六日目⑤

 雨の香港国際空港に到着したのは、午後一時を過ぎた頃だった。

 すんすんと鼻を鳴らすカコは、顔をしかめつつ辺りを見渡している。


「なんだかお肉のスープみたいな匂いがします」


 それを聞いてキョウは小さく笑う。


「豚骨スープみたいだよね」

「スープよりも香辛料、八角茴香かな」


 懐かしい顔をするトモの言葉に、サクヤは大きく頷いた。


「中国料理にかかせないもので、日本の七味唐辛子に似た中国の混合香辛料、五香粉にも含まれてる。川魚や豚肉の臭み消し、トンポーローや北京ダック、杏仁豆腐のアクセントにも使われてるスパイス。香港の至る所で感じると思う」

「へえ、そうなんだー」


 カコは驚いた声を上げた。

 ほのかな甘味や苦味のある独特な香りに、好き嫌いが大きく分かれるとともに、香港を気に入るかどうかも影響するかもしれない。


「しばらくしたら慣れてしまうから、気にしなくなるよ」


 カコに笑みを見せて、サクヤは先に歩いていく。

 入国審査の事務手続きをすませ、天井が高くて広いバーケージクレームで手荷物を受け取ったサクヤたちは、手荷物検査場と税関を抜けた。

 両替も無事に終えたところで、


「サクヤ、ちょっと悪いんだけどスーツケース預かって」


 手を合わせたトモに拝まれる。

 ついに三途の川を渡って西方浄土の一員になってしまったのか。なむー、とサクヤはトモに拝み返す。


「いいけど……トイレ?」

「そうじゃなくて、どうしても行かなければならない店があって」


 トモは呼吸を止めて、真剣な目でサクヤをみていた。


「……わかった」


 サクヤも真顔で答える。それ以上の会話は、二人には無用だった。


「それじゃ、お願いね~」


 道行く人を優雅に避けながら走って、トモは渡航者の群れの中へと紛れていった。

 おそらく誰かに頼まれたか、自分のほしい土産物を買いに行ったのだろうと解釈したサクヤは息を吐く。問題はこれからだ。目の前にキョウとカコがいる。一人は、独断専行を地で行くトラブルメーカー。もう一人は初めて香港に来たトラベルビギナー。この二人をホテルまで連れて行かねばならない。ならば、取るべき手段は一つしかないと覚悟を決めた。


「お待たせしました、みなさんこんにちは。『さくやくらぶ』の香港ツアーへようこそ。わたくしは今回、みなさまのガイドをさせていただきます、サクヤと申します。どうぞ宜しくお願いします」

「サクヤちゃんのツアコンだ」


 うれしそうに小さく手をたたくカコの隣で、キョウはサクヤをじっと見ていた。


「ホテルまではリムジンバスで移動します。まず香港ドルに両替したあと、移動に便利な交通カード、オクトパスカードを買い方の説明をします」


 サクヤは所持しているメビウス帯のデザイン、オクトパスカードを見せる。


「キョウは香港に来てるから知っているけど、スイカやイコカみたいなICカードで、鉄道やバスなどの交通機関の支払い、スーパーやコンビニ、ファーストフード店、パン屋にスタバ、自販機やガチャガチャなどあらゆるところで利用できる電子マネーも兼ねてる。しかも観光客でも発行でき、チャージや払い戻しも簡単便利なカードなのだ」

「どこで買うの?」

「すぐそこの販売カウンター、キャシュで」


 サクヤたちは丸いブースがある販売カウンターへ移動する。

 ベルトポールパーティションでぐるりと囲み、数人の観光客が並んでいた。


「でも今回は購入を見合わせ、チケットを買うことにしました。ですので説明だけにします。購入するときは、窓口スタッフに『オクトパスカード!』と言って百五十香港ドルを出します。追加するときは、カードと現金を出して『リロード』と言えばチャージしてもらえるますが、地下鉄やコンビニなどでもでき、結構便利ですので次の機会に利用して下さい。ではこれより、バスのりばへ移動します。はぐれずについてきてください」


 観光客が騒がしく行き交う中、サクヤを先頭に一行は歩きだす。

 広く空港内を、案内掲示板の『To City 住市區』を追ってまっすぐ進む。左折してスロープを抜け、右に曲がればバスのりばへ通じている。緩やかな下りのスロープをさらに進めば、案内掲示板の『Bus 巴士』が目に入れば、バスターミナルに到着。サクヤたちは、ロータリーに向かって左手にあるチケット売り場へむかった。


「Nathan Road. A21 Bus Return ticket,please.(A21番バスの往復チケット下さい)」


 売り場窓口で、サクヤが代表して購入する。

 尖沙咀へ向かうA21番バスは、片道三十三香港ドル。料金表に書いていないが、往復チケットも売っている。往復購入は、五十五香港ドル。片道ずつ購入するより、十一香港ドルお得である。

 サクヤたちがA21番のりばへ移動すると行列ができていた。


「サクヤちゃん、かなり待つの?」


 眉をひそめるカコに対して、サクヤは笑みを返す。


「バスは十分に一本の間隔で運行しているので、しばらく待てば来るよ」


 待つこと数分で、香港名物二階建てバス、ダブルデッカーがやってきた。一階の収納スペースに手荷物を入れ、サクヤたちは眺めのいい二階席へ上がる。見晴らしのいい先頭席はすでに座られていた。仕方なく、空いてる席へとサクヤが促すと、キョウは中程の窓際の席へさっさと座った。


「サクヤちゃん、わたしも窓側がいい」

「んー、わかった。わたしも後ろに座るから」


 カコをキョウの後ろの席に座らせ、サクヤはその隣に座る。旅慣れていないカコを一人にしておけなかった。


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