005 : The Imperial Guards -2-
「お前達、その方をどなたと心得ているのだ! スクートゥムの近衛騎士が、何故こんな所にいる。殿下との手合わせだというのに、正式な手続きも取らないで!」
唖然としている双子の騎士達から視線を逸らして、アルトは居心地悪く咳をした。しまった。さすがにここへまでは、探しに来ないと思っていたのに。
「……殿下?」
再び顔を引きつらせたクロトゥラが、信じられないといった口調で呟いた。
「殿下ってもしかして」
続いて、今度はシロフォノが言葉を零す。
「「――アーエール殿下!」」
二つの声が重なって、声の主達が同時に臣下の礼をとった。アルトは深く溜息をついて、手にしていた剣を置く。
「顔を上げてくれ。お前達に非はないのだから」
「先ほどは貴殿がアーエール殿下であることにも気づかず、大変ご無礼を致しました! なにとぞお許しください!」
クロトゥラが、顔は上げないままそう言った。
申し訳ないを通り越して、なんだか惨めになってくる。アルトは渋々、入り口から歩いてくる二人――執事のナファンと、デュオを振り返る。
「アーエール殿下。お姿が見られないと思ったら、またその様な格好で!」
ナファンの顔が、怒りで真っ赤になっていた。かなりまずい状況である。アルトはこっそり、その隣に立っているデュオの顔色を窺った。今はデュオがこの場に居合わせてくれたことだけが、唯一の救いに思われる。恐らくナファンに言いつけられて、アルトを探す手伝いをさせられていたのだろう。デュオがあちらの手にいたのでは、なるほど、彼らが闘技場へまでアルトを探しに来たことも頷けた。
「その上、近衛騎士と手合わせなどと……。皇王陛下がいらしているこのような時期に、殿下の身に何かあっては……!」
「何もなかったじゃないか」
「結果について申しあげているのではありません! ああ、だから殿下の出歩きには十分注意するようにと言いつけているのに……」
ナファンのわめきが、しばらく続く。アルトはそれを聞き流しながらもう一度双子の騎士達の方へと視線をやって、困ったようにこう言った。
「ナファン。この二人は、私が無理を言って付き合わせただけなんだ。いつまでもこうして待たせるのも気の毒だし、先に帰して良いだろうか」
「なりません!」
あまりの剣幕に、アルトは思わず目を閉じる。恐る恐るナファンを見ると、彼は憤懣さめやらぬ様子で、今度は騎士達を睨み付けていた。
「名は」
「クロトゥラ・ドゥ・トゥ・カンシオンにございます」
「シロフォノ・ドゥ・ラ・カンシオンにございます」
二人の声には若干の緊張が見られたものの、焦るでもなく、脅えるでもない、存外に穏やかな返答であった。その様子に肩すかしを食らったのか、それとも何か思うところがあったのか、ナファンが一度溜息をついて、こう続ける。口調は幾分落ち着いた様子だ。
「その制服、少年兵ですか。なんにせよ、処分をしないわけにはいかないでしょう。騎士団長と話をつけなければなりません」
聞いて、慌てたのはアルトである。自分を試合に加えるように頼んだのも、身分を明かさなかったのも、全てアルトがしたことなのだ。まさかそんな大事になっては、この二人に顔向けできたものではない。
「待ってくれ、ナファン。言っただろう。私が付き合わせただけなんだ。彼らは元々、スクートゥムからの長旅で疲れていただろうに、自分達の腕を磨こうとここで稽古をしていただけ。私が王子であると気づかなかったのも、私の身なりがこれでは当然だろう。この二人には非など無い」
「確かに殿下もお悪うございます。しかし殿下、事情はどうあれ正式な手続きもせず、殿下に刃を向けたのですぞ」
「稽古用の剣だ。研がれてもいない。それに私が許可した」
「それでも近衛騎士の腕ならば、十分大怪我に繋がる可能性もございます」
ああ言えばこう言う。アルトが仏頂面をすると、ナファンもまた眉間にしわを寄せた。
膠着状態が続くかと思われたその場を丸く収めたのは、それまで黙って様子を眺めていたデュオだった。
「まあまあ、ナファン殿」
苦笑しながらそう言って、アルトとナファンの間に割って入る。ナファンはやれやれといった感じで溜息をついたが、いつの間にやら顔の赤みはおさまっていた。
「殿下もこう仰っているのだ。この場は良しとしては」
ナファンはデュオ、双子の近衛、アルトと視線を移してから、渋々頷いてみせる。
「わかりました。近衛の二人の処分については、不問としましょう。……ただしアーエール殿下。殿下の出歩き癖については、その限りではございません」
「わかってる。晩餐を終えたら勉強でもなんでもするから、ともかく先に帰っていてくれ」
「この期に及んでまだ何かおありなのですか。今、共に宮殿へ戻りましょう」
「嫌だ」
「殿下」
まだここで、するべき事があるのだ。アルトが黙ったままでいると、ついにナファンも根負けする。必ず晩餐には間に合うように戻ると約束すると、渋々ながらもデュオと共に宮殿の方へ去っていった。
二人が闘技場を出たのを見て、アルトはふう、と溜息をつく。未だに臣下の礼をとったまま顔を上げようとしない双子の騎士を見下ろすと、アルトはまず、こう言った。
「すまなかったな。本当に」
「殿下、その様なお言葉は」
「わかっている。だから執事達を先に帰したんだ。二人とも、顔を上げてくれ。頼むから」
アルトが言い終わらないうちに、尊大さすらうかがえる不機嫌そうな顔でクロトゥラが顔を上げた。逆にシロフォノはそのままの体勢を崩さない。クロトゥラは「ちょっとすみません」と言うとシロフォノに歩み寄り、何の予告もなしに兄の背中へ蹴りを入れた。蹴られるままシロフォノが地面に倒れたのを見て、アルトは慌てて声をかける。
「な、何をしてるんだ」
「いいんです、殿下。こいつ、あのままの姿勢で寝てたんです」
アルトが面食らって様子を見ていると、寝ぼけた声をあげたシロフォノが、ようやくのそのそと立ち上がる。そうして彼は弟を見て「あれ、終わったの?」と間の抜けたことを言った。その後でようやく傍らに佇んだアルトに気づいた様子で、にへらと笑う。
「ごめんなさい。殿下が僕達のために言ってくれてるんだってわかってたんですけど、どうも僕、叱られると眠くなっちゃって」
「バカ、そうじゃないだろ。俺たち危うく免職だったんだぜ」
「わかってるよ。でも、そうならなかったんだから良いじゃない。クロちゃんってばお堅いなあ。そう思いませんか、アーエール殿下」
「シロフォノ、おまえな! 大体おまえが……」
クロトゥラが何かを言いかけて、やめた。アルトがすぐ隣で、声を立てて笑い始めたからだ。つられるように、シロフォノも笑う。クロトゥラだけが困惑した様子で二人を交互に見ていたが、しまいには諦めたのだろう。いくらか苦い表情で、ナファンが戻ってくるのではと懸念するように闘技場の入り口を眺めていた。
「おまえら、危機感無いんだなあ……!」
笑いながらアルトが言うと、楽しそうにシロフォノが返す。
「だってもしも今から『やっぱり免職処分』なんて事になっても、アルトが頑張ってくれるでしょ?」
あっさりと、それもごく自然にその名で呼ばれたことに驚いて、アルトは思わず笑いを止めた。シロフォノとクロトゥラが、同時にアルトの方を向く。二人と目があって、アルトは自分でも気づかないうちに笑んでいた。
「勿論。さっきの状況でお前達に処分がいったら、目覚めが悪いじゃないか」
言いながらふと急に、アルトはどこか遠くから、第三者として今の自分を眺めているような錯覚に襲われた。自分と、そう歳の変わらない二人の近衛。三人で話している様子は、周りからはどう見えるのだろう。王子と近衛の主従関係か、それとも。
アルトは静かに首を横に振って、空を見上げた。大分日が傾いている。そろそろ帰らなくては。
舞台から降りたアルトは、調子を変えるために一度大きく咳払いをした。それから近衛の二人に向けて、殿下と呼ぶに値するような優雅な素振りで、言う。
「おまえ達の試合、見ていて楽しかったよ。どうかこれからも、国のために励んでくれ。……この闘技場のことは開放するように言っておくから、滞在中は自由に使ってくれて構わない」
名残惜しいが、仕方がないことだ。アルトがそう言うと、シロフォノがにこりと笑う。
(スクートゥムの近衛騎士だ。今後、またいつだって会えるさ)
そうだ。今日こそ父王に、首都スクートゥムへ行く許可を願ってみよう。アルトはそう考えて、二人に背を向けた。
「アーエール殿下」
入り口まで歩いたところで、騎士のどちらかが声をかけてきた。振り返ると、意志の強そうな真っすぐな瞳が、アルトを見ている。クロトゥラだ。
「闘技場の件、感謝いたします。我々がここに滞在する期間は長くありませんが、その間は殿下のご厚意に甘え、稽古に励ませていただきます」
アルトは微笑んで、頷いた。今度こそ去ろうかと振り向きかけると、続けざまに声がする。
「ところで正式な手続きさえ踏めば、また殿下に稽古をつけていただけるのでしょうか?」
今度はシロフォノだ。驚いた。まさかそんなことを言われるなどとは、思ってもみなかったのだ。
「懲りないやつだな」
思わずそう言うと、双子の騎士達がそれぞれに悪戯っぽく笑う。
アルトは満面の笑みを浮かべて、浅く頷いた。それから一度咳払いをして、「構わない」と答える。
「また明日、お会いしましょう」
シロフォノの言葉に「また明日」と返して、アルトはその場を後にした。
アドラティオ四世と話していた時、アルトと王は親子に見えただろうか。
双子の騎士達と話す時、アルトと彼等は友人同士に見えるのだろうか。
闘技場から外へと続くアーケードをくぐりながら、アルトはそんなことを考えていた。――そこへどこかから、声がかかる。
「ようやくお帰りかい? 随分楽しそうだったな」
声の主は、すぐにわかった。アルトは声のした柱のほうへ視線を向けると、不満げな声でこう言った。
「ちゃんと帰るって言ったじゃないか。俺って、そんなに信用ないのか?」
柱の影から現れたのは、デュオだ。ナファンは先に帰ったのか、姿が見えない。
「信用してないわけじゃないさ。今日は忙しくてかまってやらなかったから、膨れているかと心配でな」
「俺はそんなにガキじゃない」
そうは言ったが、デュオに話したいことがあったのも事実である。アルトは宮殿への道を歩きながら、少し迷った後、切り出した。
「デュオ、実は……。ちょっと、相談したいことがあるんだ」
「相談? 珍しいな。一体どうした。何か、へまでもやらかしたのか?」
「違う。それが……」
そこまで言って、アルトは一瞬言いよどむ。
「……最近、夢を見るんだ」
「夢?」
「もうここ三日ほど、毎晩同じ夢を見る。俺より少し年下かな。女の子が出て来るんだけど……その子、いつも泣いてるんだ。いつも泣きながら、遠くの方で光ってる、暖かい光りを眺めてる。でも、絶対それに近づこうとはしないんだ」
デュオが溜息をつきながら、「へえ」と相槌を打った。
「いつも話しかけようって思うんだけど、どうもきっかけがつかめなくて。それにその……もし、それがただの夢じゃなくて物の怪だったりしたらと思って、どうも声がかけにくいというか……」
「その子の方は、おまえに気づいてるのか?」
「どうだろう。でもいつも遠くの方を見てるから、気づいてないのかもしれない。ところで、デュオ――」
デュオのほうへと視線を向けると、彼はアルトから視線をそらし、手で自らの顔を覆っている。肩が小刻みに揺れていた。
「デュオ……?」
「ぶっ」
アルトが声をかけようとしたのと、デュオが吹き出したのとは同時であった。アルトは驚ききょとんとしたが、すぐに顔を火照らせて、顔を背けた。言うのではなかった。後悔の気持ちでいっぱいになる。
「はは! なに、真面目になってんだ。たかが夢の話だろ?」
「わ、笑うな! 毎晩だ、毎晩同じ夢を見るんだぞ。デュオだって、少しは妙だと思うだろ!」
「毎晩会うのに、まだ声もかけられねえのか。しかも理由が物の怪……ははは!」
アルトはしばらく閉口したが、沸き上がる怒りに、そのうち声を荒げた。
「お前なんかに相談した、俺が馬鹿だった! それにその、も、物の怪っていうのは念のため考えた一つの可能性であって、今晩こそ話しかけようと思ってたし、……ああ、もう、いい加減に笑うのをやめろ!」
叫ぶようにそう言うと、デュオは何とか笑いやんで、それでもまだどこかに笑いを含んだまま、続けた。
「わかったわかった。ま、頑張れよ。それよりほら、今日はどうやって部屋へ戻るつもりなんだ?」
「うるさい。侵入経路を知られてたまるか」
デュオを睨みつけると、宮殿の裏へ向かって歩きだす。デュオがまた小さく吹き出したのが聞こえて、アルトは肩を怒らせ振り返った。
「デュオになんて聞くんじゃなかった」
「まあまあ、そういじけなさんな。……ところで、アルト」
「何だよ」
また何かからかわれるのではと身構えたが、デュオにその気はないようだ。
「その夢、出てくるのは女の子一人なのか? 他に、奇妙な動物なんかは?」
「出てこないけど……。信じてないんじゃなかったのか」
アルトが言うと、デュオは再びにやりと笑う。
「最近、同僚が夢占いにはまってるんでね。聞いておいてやるよ」
いつもの調子でそう言って、軽く手を振り去って行く。アルトはその場に取り残されて、しばらくの間、デュオの背中を見送った。
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