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 暇だなぁ、と思いながら、今日も音楽室の外を眺めている。 

 この場所は、世界から隔離されている。とてもゆっくり時間が流れていく。一歩外に出ると、広がるのは学校というコミュニティで、私たちはただの生徒の一人として、退屈な日々と同化してしまう。しかし、ここに居る時だけは、そんな彼らを少し離れた場所から冷めた瞳で見ていられる。だから私も芹野も、音楽室が好きなのだ。

 今日は今年で一番寒いらしいよ。私は窓に向かって言い放った。私の吐いた息で白く曇った窓ガラスを指でなぞって、意味のない落書きをはじめる。音楽室は誰も使っていないという事になっているので、当然備え付けのストーブも静かなままだ。さすがに、ここまで寒いと風邪を引きそうで、今日はさすがの芹野もどこからか持ち込んだひざ掛けを肩に羽織っている。そのやたらと可愛らしいデザインのひざ掛けと似たような物を、確かみれいも持っていたような気がして、「それは流行りなのか」と聞くと、彼は寒くて人肌恋しいのか、はたまたただの気まぐれか、珍しくにっこり微笑んだ。


 「いいでしょ、これ」


 音楽室に通うようになって一週間は経ったが、間違いなくはじめて見る表情だった。

 芹野はあまり笑ってくれない。ていうか、ちゃんと笑ったところを今まで見たことがない。いつも、私がどんな話を振ってもつまらなさそうにする。私じゃなくて、みれいのような可愛い女の子が一緒に音楽室に、ふたりっきりで居てくれたのなら、芹野はもっとニコニコしていたのかもしれないが、生憎私なんかに付きまとわれたところで、その表情は退屈そうなままだった。だから、私の目をしっかりと見て、ちゃんと微笑んだ芹野を見て、胸が高鳴るような感じがした。よく見なくても整った顔立ちをしている芹野は、よく見てみたら、それはそれは綺麗だった。同じく整った造形をしている香月をイケメンと定義するならば、こっちは美少年。さらさらの黒髪、長いまつ毛の奥の、どこか憂いを含んだ瞳、線の細い華奢な体。

 綺麗なものは見ていると心地が良い。みれいに対しても同じことを思う時がある。どんなに不快になったって、どんなに悲しくなったって、「きれい」の暴力には勝てない。人間は綺麗なものがとことん好きなのである。私も例に漏れず、綺麗な芹野をじっと見ていた。音楽室の外の、色あせた景色を見ている時よりも、意味のある時間のように感じた。


 「……どうしたの、そんなに見てさあ」

 「……嬉しそうだな、って思って。そのひざ掛け、誰かから貰ったの?」


 私も珍しく、穏やかな笑顔を浮かべているのが自分でもわかる。

 芹野は、「べつに」と言って、外を眺める作業に戻ってしまったが、あんなに嬉しそうな顔をするんだから、何かがあったに違いない。

 恋だろうな、と踏んでいた。好きな女の子から貰ったんだろう、と。女の子が使うような可愛いデザインだし、芹野くらい綺麗で頭も良い男子なんて、女が放っておくわけがないし。きっと、特別進学クラスの、大人しいけれど頭が良くて、目立たないけど可愛らしい、そんな子だ。私とは正反対の。授業をよく抜けるせいで目立つけれど不良にはなれない、クラスの奴等とはうまく会話ができない、それでいて頭も悪い、極めつけに容姿もパッとしない、私なんかとは全然違う女の子。悲しくなってきたなあ、芹野はそういう女の子が好きなんだ。


 「好きな子? ねえ、好きな子から貰ったんでしょ」


 あんまり聞いても良い気持ちはしないだろうけれど、そういうのをわざと聞いてしまいたくなるのが私という人間だ。思えば昔から治りかけのかさぶたを剥がすのが好きだった。

 芹野は食い入るように聞いてくる私に対して、面倒だなぁ、と声を零したが、顔は笑っていた。本当に珍しいことだった。いつもなら、絶対に無視されるような問いなのに。

 窓の外からは、体育をしている生徒たちの楽しそうな声が聞こえてくる。芹野は嬉しそうな顔のまま私を見て、そして、普段よりワントーンは高い、あからさまにご機嫌な色を含んだ声で、こう言った。


 「僕だけの秘密だよ」

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