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みれいは洒落た店をたくさん知っている。今日来た喫茶店だって、洋風の小さなお屋敷のような外観をしているし、ウェイトレスの格好もレトロなメイド服でとても可愛らしい。内装も、季節に合った物を飾りつつ、かといって全体の雰囲気を崩しすぎずで、店主のセンスを感じた。そして、この店を選んだみれいにも、ある種の尊敬らしい念を抱く。
私は今三年生で、みれいは一年生だけれど、みれいは私よりも大人びていると感じることがある。私はこれまで、どうでもいい、してもしなくても変わらないような経験ばかり積んできた。しかしみれいは悲しいことも辛いことも経験し、それ以上に「周りからちやほやされる」という、容姿の整った女の子特有の喜びを知っている。こういった女の子には、周りの人間は目に見えて優しい。だから、私の知らない事もたくさん知っているんだろうし、私よりもいつも先の世界を見ている。
こんなお洒落な店に私は不似合いだ。周りもきっと同じことを思っていることだろう。私たち以外の客も、年齢や性別はそれぞれに異なっていたが、みれいと同じく、生まれた時からすでに何かに勝っている、そんな容貌をしていた。たくさんお金を持っていそうなおばさんのグループも、雰囲気がキラキラしている女子大生たちも、きっと居る世界はみれいの側。私が居るべき場所は、もっと暗くて地味なところだ。ここでは私なんかゴミ同然だけど、その地味なところに居れば、今よりは輝ける気がする。だから、できれば早く帰りたかった。私がいるべき場所へ、戻りたかった。
だんだん夕陽が傾いて、白のフリルのカーテン越しに濃い赤の光が透けている。
運ばれてきたケーキを半分くらい食べたころ、友達から電話が来たからと、みれいは席を立ってお店の外へ出て行った。残されたのは、私と、右斜め前に座ってコーヒーを飲んでいる男だけである。
「……ほんっと、邪魔だな」
吐き捨てるように呟いて、その男は私を睨みつける。基本的に私のことはどうでもよさそうな芹野とは違って、こっちは本気で嫌悪を露わにした瞳をしている。
私だって、居たくてここにいるわけじゃない。みれいが私を誘うからだ。私はみれいの誘いをかわせるほど器用ではないし、この彼だって、私とみれいを引き離せば、自分がみれいに嫌われることを知っている。
「……ごめん、香月」
コーヒーをテーブルに音もなく置いて、彼、香月玲史はため息をついた。
香月は私と同じ学年で、クラスはD組に在籍している。みれいに一目惚れをし、二か月くらい前から付き合っているらしいが、みれいはいつだって、何をするにも私を加えて三人で行動したがる。香月にとって、私の存在は邪魔でしかなかった。いつも学校では、イケメンだとか、好青年だとかって騒がれているけれど、誰にでも優しい彼は、私に対してだけ冷たくなる。
みれいは確かに可愛い子だが、他にも女はたくさんいるのだから、さっさと諦めて次に行けばいいのにと助言をしたこともあった。恋人として付き合う事になったって、みれいの中の優先順位はいつも私が先だ。みれいに告白をして、交際を始めた男は今までに何人も居た、しかしその誰もが、その異常性に気付いてすぐに離れていった。香月もそうなると思っていたのに、「俺が本気で可愛いって思える女はみれいだけだし、落としにくい方が燃えるし」なんて寝言を言って、未だにみれいにくっついている。
みれいは、香月の事なんか全然見ていないのに。
「……香月ってさ、もっと遊んでるイメージあったのに、意外と一途なんだね」
「いや、遊んでるからこそああいうのに惹かれるんだよ。従順すぎる奴はつまんないだろ。しかも、みれいは浮気したって許してくれるしな。他の奴と適当に遊びつつ、本命のみれいと距離を縮めていく。うまいやり方だと思うけどね」
「そのうまいやり方に、私は邪魔ってことでしょ?」
「そうそう、わかってんじゃん。金は払っとくから、今のうちに帰りなよ。俺は、今日こそみれいを家に連れ込んで二人っきりにするから」
香月の薄い茶色の髪に、夕陽の赤が差し込んでいる。私はそれをぼんやり眺めながら、もし香月がみれいを家に連れ込み、それこそ二人っきりで一線を越えたのならば、もう彼はみれいのことはどうでもよくなるのだろうか、と考えていた。
香月はみれいという本命が居ながらも、他の女と遊んでばかりいる。みれいは大切ではないのかと聞くと、みれいも大切だと言う。絵に書いたような遊び人だった。その恵まれた容姿と対人コミュニケーション能力ですぐに距離を詰め、誰とでも仲良くなる。私と同じくらい成績も悪いはずなのに、うまく教師のコネを獲得し、卒業の目途だってちゃんと立っている。
みれいと香月は、傍から見ていれば完璧なカップルだった。みれいは、何をするにも私という存在を加えたがるが、かと言って香月の事をぞんざいに扱うわけではない。その場のノリで手も繋ぐし、香月の提案でお揃いのキーホルダーを買ったこともある。だけど、例えばキスをするとか、好きだよとちょっと恥ずかしいことを言い合うとか、そんな恋人らしいことは一切していない。なぜならいつも私がいるからである。さすがの香月も、なんでもない第三者の女の前でいちゃつくのは憚られるらしく、ちょっといい雰囲気がぶち壊されるたびに、非常に嫌そうな顔で私の方を見ていた。
「……あ、帰る前にひとつ、聞いていい?」
みれいは一度電話を取ると会話が長い。だから、まだ帰ってこないと踏んだのだろう。リュックから財布を取り出す私に向かって、香月は言った。
「渡瀬とみれいって、本当に姉妹なの?」
「違うよ」
「じゃあなんで、お姉ちゃんって呼ぶんだよ」
それについて話すと長くなるなぁ、と私は言った。みれいが帰ってくるかもよと付け足した。
しかし香月は、それでもいいから話せと言う。あんまり突然訪れたチャンスだったから、まだみれいを家に連れ込む心の準備が出来ていないのだろうか。私はケーキを切り分ける手を止めて、大した話じゃないけどねと前置きをする。暇だからぜんぶ、話すことにした。
私とみれいは、父親が同じである。私の父と母は結婚して、普通の家庭を築いていたが、その裏で父は職場の若い女と不倫をしていた。その女との間にできた子が、みれいだった。
妊娠が発覚して、私の父は逃げるように会社を辞めた。ちょうど母方の祖母の体調も悪かったから、幼い私と両親は実家の方へ戻って、しばらく静かに暮らしていた。あまり裕福とは言えなかったが、不自由をしたことはなかった。そして私が中学三年生の時祖母が亡くなり、私たちは実家を出て、私の高校入学と同時期に、元々住んでいたこの街へ帰ってきた。
私が高校三年生に上がった時の入学式で、はじめてみれいを見た。可愛い子だと思ったが、私はみれいという名前の、異母の姉妹がいることすら知らなかったので、そのまま見過ごすつもりだった。しかし、みれいは「お姉ちゃん」と私を呼んで、キラキラした目で私の元へやってくる。戸惑う私に、みれいは自分の半生を語った。
不倫相手の子として生まれた自分は、母親に「あんたのせいで恋人を失った」と罵られ、虐待に近い行為を受け、施設に送られた。施設の人達はみんな優しくて、支援を受けながらも、こうやって独立することが出来た。でも、本当はずっと家族に会いたかった。お姉ちゃんを追ってこの高校に入って良かった、血がつながっているたった一人の姉妹を、もう絶対に離しはしない、と。
私は臆病だから、みれいという存在について、両親にまだ聞けずにいる。仲の良い両親の、このささやかな幸せが壊れてしまったらと思うと怖くて仕方がない。みれいの母親が、みれいの名前を若干私に似せたのは、正式に私の父の妻になりたかったかららしい。怖かった。もし、私のせいでお父さんとお母さんが離婚したら、私はどうすればいいんだろう。
「……姉妹、なんだろうけど、私はみれいのこと他人だと思ってる。今更妹を名乗られたって、受け入れられないのが現実」
「……ふーん」
香月は別に興味が無さそうな顔で、コーヒーカップを手に取った。私もできればこの話はあまりしたくないので、無関心でいてくれた方が助かる。
私は、みれいに愛されることに疲れている。そもそも女に好かれたって嬉しくないのだが、こうも盲目的なうえに、香月という全然関係のない人間にさえ迷惑をかけてしまうのだから、みれいはさっさと私から離れて、幸せになる道を選んだ方が良い。
そろそろ帰ってくるかな。私は中途半端にみれいと感覚が合うので、きっと三分後にはここに戻ってくるだろうという、そんな根拠のない予感も、八割くらいの確率で当ててしまう。黙り込んだ香月のまねをして私も黙り、小ぶりのナイフをケーキに差し込んでいく。
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