八日目④

 筲箕湾(サウケイワン)は四百年ほど昔、清朝のころより漁村として栄えていた街である。名前の由来は、船を着ける湾の形が、筲箕とよばれる漁師が使う竹でできたザルに似ているからといわれている。

 トラムを降りたサクヤは、南へ伸びる筲箕湾東大街を進んでいく。

 様々な神様を奉った廟や小さな魚市場の他には地味な商店街と団地があるだけの静かな場所だったのに、急に妙な人だかりが見えてくる。

 香港の麺の具としてなじみ高い魚蛋の名店、安利の行列だ。


「並べばいいのかな」


 帽子を脱いで仰ぎながら窓越しに店内を見ると、昼を過ぎているのに混雑している。

 張り出されたメニューを見ていると、人差し指を出して、一人かと店のおばさんがきいてくる。どうやら店先に並んでいるのは、持ち帰りの列らしい。

 店内へ入れたものの、ほぼ満席。地元の人でいっぱいだ。

 二〇一六年から二年連続、ミシュランガイドブックのおすすめローカルグルメ店の一つとして紹介されている効果かもしれない。

 同席しつつ、壁に貼られた大きなホワイトボードが目に入る。テレビ番組や個人で訪れた有名人のものなのだろう。店を訪れた人のサインが無数に書き込まれていた。

 読めないし香港の有名人を知らないサクヤには、興味がわかなかった。

 テーブルに置かれたメニューをみると、日本語表記もされていた。


「意外……でもないのか」


 忙しく動きまわる緑色のスタッフTシャツに黒い腰エプロンを着けた店のおじさんを、サクヤは手振りで捕まえ、魚団子工場に隣接しているこの店お勧めの、「魚蛋魚片河」を注文した。

 京娘であるサクヤはワールドワイドなトリッパーであり、練り物フリークでもあった。

 日本で見かける練り物には、つなぎにデンプンが使われている。メーカーや店に寄ってつなぎの量が異なり、ひどいところだと半分以上がデンプンなんてものもある。

 昔の日本ではデンプンの精製をしていないし、魚のすり身に塩を混ぜればくっつくので、本来の練り物にはデンプンを使っていない。にもかかわらず混ぜ物が横行しているせいで、本来の練り物がなかなか食べられず、サクヤは常々嘆いていた。

 運ばれてきたのは、大きな魚団子とつみれとさつま揚げみたいな炸魚片がのるライスヌードル。レンゲがかなり深く差し込まれている。このあたりが、香港B級グルメといわれる所以かもしれない。

 魚団子を口に入れると、弾力があってぷりぷりしている。


「ほお、魚のうまみがよく出ている」


 この魚団子は、鰻や鯔などの魚のすり身と塩胡椒からできている。機械で丸い形に絞り、湯に浸して氷水で締める。この工程が弾力を左右するのだ。

 スープもあっさりして悪くなかった。

 この先の目的地へ歩く元気が湧いてくるようで、サクヤの顔はほころんでいった。

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