第5話




──2日後。



俺は、親から借りた通帳を貯金箱に入れた。

さすがに通帳を借りるのは苦労したな。

結局、貸してくれなかったから、保管場所から黙って持ってくるはめに。


そして、気になる通帳の預金額は、320万円だった。


「ということは……」


すごいぞ!

これで、160万円が手に入る計算になる。

俺は身震いがするほど、ワクワクしていた。


「あら~、えいじちゃん、楽しそうね」

「全部、ジェリックのおかげだよ」

「いや~~~~ん、誉められた~~~~。チューして~、ご褒美に熱いチューをして~~~~ん」

「ハ、ハハ……」


う、うん……

あまり余計なことは言わないほうがいいな……


よし、とりあえず仕事だ。

俺は、晴れやかな気分で家を飛び出した。


もうすぐだ。

もうすぐ、俺に大金が手に入る。



──5分後。



「ちょっと、のどが渇いたな」


駅へ向かう道中、俺は自販機でジュースを買おうとした。

朝から何も食べずに来たから、とりあえず飲み物だけでも補充しておかないとな。


「え~と、何にしようかな……」


──その時だった。


「あっ」


お金を投入しようと思ったら、手がすべって200円を自販機の下に落としてしまった。


「まあ、いいか」


だが、俺は気にも止めなかった。

今までの俺なら必死でさがしていたかもしれない。

正直、全くどこにいったのか分からないというのもあるが、それだけじゃない。

今の俺には余裕がある。

もうすぐ大金が入ってくるという余裕があった。



──40分後。



「募金、お願いします~」


職場の最寄り駅に着いた俺の目に、小さな子供達が募金活動をする姿が飛びこんできた。

うん、いいもんだな。

こういう風景は、すごく心を打たれる。

頑張っている姿を見たからか、俺は反射的に、普段はしない募金をすることにした。


だが、ここでちょっとした誤算が。

財布の中の半端な小銭、合わせて100円分を募金するつもりが、間違って200円分を入れてしまった。


自分でも、なぜ、100円分を多めに募金するというミスをしたのか分からない。


だが、まあいい。

全然いい。

この募金が、誰かの役に立つんだしな。

何より、俺には余裕がある。


あぁ。

余裕というのは素晴らしい。

こんなにも、全てに対してやさしい気持ちでいられるんだからな。


「よし、仕事だ、仕事」


俺は、さらに清々しい気持ちで歩みを進めた。



──3日後。



今日は仕事が休み。

俺は電車に乗って大型の電気屋に来ていた。

ここで、新しい携帯用ゲーム機のソフトを買うつもりだが、店に行く途中で、576円分のポイントカードを落としてしまった。


「ハァ……ついてないな……」


この間の自販機で落とした200円や、間違って募金した100円は、たいして気にならなかったが、500円を越える損失は、なんだかブルーな気分になるな。

いくら、いずれ大金が入ってくるといっても、なんだか嫌なもんだ。

やっぱり、こういう所が、俺の貧乏性なんだろうな。

貧乏が染み付いて、小さい男になっているんだろうな。


1時間後、店で買い物を済ませた俺は、アスファルトの地面に目を落としながら、トボトボと駅に向かって戻っていた。


すると、その時――


「あれ?」


ふと足元に目をやると、そこには馬券が落ちていた。


「馬券か……」


拾いあげ、じっくり覗き込むと、つい1時間ほど前に終わったレースだった。


「まさか……いや、でも……ひょっとして……」


俺は気になり、携帯のニュースサイトでレース結果を確認。


「あっ!」


それがなんと万馬券。

160万円の大当りだった。


そのあと、家には帰らず、再び電車を乗り継いですぐに換金に行った。


来た!

ついに来た!


これはまぎれもなく貯金箱の力。

親の通帳、320万円の半分。

160万円が俺に戻ってきた。


やった!

やったぞ!


俺は嬉しさを抑えきれなかった。


だが、実を言うと、その換金所に向かう途中で、携帯を紛失してしまった。

安めだが、2万円もした携帯。

しかし、それほどショックはない。


不思議だ。

人間は実際に大金を手にすると、1万や2万なんか、はした金だと思ってしまう。

さっき、576円の損失でショックをうけていた自分が嘘みたいだ。



──夜。



家に着いてからしばらく経った夜の9時すぎ。

友人から電話があった。

俺がそいつに貸していた『レジェンド・ファンタジー』のソフトを無くしてしまったらしい。

でも、大金を手にした俺は笑いながら『いいよ』と言った。

まあ、確かに『レジェンド・クエスト4』の倍ぐらいは面白かったから、ちょっとショックはショックだけど。

でも、他のソフトを買うだけの余裕があるから、まあ別にいいか。


「えいじちゃん、貯金箱を上手に活用してるわね」

「あぁ、これからも使わせてもらうよ。ただ……」

「どうしたの?」

「何だかついてないことも起こるんだよね。ゲームソフトや携帯もなくなったし……」

「そうなの~、大丈夫? お金に振り回されていない?」

「え? まあ。ちゃんと半分ずつの儲けは出てるし」

「う~ん……」


ジェリックはほっぺたを膨らまし、首を傾げた。


「ねぇねぇ、あたしの説明、ちゃんと理解してる?」

「えっ、もちろん」


説明ってあれだよな。

確か……



《いずれは自分に返ってくるわよ。幸せ2倍、全てが2倍。幸せを掴むため、今日から貯金ライフを始めましょうね!》



って、感じだったよな。


「うん、ちゃんと覚えてるよ。幸せ2倍、全てが2倍って言ってたよな」


その時だった――


「あれ……?」


俺は何かがひっかかった。


「ちょ、ちょっと待てよ……」



《いずれは自分に返ってくるわよ。幸せ2倍、全てが2倍》



自分に……返ってくる……



「あっ! ま、まさか!」


瞬間的に、俺は一つの可能性に気づいた。

勿論、自分の推測だから、当たっているかどうかは分からない。

だが、こう考えれば、全てにおいて合点がいく。


「なあ!」


俺は慌てて尋ねた。


「『返ってくる』の意味って『半分返ってくる』の他にもあるのか?」

「ピンポ~ン! さすがえいじちゃん!」


でも、とジェリックは言った。


「あたしが教えてあげられるのはここまで!」

「え! なんでだよ!」

「あたしは、もう一人の所へお礼しに行かなきゃいけないし~、なにより、お金を支配できるかは、えいじちゃんの頑張り次第なのよ~」

「俺の頑張り……?」

「そうよ。ここでお金持ちになれるかどうかは、えいじちゃん自身が頑張らなきゃ。誰かに教えてもらうんじゃなくて自分で見つけなきゃ。今回は乗り越えられても、これから先、結局はどっかでお金に振り回されることになるわよ」

「え……」

「じゃあ、頑張ってね~! バイバイ~、チャオ~!」

「お、おい! 待てよ!」


ジェリックは、そう言うと、夜の町へ消えていった。

だが、今の説明で充分だった。


そう。

この貯金箱は、決して『入れた分の半分が返ってくる』という夢のような貯金箱じゃない。


おそらく『楽して金は稼げない』という意味だ。


「ちょ、ちょっと待てよ……」


俺は記憶を辿り、今までの出来事を整理してみた。


最初、貯金箱に百円入れたら、牛丼屋で50円のクーポンをもらった。

でも後日、自動販売機でジュースを買おうとして200円を落としてしまった。


他にもまだある。


貯金箱に288円を入れたあと、スーパーで買った『ほうれん草のおひたし』の代金、144円をレジの人が打ち忘れて得をしたことがあった。

だが後日、ゲームを買いに行く時、288円のちょうど倍、576円のポイントカードを落としてしまった。


「あっ、そうだ……」


まだある。

他にも、まだまだある。


考えれば考えるほど、あの貯金箱を手に入れてから、同じようなケースを何度も経験している。


「や、やっぱりそうだ……絶対そうだ……」


半分返ってきても、元の2倍になって出ていく。

楽して稼ごうとした怠慢な自分に、しっぺ返しとして返ってくるという意味だったんだ。


「ま、まずい……」


俺は顔が真っ青になった。

なぜなら、あの貯金箱に、320万円の預金額がある通帳を入れてしまったからだ。

ということは、その倍、640万円が自分の手元から出ていくということになる。


「う、嘘だろ!」


俺は、唇がガタガタと震え始めた。


「ど、どうしよう……ジェリックが帰ってくるのを待って助けてもらおうかな……」


い、いや、おそらく無理だ。

いくら頼んでも無理だ。


ジェリックは、自分でお金を支配する方法を見つけろと言っていた。

それに、もう別の誰かの所に旅立ったから、ここには帰ってこないと考えたほうがいい。


と、とにかく、とにかくだ。

もう貯金箱に入れるのをやめなくては。


俺は今後のことを考えた。

おそらく、640万円が、何らかの形で出ていく。


ど、どうやって、金を工面したらいいんだ??


俺は脳をフル回転させて、必死で考えを張り巡らせていた。



――すると、その時。



「あっ……」


俺の携帯電話に着信が入った。


「おやじ……?」


そう。

それは、父親からだった。


「もしもし」


俺はすぐに電話に出た。


「どうしたの?」

「おまえ、通帳知らないか?」

「え?」

「この間、貸してくれとか言ってただろう」

「あ、あぁ……ごめん、すぐ返しにいくよ」

「やっぱり、おまえか。なんか変なことに関わってるんじゃないだろうな」

「何でもないよ、大丈夫だから」


俺は平静を装おうと必死だった。

とにかく、言い訳も考えつかないほど、パニック状態だった。


「まあ、いい。とにかく喜べ」

「え?」

「実はな……」


父親は、嬉しそうに言った。


「5千万円が手に入るんだ。おまえにも1千万ほどあげるからな」

「え……?」

「宝くじが当たったんだ」

「な、何だって!?」


ま、まじかよ!

それはまさしく、天から舞い降りた救いの糸。


やった!

助かった!


俺は救われた。

絶望のふちで救われた。

これで、全てが解決できると思った。


──だが。


「それでだ……」


父親は言った。


「だから、通帳が必要なんだ」

「え?」

「あの通帳の最後のページに、宝くじが3枚挟まってるだろ? 3枚だから当たるわけないと思いながら、一応、番号は控えといたんだ」

「え……」


俺は電話を持ったまま固まった。


う、嘘だろ……


もう、その宝くじは貯金箱に入ってしまった。

ということは、5千万円を入れたと同じこと。

たぶん、半分の2500万が何かしらの形で返ってくる。


でも、俺は何かしらの形で1億円を払わなければいけない――


「ど、どうしよう……」

「何だ? まさか通帳、無くしたんじゃないだろうな?」

「いや……すぐに渡すよ」


貯金箱に入ってしまったものは、取り出しても効果は消えない。

1億という大きなしっぺ返しは、確実に俺に跳ね返ってくる。


最悪だ。

俺の人生、最悪だ。


なんで……なんでこんな事に……


「あぁ……そうか……」



ハハッ……答えは簡単だ……





俺は



お金に負けたんだな







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