二日目②

 目を覚ますと、キョウの姿はなかった。

 どう過ごそうかと考えながらサクヤは着替え、ビールを飲んでダラダラ過ごすのは不健康だよね、と独り言をいいながら階下のロビーへ降りていく。

 朝食はエントランスのオープンスペースで頂くビュッフェスタイル。

 メニュー数は多くない。

 卵料理、麺料理、サンドウィッチなどは作ってくれる。

 空腹を感じていなかったサクヤは、フォーとコーヒーを選んだ。

 フォーの黒い器はココナッツをくり抜いて作った形状に似ていた。

 米を原料にしたベトナム風うどん、フォーはどこに行っても食べられる、ポピュラーなファーストフードだ。フォー・ボーは牛肉の入ったスープ麺で、細めの麺をざっと湯がいて熱々のスープを掛ける。そのままでもおいしいが、ベトナム麺料理は調味料を自分好みに仕上げることが醍醐味という。

 調味料の分類は、大きく分けて五種類。

 ライムや酢漬けのにんにく(または唐辛子)の、酸味。

 チリソースたレモングラスオイル、生唐辛子、胡椒などの、辛味。

 トゥオンデン(甘味噌)の、甘味。

 ヌックマム(魚醤)、ヌックトゥーン(大豆醤油)の、塩味。

 ヌックマムやトゥオンデン、揚げパンや生卵の、コクである。

 サクヤは酸味と辛味を選び、ライムを絞り、レモングラスオイルを少し垂らす。

 一口食べたその味に、寝ぼけ顔だったサクヤの目が開く。


「少し辛さが増すのと同時に、香りが良くなった。中華の香味油みたいだ」


 スタッフから、ドリップ式のベトナムコーヒーの淹れ方を教わる。

 ベトナムコーヒーは、アルミニウムやステンレス製の、底に細かい穴を多数開けた、フランス伝統の組み合わせ式フィルター、カフェ・フィンを使って淹れている。

 サクヤは円柱状のアルミ製コーヒードリップの中蓋を開け、フィルターに一杯分のコーヒーを入れて中蓋を締める。粉がカップに落ちないように作られているため、簡単には湯が通らない。少量ずつ湯を注ぐ。抽出には五分から十分程度の時間がかかり、湯を受ける部分が小さいために濃く抽出される。抽出が終わったら、上蓋を裏返してドリップ容器を置いて完成だ。

 サクヤは一口飲んで小さく笑う。


「知らないヤツに『濃いお茶だよ』ってみせたら信じるかも」


 ベトナムは一九九九年、コロンビアを抜いてブラジルに次ぐ世界第二位のコーヒー生産国となった。日本に馴染みのあるアラビカ種も作っているが、生産の中心はロブスタ種であり、世界のロブスタ種コーヒー豆の三分の一がベトナム産と言われている。

 アラビカ種とくらべると、ロブスタ種は苦味が強く、酸味もコクも少ない。そのため砂糖とミルクをまぜて濃縮したコンデンスミルクを入れてカフェ・スア、つまりミルクコーヒーにすることで、ロブスタ独特の味と香りが絶妙な風味を生み、最高においしいベトナムコーヒーとなる。

 サクヤはコンデンスミルクポットを摘むと、多めに注ぎ入れ、スプーンでかき混ぜる。

 ひと口飲んだサクヤは、


「んー、うまいんだが」


 手に持つグラスを遠ざけつつ首を傾げた。

 如何せん、ドリップに時間がかかりすぎて、ぬるい。

 熱いのが飲みたければ、イタリアンコーヒーを頼めばいい。日本で飲まれているアラビカ種のコーヒーは、ベトナムではイタリアンコーヒーと呼ばれている。

 トリッパーなサクヤは知っている。外国とは、旅人が快適に過ごせるように作られているのではなく、現地の人々が快適に過ごせるように作られているのだ。

 サクヤは、静かにもう一口飲む。


「まあ、これはこれで悪くないよな」


 ぽたぽたとコーヒーが落ちる様子から、この淹れ方を中国語で滴滴珈琲(ディーディーカーフェイ)と呼ぶことがある。

 ベトナムコーヒーはアイスコーヒーがスタンダードで一番おいしい、と以前ツアーで知り合った人から聞いたことを、サクヤは思い出す。

 飲み干して、サクヤは小さく微笑んだ。


「今度はアイスを試してみるか」


 目覚めのコーヒーはホットが一番。であるが、郷に入っては郷に従うのもトリッパーの心得である。

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