第16話

 覚悟は当の昔に決め切っている。

 私が、魔女の元へ行き、ぶん殴ってやること目的は変わらない。それから、ネックレスを奪い返すこと。

 だけど、やかんが蒸気を吐き出す音だけが響く息が詰まりそうな室内で、フローグが助け船を出してくれるかも、と望んでしまっている自分もいる。

 魔女の子の義務として手を借りることと私情で借りるのは別な話なのだ。

 フローグが言ったわけじゃない。私の決めたルールのようなもの。

 この島の言葉を借りるなら<私の義務>――私は、弱虫であることを誇りにして、強がりを演じる。

 隣に座るフローグをちらりと見た。

 彼は、視線を落としている。私には、それがわざとのように思える。

 湯気立っていた湯呑から湯気が、消えていた。もう、冷めてしまったのか。

「随分と、唐突な話だね。 魔女様か……」

 ココンは、口元の深いブランの毛を撫で、独り言のように呟く。

 よかった。ひとまずは、彼らの牙を愛らしく扱える。

「君たち、魔女に手紙を届けるでしょ?」

「そうだけど……」

 ココンは、先を話すことを躊躇っているように感じた。ロロンに至っては、この話題から身を隠すように、じっと黙っている。

 まるで、魔女に話を聞かれていないか怯えるようにして――私は、彼らの表情を知っている。

 最初に、フローグへこの計画を告げた時も、似たような表情をしていた。

 フローグを含めて彼らは、魔女に会うことを肯定も否定もしない。魔法で、一時の言葉を奪われてしまったようにして――これは、あくまで比喩だ。

「私は、どうしても魔女に会わなきゃいけないの。 君たちに無理はさせない。 ただ、魔女の元へ連れて行ってくれればいい。 ううん、魔女の元へ行く方法を教えてくれればいい。 なんなら、私を郵便物として扱ってもいい」

 早口で喋りすぎてしまったようだ。口の中が気持ち悪い。

 私は、冷めてしまった緑茶を飲んだ。口の中に緑茶の苦みが残る。だけど、その中に微かな温度を感じる。まだ、冷めきってはない。

「俺たちも魔女様に会ったことはないんだ」

「じゃ、どうやって手紙を渡しているの?」

 2匹が、顔を見合わせる。その後に、私の方を見る。その瞳は、どこまでも心配そうで、泣いているようにも思えた。

 ロロンが、一度、口を開きかけたが、小さく首を横に振る。

「ごめんね。 弟は、まだ魔女が怖いんだ」

「二人は、兄弟なの?」

「うん、双子だよ」

 息が詰まりそうなほど、苦しかった。幼い双子の兄弟に、立ち向かわなくていい恐怖へ立ち向かえと言っているのだ。私だったら無理、高校二年生でも。

 ロロンは、ココンの肩へ頭を寄りかからせる。彼には、そのまま眠って欲しかった。とても深く、魔女とかこの島とか全部を忘れて。

 でも、それを望むことと同じくらい、魔女を諦めるわけにはいかない。

「お願い。 君たちに、迷惑はかけない」

 2匹は、口を強く結び、きゅっと眉に力を込めている。

 怯えているのだろうか。それとも、魔女の権利の魔法なのだろうか。

 私には、分からない。

 その時、ずっと黙っていたフローグが「魔女は、怖いものだ」と口を開く。

「オレたちは、見たこともない者に恐れている。 しかも、見たことないのに存在は、嫌でも感じてしまう……たちが悪い」

 怯えていた2匹の表情が、少しだけ和らいだ。だけど、意識がフローグに向いただけで、魔女の恐怖を忘れたわけではない。

「オレだって、怖い。 魔女が怖い。 だけど、こいつは、そんな魔女をぶん殴るっていってんだ。 おもしれーだろ?」 

 ケロケロとパーカーの紐が揺れている。

「きっと、オレたちは、何が起きても魔女の呪いから逃れることができない。 でも、殴ってやりてーだろ?」

 カエルは、誇らしげだ。まるで、子を語る親のように。

 なんだか、彼が私を褒めているなんて照れくさい。だから、フローグの肩を小突いた。

「……ありがとう」

 自分でも声が出たかわからないくらい、小さな声だった。

 フローグに声が届いたのか分からないけど、彼は、私の頭に手を乗せて、ぐしゃぐしゃに撫でまわした。

「ユキナは、俺たちの代弁者なんだ。 嫌われ者の魔女にぎゃふんと言わせてやろうぜ」

 2匹の幼い郵便局員の意識は、すっかり魔女から離れている。微かだが、口元にも笑みが浮かんでいた。

 なにより、怯えるように縮こまっていたロロンが、ヒーローを見るような表情を私に送っている。

「ねぇ、ユキナちゃん」

「なに?」

 ロロンは、警戒するようにキョロキョロと辺りを見渡して、私の耳元へと口を近づける。

「魔女様に、僕たちだけに郵便の仕事を押し付けないで!、って伝えてきて」

 ロロンの口元に、少年らしい無垢な笑みが浮かべられている。頬を柔らかそうに膨らませて、弱虫のヒーローに憧れている。

 代弁者なんて大層な役割を担えるほどの度胸はない。

 だって、私は、弱虫を誇りにしているのだから。でも、その誇りは、強がりを演じるための材料だ。

 だから。

「任せて、私は強いヒーローなんだよ!」

 2匹は「おぉ!」と歓喜に近い声を漏らして、目を輝かせた。

 さぁ、魔女の話をしよう――理由もなく、魔女を殴るための乱暴な話だ。


   *


 魔女の話の切り出しは、唐突に、確かな悪意を持って始めればいい。意地悪く聞こえるかもしれないが、ただの威嚇だ。

 格好よく言い換えるのならば……正義の主張としよう。でも、あくまでを主張する。

 とてもややこしい話だけど、私は、魔女の善悪を決められていない。理由としては、ただ紳士なシャム猫の主張を尊重しただけだ。

 だから、自分勝手な正義を主張して、魔女に対抗する。

「さっきも言ったけど、私を魔女の元へ連れて行って欲しいの」

 ロロンとココンの返事は、迷うことなくYESだ。

「でも、僕たちも、魔女様に出会ったことはないんだ」

「じゃ、どうやって、手紙を届けているの?」

「この島の一番北にある林檎の木の下に、魔女様の黒ポストがあるんだ。 僕たちは、魔女様宛の手紙が届いたときだけ、そこに向かう」

 わざとらしい魔女の悪趣味に、寒気が走った。この島は、絵本の中の巧妙な美しさで満ちているけど、魔女のポストが林檎の木の下にあるのは、あざとすぎる。

 現代文の授業の時、先生が余談でこんな話をしてくれた――エデンの園と禁断の果実の話だ。

 詳しくは思い出せないけど、魔女の悪趣味と関連付けるくらいには、十分に思い出すことができる。。

 有名なアダムとイブが、神から手を出してはいけないと言われていた禁断の果実を食べてしまい、エデンの園から追放され苦役を強いられるという話――魔女によってつくられたいるのにないもの島は、手にしたいと望めば望むほど、手の平からするりと通り抜けてしまう。まるで、手に入れてはいけないと示唆するように。

 きっと、嫌われ者の魔女は、禁断の果実を黒ポストで比喩したのだろう。

 禁断の果実は、林檎だ。だから、林檎の木の下にポストを作った。

 ならば、エデンの園は、バケツの中のこの島ということになる。

 なにが理想郷だ。この島は、魔女の私欲に塗れた箱庭でしかない。

 誰からも見られず、気づかれない野ざらしの箱庭だ。

「じゃ、そこに行けば、魔女に会える?」

 ロロンは、難しそうな表情を浮かべている。

「分からない。 でも、そのポストに手紙を届ければ、確かに魔女様の元へ届いているよ」

 全然力になれなくてごめんね、とロロンは俯きがちに呟いた。

 私は、そんな幼いタヌキの耳が垂れた頭を優しく撫でてあげる。

「ううん、そんなことないよ」

「僕は、ユキナちゃんみたいな、かっこいいヒーローになれない。 やっぱり僕は、弱虫なんだ」

 今のロロンは、なんだか私を見ているようだ。全てに対して自信がなく、世界中のなにもかもが敵に感じる。いつも独りぼっちで心細い癖に、誰かに助けを求める勇気がない。

「ロロンは、もうヒーローだよ。 ほら」

 私は、近くに落ちていた郵便局員の赤色のスカーフを、ロロンの首元に巻いてあげる。

「赤は、ヒーローの色。 ロロンは、最初からヒーローなんだよ。 少し弱いかもしれないけど、その分、お兄ちゃんがいる。 2人揃えば、最強なんだから!」

 ヒーローに憧れた幼いタヌキの少年は照れくさそうに、だけど、どこか誇らしげに笑って見せた。

 ここの獣たちの表情は、台本があるみたいに同じ物だ――特に、恐怖に関する表情は、眉を顰める力の込め具合や苦虫を噛みつぶしたような口元の歪みまでも、忠実に同じだ。

 魔女の魔法。もとい魔女の呪い、とでも言えるのだろうか。

 でも、同じなのは、恐怖の表情だけではない。

 ほら、いま私の目の前にある、2匹分の小さな笑顔は、私に勇気を与えてくれている。きっと、カエルに限らず、この島の獣たちはみんな、喜の感情を持って笑うべきだ。微笑むだけでもいい。

 それだけで、小さなヒーローを生み出せる。

 嫌われ者の魔女に「お前は、間違っている」と叫ぶ勇敢な者が現れる。

 私は、懸命に魔女に立ち向かおうとする少年を見て、誇らしかった。もちろん、彼らの勇気も誇らしいが、何より私自身が、確かな意思を持って変わっていっている。

 寂しさだけを纏った冬の枯れ木が、明確な時間の経過を持って、壮大な青葉を天に広げて、美しい花を散らせるように――私自信が変わっている。


「オレが、間違っていたのかもな」

 いつも先ばかりを見ていた視線を、いつも隣を歩いている少女へと向けた。

 オレの独り言が聞こえてしまったのだろう。

 顔に疑問符を浮かべた少女の視線と重なる。

 最初とは大違いだ。薄汚れた路地裏で、べそをかいていた女の子とは思えない。

 ユキナが、不審げに「どうしたの?」と言ったが、オレはケロケロと笑った。

「なんでもねぇよ」

 シャムロットは、別れの寂しさと後悔を同じにしてはいけない、と言っていた。それから、決めるのはだ、とも言っていた。

 あの時は、ムキな言い合いと紳士なシャム猫のキザな言い回しでしかないと思っていたが、本当にそうなのだ。

 ――魔女の子の義務は、魔女と魔女の子の間で終結する

 悲観的な意味を持っていた言葉も、今では綺麗さっぱりだ。まるで、シルク生地のように、なめらかだ。

「魔女は、優しいのかね」

 不覚にも、無意識に、そんなことを思ってしまった。

 この独り言は、ユキナには届いていない。それでいいんだ。

 オレは、この島に住むパーカーを着たカエルであり、魔女の子の義務を担ったこの島の獣だ。だから、ユキナを島の外に出す手助けをすればいい。

 これは、魔女の子の義務の暗唱のようなものだ。それでいて、義務を担ったこの島の獣としてのを理解した。

 言い換えるなら、オレは、魔女の優しさに気づいてしまった。

 魔女に提示されたユキナの見つけるべき<もう一人の自分>――彼女は、それをすでに手にしている。

「フローグ! ロロンたちのカブ借りて、魔女のポストに行くよ! 運転して!」

 彼女の瞳は、鋭利な刃物のように真っすぐで、太陽の日差しのような温度を持っている。ほらな、ユキナは、見つけるべきモノをすでに見つけている。

 

 

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