旅をしたいと思った。旅行ではない。旅をしたいのである。

 直感的に旅行と旅は違ったもののように思う。一体この両者は何が違っているのだろう。

 旅行には行楽的ニュアンスが含まれている様に思う。家族旅行とは言っても、家族旅とは言わないからだ。何か目的があって、遠出をして、それを楽しむのが旅行であるように思われる。

 一方で、旅は移動そのものが目的である様に思う。問「なぜ遠くへ行くのか」、答「遠くへ行くためである」というのが旅の定義ではなかろうか?旅行が目的ありきなのだとすれば、旅の目的は旅そのものであって、それ以外になんら目的を持たない。

 旅以外に、つまり移動すること以外に目的を持たないが故に、旅は辛いものとなりうる。旅行は目的がある。そのために移動する。例えその行程に困難があったとしても、その目的は困難を越える動機づけとなる。しかし旅はそれが単なる移動であり、それ以上でもそれ以下でもないが故に、移動を阻む困難が訪れた時、それを越えようと心を奮い立たせる動機づけが全く存在しない。なんとなれば、家を出て三歩で靴ひもが切れたので、旅を終えてもいいのだ。今日は日が悪いとかなんとか言って、家に引き返して布団にもぐりこんでも何の損も無い。遠出をすることはできなかったから目的は達していないかもしれないが、その目的を達成しないことで何等損害を当のその人は被っていないはずだ。もしかすると、当の人は遠方の地に到達した時の達成感を得ていないという人がいるかもしれない。しかし、思い出してほしい。達成感は目的では無いのだ。旅の定義として「遠方へ行ってその地へ行った達成感を得るために遠方へ行くこと」というのは成立しうるだろうか。これはしないだろうと思う。達成感はある目的を果たした時にわいてくる個々人の感情である。例えばマラソンやランニングをする人はこの感情をよく知っているだろう。しかしそれは当該の活動を完遂して初めてわいてくる感情であって、当初からの目的足りえないはずだ。達成感を得たいのでしかじかのことをやりますということは到底ないだろうと思う。故に、旅は達成感を結果として伴いうるにしても、目的とはしない。

 以上のことをふまえて、私は旅をしたいと思った。無目的にどこか遠くへ行きたい。美味しいものや絶景を求めるのではなく、なんとなし遠くへ足を伸ばしたいと思ったのである。ただ実際の所ここには「現実逃避」という目的が見え隠れしていることを私は否めない。自分が今直面する現実世界を脇に追いやれないかわりに、自分がどっかへ行ってしまおうという算段である。気分転換とか一時目をそらすというのではやり過ごせなくなった人間の浅はかな発想を種とした不純な動機である。これはもうどうしようもなくみっともないものである。これだけ弁舌を垂れ流しておいて、結局は現実逃避のための「旅行」がしたいだけなのである。これに気付いてしまうと旅行も旅も馬鹿馬鹿しくなって、現実へと目を向け直してしまうのである。

しかしこのように考えた後でもって、この私の不純な心根の故に純粋な旅がしたいと思うのである。



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雑文 かとうひとし @hitoshikatou

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