みそ汁
独り暮らしをしているとみそ汁は食ったり食わなかったりだ。
だいたい、あれは一人前を作るのが難しい。どうしたって、三人前近くできてしまうものである。そこでインスタントみそ汁を買って間に合わせる人も多くいるだろうが、次第にインスタントみそ汁を買うのすら億劫になり、結局みそ汁は彼らの食卓から消えてしまうのである。
しかし、みそ汁にもうるさい人はうるさいのである。味噌、出汁、具材等々のトピックについて「君、ちょっと一言いいかね。」と言いたい人は存在するのである。先日テレビで見かけた某俳優は、自分がみそ汁に一家言持っていたことを明かし、自身を「みそ汁原理主義者」と称していた。私はおそらく「原理主義者」は彼だけではないだろうと思うのだ。
実際のところ、少し前まで私も半ば「原理主義者」であったことは否めない。というのは、私はみそ汁を作るために出汁をとらずにはいれない人だったのである。もちろん、みそ汁の出汁をとらない人を直接非難するわけではないが、インスタントのみそ汁はほぼ全く買わず、鰹節か煮干しを常備し、みそ汁を作るたびごとに必ず出汁をとるのである。ここ二、三年はとりわけその傾向が顕著だった。
しかし、ネット上で料理研究家の土井善晴先生がみそ汁とは自由な料理であるとおっしゃっているのを目にして以来、私の「原理主義」的態度は改められた。冷蔵庫にその日ある味噌と具材でみそ汁を作れば良い、出汁をとらずとも、野菜の味が出汁になる、土井先生の主旨はそのようなものだったと記憶している。それを読んで以来、私はその教えに従ってみそ汁を作るようにしている。安く売っていた野菜を買ってきて、何となく刻み、ほぼ二人前に近い量のみそ汁を作り、どんぶりにそれを盛って、夕飯としてしまうのである。これが大変気楽で良い。もちろん、主菜として肉料理魚料理をつけることもあるが、面倒な時は肉や魚を切ったものもみそ汁につっこんでしまう。財布にも体にも優しい夕飯である。もちろん、時間があれば今なお出汁をとることもある。しかしそれはヴァリエーションの一つに過ぎないということに思い至ったのである。
そんな寛大な考えへと転向した私ではあるが、先日今なお自分が「原理主義」的であることを自覚した出来事があったことを最後に書かなくてはなるまい。
それは友人との食事の席だった。二人で町の安い食堂で定食を食べていたのである。よくないと思いつつも早食いの(この悪習はおそらくもう治らない)私は友人よりも早く食事を終えて、他愛のない話をしながら彼が食べ終わるのを眺めていた。しばらくして食事を終えたその友人とその後しばらく雑談を続けたのであるが、私には一つ引っかかっていることがあった。それは彼がみそ汁の具だけを食べ、汁を飲まなかったことである。これは両親の食育の賜物なのだが、私は出されたみそ汁を汁まで飲みきらないと気が済まない性分なのである。食育と言っても、スパルタエリート食育があったわけではなく、それが我が家の習慣だったにすぎない。しかし習慣とは怖いもので、身に沁みついているが故に変えられず、自分とは異なる人の行動がひどく気にかかるものなのである。
みそは立派なタンパク質である。お金の無い折に、ガスコンロであぶれば酒の肴にもなる立派な食材である。元を正せば大豆であり、植物もまた広い意味では生物である。従って、みそ汁の汁を捨てることは大豆という生命に対する不敬である!
もう冷めているであろうみそ汁を見て、私はここまでのことを半ばコミカルに頭の中で妄想した。しかし、みそ汁の汁を飲まないのもまた一つの習慣なのである。その習慣を身に着けた友人にこの場でこの論争をふっかけるのは明らかに不毛であった。結果、彼のお椀にはみそ汁の汁が残されたまま、私たちは店を出たのである。
こうして私は、今なお自分がみそ汁について一家言持つ「みそ汁原理主義者」であることを自覚した。そして、みそ汁がありふれた庶民的メニューであるが故に、日本全国には相当数の「みそ汁原理主義者」がいるのではないかと思うのである。いつの日か、「みそ汁原理主義者総会」が開催され、そこで「みそ汁憲章」を作るために、みそ汁に関する白熱した議論が交わされることがあるのかもしれない。その折には私も「みそ汁の汁の扱いについて」という提題で壇上に上がる所存である。
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