024 : The Palace in Flame -1-

「ともかく、犯人は絶対に捕まえないと」

 出し抜けにアルトがそう言うと、他の四人はどうやら驚いたようだった。

 森を抜けた、馬番の小屋でのことである。アルト、デュオ、ナファン、シロフォノ、クロトゥラの五人は、小屋の粗末な机にマラキア宮の見取り図を置いて頭を付き合わせていた。他の馬番には簡単に事情を話し、小屋の周りの見張りについてもらっている。

「そうじゃないと、父上に申し開きできないし。――けどまずは、いざという時の為に人を避難させないと。それに不審な人物を見たら知らせるように、注意を呼びかけなくちゃいけない。この時期は東からの風が強いから、南にある貴族の屋敷をひとつ、避難場所にしよう。それから……」

 一旦言葉を切って、アルトは見取り図から視線を上げた。見ると、四人ともがきょとんとした顔でアルトを見ている。

 「なんだよ?」とアルトが問うと、言葉を選ぶように、慎重にクロトゥラが答えた。

「ナファン殿が見取り図をとりに行く間、一言も喋らないもんだから、てっきり……」

「まだその、落ち込んでるのかなって」

 クロトゥラの言葉を受けて、シロフォノが締める。アルトはつまらなそうに一度口をつぐんだが、すぐに何事もなかったかのように続けた。

「もしかすると、相手はもう近くに潜んでいるかもしれない。そこを叩ければ、一番良いけど」

「いや、ごめん」

「ほんと、ごめん」

 話が進んでしまったのを見て、クロトゥラとシロフォノが交互に言う。アルトはふと、笑みを浮かべた。とはいえ、自分の心が緩んだのを感じて辛うじて笑った、というだけの笑みである。

 次から次へと考えなくてはならない事柄が頭に浮かんで来て、人の言葉にうまい対応ができないのだ。

「それにしても、マラキアに火が放られるなど……」

 ナファンが呟く。アルトは苦笑して、「やっぱり、信じられないか?」と尋ねた。

 デュオとナファンには、シロフォノ達へ説明したのと同じ程度に事情を話してある。ナファンは困り顔で一瞬デュオを見て、そのまま項垂れた。

 その奥に座るデュオはと言えば、いつの間にか視線を見取り図へと移し、何かを考えるように黙り込んでいる。アルトは生唾を飲み込むと、何でもないかのように話しかけた。

「ところで、デュオ。さっき、今のマラキアがどうとか言ってたよな。それ、どういう意味だったんだ?」

 突然名を呼ばれ、デュオは一瞬、はっとした様子で視線を泳がせる。しかしやはり何でもない調子で、答えた。

「ああ、そのことか。――おまえがマラキアを発ってからの七日のうちに、貴族の移動があってな。マラキアを引き払ってメレットやスクートゥムへ行く人間もいれば、逆にスクートゥムからマラキアへ来たのもいる。どっちにしろ、向こうから来た奴はみんなこの数日の間にマラキアへ着いたわけだから、おまえがマラキアを発つより随分前に、皇王からその命令が下っていたんだろう。向こうは、たどり着いてみれば宮殿の主と入れ違いだってんで、随分驚いたみたいだったぜ」

「具体的に、どう変わったんだ?」

 アルトが尋ねると、デュオが一人ずつ声に出して貴族の名を挙げ、ナファンがそれを紙に書き出した。アルトはメモを受け取って、眉根を寄せる。

 マラキアを出て行った人数に比べ、マラキアに来た人間の数はあまりに少ない。確かに宮殿の主がいなくなった今、おかしいことではないだろう。しかし……

「ソーリヌイ侯……? あの人は、監視のためにスクートゥムに置かれているんだと思ってた」

 ソーリヌイ侯といえば、フェイサルやミラフィの父親の名である。アルトにも血縁がある男だが、アドラティオ四世が即位をする際に王位を狙って対立し、王族の血筋であるにもかかわらず投獄されていた経歴がある。それ以来、その一族や当時ソーリヌイ侯に属していた人間とは隔離され、スクートゥムで暮らしていたはずだ。

「その通りでございます、殿下。しかし現在のマラキア宮殿内では殿下を除き、王の血筋に一番近しい人物がソーリヌイ侯であるということもあり……」

「のさばってるわけだ」

 クロトゥラの素っ気ない言葉を聞いてナファンはいささか顔をしかめたが、言い直すことはしなかった。恐らくは、実際そういうことなのだろう。

「なるほど」

 アルトは短く言って、もう一度貴族のリストに目を落とす。

(マラキアに残っている貴族は、合わせて十氏族。俺の世話をしてくれた使用人達の他に、それぞれの屋敷にも仕える者達がいる……)

 クロトゥラも言っていたが、やはり誰もがアルトの話を信じるとは考えにくい。もしも信じたとして、それだけの人間が万が一パニックにでも陥ろうものなら、――考えるだに恐ろしい。

 アルトがもう一度見取り図の方へと視線を移すと、シロフォノが言った。

「南の方に避難所を設けるなら、僕らが初めに会った闘技場はどう? それならもしもの時も煙や炎の中に閉じ込められる心配はないし、安全だと思うけど……」

「闘技場?」

 尋ね返して、アルトは思わず瞬きする。確かに、その通りだ。何故思いつかなかったのだろう。闘技場ならばそもそも燃えるものが少ないし、大勢の人間を収める十分な広さがある。その上、そう、そこは『闘技場』なのだ。

 アルトはぱっと表情を明るくして、思いついたままにこう言った。

「ナファン、大急ぎで箔圧しの便箋を準備してくれ。ペンとインク壷も!」

「び、便箋でございますか……?」

 アルトの意図をはかりきれずに、ナファンが首を傾げ躊躇いがちに尋ね返す。アルトははっきり「そう」と答えると、見取り図を指さし話し始めた。

「俺がウラガーノを抜け出してから、三日。そろそろスクートゥム近衛騎士団の方から、早馬でこっちにも書面で連絡がくるはずだ。その中身を、俺が今から書く手紙と入れ替えてほしい」

「それは……構いませんが」

 ナファンは言ったが、まだどうやら解せない様子だ。アルトは悪戯を思いついたかのような顔でにやりと笑うと、指でとんとんと見取り図を叩いた。

「早馬が持って来た手紙は、旅先で俺がしたためたってことにする。手紙の内容はこうだ。『父王の命を受けスクートゥムへ向かうにあたり、我が故郷マラキアからの勇士を募り、心服の友としたい。マラキアでは即刻闘技会を開き、心身ともに鍛練されし者を送るべし』って」

 アルトは悠々とそう言って、見取り図から視線を上げた。しかし誰もがきょとんとしたまま、一瞬の間声がない。

(駄目だったかな?)

 良い思いつきだと思ったのだが、流石に無茶があっただろうか。アルトが困ったように頬を掻くと、デュオが「妙案かもしれんな」と呟いた。

「し、しかし闘技会とは……」

「確かにそれなら、大勢をごく自然に闘技場へ集められる……。けどアルト、事情を説明せずに闘技場へ集めるだけじゃ、防災にはならないぜ?」

 混乱するナファンの言葉を遮って、クロトゥラが言う。アルトはうん、と頷いて、デュオの方へと視線を移した。デュオもそれを予期していたのか、いささか硬い表情で、アルトの方をじっと見ている。

 そんな中でデュオと目があったのは、勿論自然なことだった。

 いくらか皺のよった、デュオの目許。今までに何度もアルトを助け、励まし続けた目だ。『アルト』の名前をくれた時から、その目の力は変わらない。

「――デュオ」

 アルトが声をかけると、デュオはいつもの目のまま、浅く頷いた。そういえば、いつもこうだった。貴族たちの陰口に心を傷めた時、父王への不満でいっぱいになった時、デュオはいつも、何も言わずにアルトの言葉を促した。

――お考えください! あの男が、あなたさま、そしてあの方に何をしたのか――

 いつの間にか硬くなってしまった表情をほぐすように、アルトはおずおずと笑いかける。

 それが精一杯だ。けれどそれは、決して無理やり笑みの形を作ったわけではなく、ただ気持ちのままの動作だった。

「デュオ。このマラキア宮の中に、あんたの下について働いてる人間はどれくらいいる?」

 素直に尋ねる気持ちが半分、鎌をかけたのが半分。

 アルトの言葉は穏やかだった。隣でナファンが顔を青くしたのがわかったし、双子の近衛が問うように、アルトを見ているのもわかっていた。

 デュオは一瞬だけ驚いたように眉を動かして、それから苦笑半分といった様子で目を細める。

「今の俺は、一介の馬番だ」

「だけど、以前からずっとってわけじゃない」

「そうだ。――俺は昔、このブリッサ地方にあった、バラムって城の城主だった」

 はっきりとした言葉でそう言われ、アルトは思わず息を飲む。

「バラムだって……?」

 今ではこのクラヴィーアのどこにも存在しない、しかし耳に覚えのあるその名前に、アルトは即座に聞き返す。

 ナファンがデュオの隣で、縮こまるように肩を丸める。デュオだけが落ち着いた様子でささくれ立った机に手を置き、続けた。

「そう、バラム城。――このマラキア宮の、昔の名前だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る