桜月十六日

三日目①

 鳥の鳴き声がうるさく、今日もサクヤは朝の五時に目が覚めた。

 目覚まし時計いらずで実に健康的な生活だ。静かに起こしてくれるならば、のエクスキューズ付き。半強制的に目覚める行為は心身ともによろしくない。早起きは人体にとって拷問に等しいとする研究結果も発表されているのだ。

 だが、目が覚めてしまっては二度寝もできない。隣に目をやると、目を覚ましたキョウがベッドで微睡んでいる。


「散歩がてら、郵便局に行ってくるね」


 声をかけると、小さくうなずいたキョウは体の向きを変えた。

 サクヤはサングラスをかけて、外へ出た。

 夜の喧騒とは打って変わって、多くの観光客が行き交う通りも早朝は静かだった。

 郵便局売られていた六種のポストカードの中から、橋の写真のカードを選び、サクヤは自分宛てに手紙を書いていく。

 毎回、旅先から手紙を送っている。旅の思い出を新鮮な状態で残せるし、その地域にしかない消印や切手が手に入り、コレクションできるからだ。

 ポストカードをみて、まだ観光をしていないことを思い出したサクヤは、帰りに屋根付き橋の来遠橋まで足を運ぶことにした。

 黄色に統一されたチャンフー通りを進めば、十七世紀に建てられた福建會館などの中国建築や一七七三年に華僑が合資して建立した中華會館、約三百年前に中国人船長が建てた木造の古い廣勝家(クアンタンの家)などが並んでいるのを見られる。

 木造の街並みから、往年の栄華を感じつつ西へ歩いていく。

 やがて屋根付きの橋、グエンティミンカイ通りとチャンフー通りをつなぐ来遠橋がみえてくる。この橋を知らないベトナム人はいないだろう。何故なら、二万ドン紙幣の絵柄にも採用されているからだ。

 一六世紀、ホイアンに来ていた日本人商人たちから集めたお金で建設され、地震にも耐えられるよう頑丈に造った仕事を思い起こすため、ベトナム人から〈日本橋〉と名付けられている。

 建設は申年にはじまり戌年に完成、その証に猿と犬の像が橋のたもとに祀られている。

 後に中国人やベトナム人による修築の際、洪水を沈める鎮武北帝を祀るほこらが橋の北側の欄干に増築された。現地の人はこの寺をカウ(橋という意味)と呼んでいる。

 今日まで日本橋と呼ばれているものの、修築の過程で外観も変わり、日本的要素は余りみられない。

 来遠橋の内部にかけられているランタンには、片仮名でホイアンとファイフォと書かれてある。ファイフォとは、ホイアンの旧名だ。

 橋の床板は、ところどころ隙間が空き、下の川が見える。ドブ臭さに顔をしかめ、板が割れて落ちないだろうかと、サクヤは足がすくみかける。

 ホイアンのシンボルであるこの橋には、日におよそ四千人もの観光客が往来している。そのために痛みも早く、これまで計七回の修復工事を行ってきたが、度重なる修復工事で橋は歪み、原型が損なわれている。

 そこで二〇一六年八月、橋を全面改修する決定がなされた。

 解体して詳細な記録を作成した後、損傷を受けた部品を補強、復元し、再建する計画がされている。改修が開始されれば、この姿も見納めとなる。

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