カラス

 私はカラスが好きである。ハトやスズメよりもカラスの方がいい。

 断っておくが、私はサッカーファンでも、神話マニアでもない。もちろん日本代表のサッカーの試合中継を見たことはあるし、神話についてつまみ食い程度の知識はあるが、あくまで私の現在のカラス好きはここ3、4年の記憶に基づいていると考えている。しかし、あえて更にそのカラス好きの原点を探るとするならば、それはエドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」だったろうと思う。

 「大鴉」を初めて知ったのは、耳鼻科の待合室でだったと記憶している。その待合室には世界の文学の有名どころを漫画化したものが置いてあり、その中に「大鴉」があったのだ(それ以外には横山三国志が置いてあったのが印象的だった)。当時小学生の私にはその意味はちんぷんかんぷんで、ただ「またとない」というフレーズだけが、不気味なイラストと共に脳裏に焼き付けられたのである。

 その後、中学か高校生の頃に何かのきっかけ(おそらく、江戸川乱歩のペンネームはポーのパロディだったとかそういう経緯)で私は『ポー詩集(新潮文庫)』を買った。ここで初めて、翻訳ではあったが「大鴉」を読んだのである。半ば背伸びをしたいだけの年頃だったこともあり、結局意味はよく分からないままだった。ただ、思春期の少年の心に再び「またとない」という言葉が、今度は「Nevermore」という英文と共に刻まれたのである。その後、この本はほとんど読まれないまま本棚に放置され、誰かが捨ててさえいなければ、今でも実家の本棚でほこりをかぶっているはずである。

 結局「大鴉」はカラスそのものというよりもフレーズとして頭に残っているので、おそらく私のカラス好きとは直接的には関係無いのだろうと思う。むしろ、具体的かつ鮮明なカラスの記憶がやはり直接のきっかけであるというのが、私自身の確信である。

 いつだったかの冬こんなことがあった。その日は底冷えのする日で、一日中氷雨が降っていた。そんな悪天候の中、私は何だったか用事があって、でかけていったのである。その帰り道、渋滞していたのか、大通りに抜ける手前の道には随分と車が詰まっていて、通りは夜だというのに明るく、ライトが雨の筋と私のビニール傘の表面を照らしていた。私の傘の中は少しまぶしく、雨音がただ単調に響いていた。

 そんな夜道を足早に通りぬけようとしていると、どこかでカラスが鳴いた。気になってあたりを見回すと、街灯の上に一羽のカラスが止まっているのが見える。カラスの体は下からのライトに照らされて夜の氷雨の中にぼんやりと浮かび上がっている。それはまるで、彫刻のようでもあり、また少しぼやけた影絵のようでもあった。しばらく動かずにいたカラスはくちばしを前に突き出すようにしながら、二声三声鳴くと、雨の中をどこかへと飛び去ってしまい、やがて姿が見えなくなった。

 また別の冬、こんなことがあった。その年最初の雪が降り積もったその日、私は寒さで肩をすぼめながら、足早に家路を急いでいた。バス停から家までの道には同じように家路につく老若男女が何人か歩いていた。群にまじり歩く私には雪を踏みしめる音が方々からまばらに聞こえてきていた。そんな折、車の往来が途絶えた一瞬に、左手から耳になじまない雪音が聞こえた。人が歩く音にしては軽く、たどたどしい雪を踏む音である。それがカラスであった。歩く人々から少し離れたところで、雪の上を黒いカラスが歩いているのである。雪の上に立つ黒い羽とくちばしは鈍く光り、黒い眼だけが明るかった。道を行く人をものともせず植え込みを少しあさったカラスは何かをくちばしにくわえると、一度あたりを見回してから、ぱっと曇天へと飛び上がり、どこかへと行ってしまった。

 冬に見たカラスを思い出すと、カラスには趣や品のようなものがあると思うのだ。張と艶のある黒い羽とくちばし、その中で光る黒い目、ふてぶてしい態度、小さく地面の上を歩く姿。街に住む他の鳥には無い特徴が魅力的に見えるのである。もちろん私も生ごみを路上に散らかす点については好意的にはとりかねるが、ある日偶然眼を奪われるようなカラスの立ち姿が街のどこかにあってもいいだろう。これは半ば期待であって、思い出深い冬の日の故にそんなことを夢想するのである。それ故、これからもカラスは私の心をひきつけるだろうと思うのである。

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