003 : Wanna Be...
宮殿の入り口で皇王を迎え、形式張った挨拶をする。アドラティオ四世と呼ばれるこの男が自分の父親であることを、アルトは常に頭で理解しようと努めていた。アルトにはもとより普通の親子がどんな会話をするのか、知るところでは無かったし、この男に何か親らしいことをしてもらったかと言えば、やはり記憶には無いからだ。
それでも、親子の再会は感動的なものであった。否、そうなるように様々な演出が施されていた。
宮殿の入り口まで出向いたアルトの前に、アドラティオ四世の乗った馬車が止まる。従者たちの手により馬車から宮殿までに王のための道が敷かれ、馬車の扉が開かれた。
使用人や貴族達の、声無きどよめきそして畏敬。王は外交へ行くかのような身なりで場に現れ、一同へ柔らかく微笑みかける。
アルトは臣下の礼を取り、皇王の前へと跪いた。
「大きくなったな、アーエール」
「お待ち申し上げておりました、父上」
「そう堅くなるな。さあ、立て」
立ち上がったアルトの肩を、皇王が両手で柔く抱く。同時に大きなファンファーレが鳴り、辺りにはにわかに拍手が起こった。
(戴冠式じゃあるまいし)
アルトは心中、毒づいた。こうなると、直前までの緊張ももはや何でもない。まるで自分が役者に仕立て上げられたかのような居心地の悪さばかり感じられて、毒でも吐かなければやっていられなかったのだ。
実際、三年ぶりに会った父親に肩を抱かれても、アルトには何の感慨も沸いてはこなかった。この王はどうなのだろう。三年ぶりに会った自分の息子に、思うところはあるのだろうか。
(まさか。これだけ長く捨て置いて、今更感慨も何もあるわけないさ)
そう考えて、苦笑する。
期待をしたら負けてしまう。考えるだけ、馬鹿馬鹿しい。
「スクートゥムからの長旅で、お疲れでしょう。湯と菓子を用意しました。他にも、何かあれば何なりと」
はやくこの場を逃れたい。こんな大衆の目の前で、いつまでもくだらない見せ物を続けるなんて、滑稽にも程がある。
アルトの心中を知ってか知らずか、アドラティオ四世はアルトの肩から手を放し、宮殿の方へと視線を移した。アルトは先導するためにその前へ立ち、宮殿内の普段の様子、噂話など他愛のない、しかし二週間前から用意してあった話をしながら、宮殿内を案内して行く。
これくらいやれば、親子に見えるだろうか。
(いや、まだだ)
父王の訪問が決まって以来これまで、もう何度もこの日のことを思い描いてきたのだ。思っていたのは、こんなものではなかった。
もう少し寄って、歩調をあわせて、もっと、笑顔で。
「御滞在中は、客間を使ってください。給仕の女達が、もう三週間も前から父上のために模様替えをしておりました。きっとお気に召すでしょう」
アルトの話に、大抵の場合父王は、そうか、そうかと相槌を打つ。それで良いのか、そうでないのか、アルトにはよくわからない。ただ、客間の話をした時に返ってきた答えには、少々言葉を詰まらせた。
「おまえの話には、使用人のことがよく出てくるな」
褒めるでもない、詰るでもない、平坦な口調であった。しかしアルトは咄嗟に「身の回りを支度してくれる者達だから、自然と目につくのでしょう」と、言い訳じみた言葉を返す。
しまったとは思ったが、今更取り消す訳にはいかなかった。大体、貴族たちと話すのが馬鹿馬鹿しくなって孤立しているのだなどと、どの口が言えるだろうか。
幸い、アドラティオ四世はとくに気に止めた様子も無く、相変わらずの口調でただ「そうか」とだけ答えた。
父王が使用人を引き連れて、客間へと入っていく。アルトはその姿を見送って、ぽつりと、言った。
「どうぞ、おくつろぎください」
父王の姿が、扉の向こうへ消えていく。アルトはその時になって初めて気づいた。
(父上は、一度だって俺の目を見ようとはしなかった……)
会話の内容を、思い返す。王は常に心ここにあらずといった様子で、アルトを気にかけた気配はない。
それでも良いのだろうか。自分は、間違ったことをしなかっただろうか。アルトは自問した。
三年ぶりの再会でも、これで親子になれるだろうか。
アルトは閉じられつつある扉に向かい、深々と臣下の礼を取った。
雑用は全て、使用人たちが済ませてくれる。アルトは自室に戻るなり王家の紋章の入った服を脱ぎ捨てて、ベッドの下へ隠してあった、使用人用の古着を取り出した。慣れた手つきで長い髪を結わえ、帽子の中に片付ければ、あっという間に準備完了だ。
窓を開いて、下を見下ろす。誰かが通る気配はない。アルトの今いるこの部屋は二階にあるが、ここから下へ降りるくらい、わけはなかった。窓の脇に立つ木は細身で、大人が上り下りするのは不可能だろうが、年齢の割に小柄なアルトが少し体重をかけた程度で、折れるような柔な代物でもない。
窓についた侵入よけに気を配りながら、そっと枝へと手を伸ばす。しかし同時に背後から聞こえた物音に、アルトは思わず身構えた。
振り返れば給仕の女が、扉のノブに手をかけたまま、呆れた様子でこちらを見ている。女は何も言わずにまず扉を閉めると、押し殺した声で「アーエール殿下!」と睨め付けた。
「そんなところで、何をなさっているのです!」
「何って、ほら、外の様子を見に行こうかと」
冷や汗をかきながらそう言って、にこりと微笑みかけてみせた。給仕の女がたじろいだのを見て、とりあえずは、後ろ手で窓をぱたりと閉じる。
「誰かに告げてから行こうかとも思ったが、皆忙しそうだったから」
「アーエール殿下。何故皆が忙しくしているのか、殿下ならよくご承知でしょう」
「それはまあ、父上がいらしているからだろう」
「そうです。それなのにこの宮殿の主たるアーエール殿下がその様な身なりで外を出歩かれて、もしも皇王陛下に知れたらどうなさるおつもりなのです」
段々と、声の調子が上がっていく。アルトは慌てて女の口へ手をやると、「しいっ」と言って耳をそばだてた。マラキア宮の壁は厚い。そう簡単に外へ声が漏れることはないだろうが、注意をするにこしたことはない。
「本当に、もう、殿下ったら」
困り果てたような声で、給仕の女が呟いた。
「皇王陛下を迎えられるお姿を拝見して、もう大人におなりなのだと思ったばかりでしたのに」
言われてアルトは苦笑する。それでもちらりと窓の外を見て、「頼むよ」と声をかけた。
「人が沢山いるマラキア宮を、自由に出歩いてみたいんだ」
「人が沢山いるだけで、いつもと何ら変わりありませんよ」
給仕の女はそう言ったが、どうやら観念したようだ。ベッドの上に脱ぎ捨てられていた衣服を手に取ると、綺麗にたたみながらこう言った。
「もしも誰かに見つかろうものなら、殿下のお留守の間に、変装セットを全て隠してしまいますからね」
「大丈夫、大丈夫。さすが話がわかるなあ」
「ですが、窓から出かけるのだけはおやめ下さい。いつか殿下が転落されるのではと、皆不安に思っております」
言い終えた頃には、もう遅い。
アルトはとっくに窓から身を乗り出して、木の枝に足をかけていた。身軽な動作で下まで降りて、笑顔で窓を振り返る。
「殿下ったら!」
呟いたのだろうその言葉が、やけにしっかりとアルトの耳まで届いた。アルトは何ともなしに手を振ると、さっさと道を駆けていく。人の多くいる様子を見たいのだとは言ったが、そんなつもりはさらさら無い。
(いつもみたいに閑散としている方が、落ち着きがあって余程良いな)
他の使用人達に紛れて道の端を歩き、貴族とすれ違うときには帽子の鍔に手をやって、軽く会釈をする。そうした方が、顔を見られずに済むからだ。
使用人の真似をするのは得意である。もう少し幼かった頃にはよくこうして、退屈な授業から逃げ出したものだ。
アルトは、マラキア宮の領土内にある大型闘技場へ向かって歩いていた。
(晩餐までには時間がある。ずっと部屋の中で待機なんて、やってられないな)
その点、闘技場ならば今日という日も閑散として、落ち着きのある時間を過ごせるに違いない。もとは各地から取り集めた戦士達を闘わせ、それを観戦するために作られたものだと聞くが、如何せんアルト自身にそういった催しものを起こそうという気がないものだから、脚光を浴びることは滅多にないのがこの闘技場の常である。そこでなら、夕食までの間を少しでも静かに、広々と過ごすことができるだろう。
途中で、何人かの庭師たちとすれ違う。アルトがあえて帽子をあげ、にやりと笑うと、誰もが気さくに笑顔を返してくれた。
石で作られた闘技場の正面には、本部と審判席が、その奥には王族のためにしつらえられた特別観賞席がある。アルトはその反対側にある観客席から中に入り、すぐに足を止めた。――先客がいる。
刃と刃のぶつかる金属音。舞台の上で闘っているのは二人。どちらもスクートゥム近衛騎士団の制服を身につけているから、恐らくはアドラティオ四世に従軍して来た首都の兵士だろう。まだ随分若く見えるが、それでも十分に腕のいいことが知れた。引いて、構えて、小気味の良い音を立てて、二本の剣が空を凪ぐ。
アルトは、舞台の上の人物を判別できるほどまで近づくと、すとんと観客席に腰掛けた。本当は一人でぼうっとしていたかったのだが、見ていて気持ちの良い腕前だ。このまま見学しておくのも、なかなか面白いかもしれない。
しかしアルトは二人の顔を見て、思わず首を傾げた。何かがおかしい。
今一人が態勢を崩した。だが、彼はいつの間にやら立て直し、更に相手へ切りかかる。――おかしい、いくらなんでもありえない。
(そうか。同じ顔をした人間が、二人で闘っているんだ)
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