康樂及文化事務署の管轄にあるすべての博物館が二〇一六年一月三十一日まで入場無料を行った際、好評につき、将来的に入場の無料化を決めたという。
「太っ腹だな」
サクヤは中へと入っていく。
一八八七年に完成当時の建物をもちいた屋内展示室では、香港島の歴史からはじまり、明や清時代、英国統治時代、日本占領時代、戦後の英国当治時代、中国返還後、と時代順に当時使用された衣服や武器など、写真や模型をつかった海防の歴史が展示されていた。
およそ一万年前、香港島と九龍半島は陸続きの平野の一部であった。現在の地形になったのは、いまから六千年前。その頃に住んでいた証として、新石器時代の石器が発掘されている。
紀元前三世紀。南方系の古越族が住んでいたが、秦の武力により併合。始皇帝の死後、南越国の支配下に入るも、漢の武帝に南越国が滅ぼされ、漢の支配下となる。
漢民族と原住民との間で混血が進み、漢の文化がもたらされていく。
八世紀には唐、十四世紀には明、十七世紀には清に属する。
一八四一年、清とイギリスの間でアヘン戦争が勃発。清が敗北し、翌年香港島はイギリスに譲渡、植民地となる。一八六〇年に締結された北京条約により、九龍半島の南端も譲渡。さらに周辺地域を九十九年間租借する取り決めがされ、その一体を租界と名付けられた。
一九四一年に太平洋戦争勃発。広州より南下してきた日本軍が九龍半島を制圧、香港島に上陸し占領。一九四五年、日本軍の降伏を受け、イギリスに対して香港返還を要求するもイギリスは受け入れなかった。
中国国内で内戦が激化、一九六〇年代にかけて飢饉や内乱による難民が発生し、香港へ不法入境者が増えていく。
一九八二年、香港返還交渉がはじまり、一九九七年七月一日に返還。返還直後にアジア通貨危機の影響で不動産価格は大暴落する。
二〇〇三年にはSARSが香港でも拡大し、経済は大打撃を受ける。中国寄りだった行政長官が二〇〇五年に辞任し、新長官が就任。同年、香港ディズニーランドがオープンし、観光客も増加に転じた。
現在、東京証券取引所に次ぐアジア第二の株式取引高を誇るなど、東京やシンガポールと並ぶ、アジアの金融センターの地位を確立している。
日本占領時代の部屋では、侵攻された側の視点で展示され、過大かつ誇張もあるかもしれないが、正直いい気はしなかった。悲しい時代、思い出も哀しい。はじめるときは命よりも大事なものがあるといい、終わらせるときは命に勝るものはないと叫ぶのだ。
戦争とは、人の命の重さを量る道具なのだろうか。
「建物の中は涼しかったけど、外は暑いなあ」
サクヤは首筋の汗をハンカチで拭う。
見晴らしのよい丘から眺める鯉魚門海峡を挟んだ対岸には、超高層マンション群がそびえて見える。サクヤには、脅威となる外敵を阻むための城壁に思えた。ひょとすると香港特有の景色は、戦争の歴史から生まれた産物なのかもしれない。
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