第14話

 錆びたトタンで囲われたこの場所は、雨が降ると驚くくらい静かだ。

 もっと現実的で悲惨な問題を抱えていた時は、雨が降っていても周りは迷惑なくらい騒がしかった。

 高層ビルに打ち付ける雨音、アスファルトに現れる中々消えない水溜まり、自然を切り裂くようにして鳴りやまない車の音、ぐっしょりと濡れた靴音……私の知っている雨の日の音は、とてもじゃないけど考え事をするのには向いていない。

 だけど、ここは違った。

 水滴が垂れる窓越しに流れる雲から降る雨は、この島から魔女とか魔法とか、不都合な物を洗い流してくれているみたいだ。

 明るい灰色の雲を写す湖面には、いくつもの波紋が広がっていて耳をすませば、一つ一つの音が聞こえてくる。

 やっぱり雨の日のこの島は、魔女について考えるのに向いている。

 ――魔女に会いに行く方法。

 魔女の文通(電話だったけれど)で教えられた<もう一人の自分>は、やはりあのネックレスなのだ。

 夜空を閉じ込めたようなガラス玉の付いたネックレス――母からの形ある思い出を魔女から取り戻さなくてはいけない。

 この島に来て、胸元で揺れているはずのそれを失ったときから、ずっと取り戻す方法を模索しては行動に移し失敗してきた。

 魔女の言葉を借りるなら手の平からすり抜けてしまった。

 だが、私は、この島で<もう一人の自分>を見つけるを支配者から貰った。そして、彼女は言った。

 ――その邪魔する権利はない。

 魔女は、魔法でこの島全部を支配する嫌われ者であり、言葉に対してとても忠実であり誠実だ。あくまで、私の予想でしかないのだけど、魔法はそれくらい潔癖で曲げられない物なのだろう。

 それは、この島の絵本のような各地が証明になっている。

 独りぼっちポスト、不通電話の森、深淵の闇市、夜の幻想街……どこも魔女の魔法で作られて、魔女の言葉に忠実だ。

 だから、魔女の魔法を――誠実な彼女の言葉を利用して、魔女を殴りに行く。

 私は、窓際に寄りかかっていた体を起こし、ぼんやりと雑誌を捲るフローグへ。

「ねぇ、魔女に会いに行きたいんだけど」

 と、力強く言った。

 雨は、徐々に勢いを失っていた。それに連なって、風音も小さくなっていき、この島本来の音が聞こえてくる。

 私は、ようやく、いるのにないもの島と向き合い始めた。

「お前、何言ってるんだ?」

 フローグは口を半開きにして、理解できないと眉を歪める。

 でも、私の言っていることは比喩でも言い換えでもない。だから、さっきよりも力強く言い直す。

「私、魔女に会いに行きたい。 そんで、魔女をぶん殴る」

 時間が止まってしまっように、フローグと私の間に沈黙が流れる。

 もう一度、同じことを言い直してやろうかと口を開きかけて、フローグに「聞こえないわけじゃない」と制止させられた。

「魔女に会いに行きたいって、そんな急に無茶だろ」

「急じゃないよ。 私は、ずっと考えてたし、それに方法だってないわけじゃない」

 フローグは、眉をきゅっと歪めて納得のいかないような表情を浮かべている。だけど、私の言葉に嘘はない。

 魔女と会うことについて、はっきりとした輪郭を持ち出したのは最近であっても、ぼんやりとはずっと思っていた。それに、彼女と会う方法だってなくはない。

 上げた腰を元に戻して、冷静に口を開く。

「私は、シャムロットさんやフローグを悲しませる魔女が許せないの。 だから、魔女に会って一発殴って、ついでにネックレスも返してもらう」

「言うのは簡単かもしれないけど、方法は?」

 私は、視線を落とす。

「郵便局なら魔女と会えると思うの。 シャムロットさんと独りきりポストに行ったとき、タヌキの郵便局員が魔女への手紙を受取ろうとした……それって、あの郵便局員が、魔女に手紙を届けるってことだよね。 なら、魔女に会ってる」

 落とした視線は、交差する自分の手を一点に見つめている。

 自信はない。だけど、自分の中で説得力があり、何より現実的だ。

 魔女の家に殴り込みをする、魔女の使いを捕まえて人質にする……ほら、どれよりも説得力があり、現実味を帯びている。

「……考えもしなかった。 確かに、魔女の文通は一通目だけを独りぼっちポストに投函しなくちゃいけないだけで、それ以降は、ただの文通だ。 でも、魔女が対策を練っていないはずがないだろ」

「それは、大丈夫」

 私は、落としていた視線を上げ、フローグの顔を見た。

 彼は、とても複雑な表情を浮かべていた。否定的というよりは、難題を思考しているように思える。

「私の行動を邪魔する権利は、魔女にない。 どこまでを邪魔とするのかは分からないけど……魔女の子が魔女に会おうとするのを阻止することはないよ」

 言い切ってはいるが、根拠はない。

 でも、この島と魔女から感じる回りくどい優しさを考えれば、私の言っていることを真っ向から否定できない。

「だけど、あれだよ……その……あれだ」

 フローグの表情が曇っていくのが分かった。そして、彼が無理やり言葉を――私の行動を否定する言葉を絞り出そうとしているのも分かった。

 それは、悪意ではない。

 もっとも正しい感情だ。

 恐怖――やっぱり、この島の住人は魔女に恐怖している。

 それとも、魔女の「邪魔をする権利がない」という言葉の魔法で、フローグが言い淀んでいるのか。

「大丈夫、絶対に。 言ったじゃん、フローグが魔女を怖がってるなら、私が守ってあげるって」

 出来るだけ自然に。彼が、私に向けてくれるような笑顔を真似て、精一杯に笑って見せた。

 フローグは、まだ難しい表情を浮かべている。恐怖を隠すような表情だ。

 でも、しばらく経つとため息交じりに言う。

「魔女の子の義務は、魔女の子を元の世界に戻すことだ。 ユキナが、正しいと思うなら魔女に会おう」

 フローグにしては、珍しいぎこちない笑顔を浮かべていた。

 その後、私が出会ったタヌキの郵便局員の話、魔女との電話の話、ガラス玉のネックレスの話……思い出せないくらいたくさん話をして、明日の夕方、私たちは郵便局に行くことに決まった。

 その頃には、雨はすっかりと上がり、鉛色の雲は綺麗さっぱり消えていた。

 澄んだ青空から差す陽の日差しが、濡れた世界を美しく照らしあげる。


   *


 次の日は、昨日さくじつの雨の気配はすっかり消えていて、あわてんぼうな春の暖かい日差しが差し込んでいた。

 私は、様々な湖面を枠どっていた窓を開けた。ダークブラウンの窓枠は、私の中で題名のない絵画を飾る額縁になっていた。

 いつもは湖面が写る風景画に過ぎないのだが、透明なガラスを開けるだけで、風景に変わる。あまりに当たり前のことだけど、私には、心地よく新鮮に感じた。

 大きく深呼吸をする。

 まだ、空気は冬に抱えられていて、肺をひんやりと冷やしていく。

 少しだけ強さのある風が吹いた。

 穏やかな湖面を波立たせ、私の髪を乱していく。乱れた髪を戻そうとはしなかった。

 そのまま、後ろに振り返り窓枠へと体を寄りかからせる。

 静まり返った午前中の室内。穏やかな水辺のカエルのお家には、私一人だ。

 今朝早くにフローグは、「シャトの家に行ってくる」と言って出かけてしまった。

 郵便局に行くまでには帰ってくる、と言っていたから心配はしていないが、退屈だ。

 窓は開けっ放しのまま、ソファーに深く腰掛けて、ぼんやりと壁掛け時計の秒針の音を聞いていた。

 カチリ、カチリと時を刻む秒針の音は、やけに思考をぼんやりとさせて、眠気を誘う。だけど、そんな退屈な頭の中で、一冊の本が浮かんだ。

 気持ちがいいくらい、ポンッ、と。

 ――魔女の本。

 古びていて分厚く、紫色。それで、赤いリボンのついた黒い三角帽子が表紙に書かれたあの本だ。

 悪戯の山に持って行ったリュックは、私の寝室の端に投げられている。

 深く座った腰を上げて、寝室から魔女の本を持ってくる。

 そして、再びソファーの定位置に座り、重厚感のある表紙を見つめる。

 少しだけ違和感があった。でも、その正体はすぐに分かる。

 操られの図書館でこれを手にしたときは、バラバラに崩れてしまうような不安定さが手から伝わってきていた。だから、私もガラス細工を扱うように、繊細に触れていた。

 でも、今の魔女の本からは、それを感じなかった。

 一度両手で持ってみる。ボロボロの古びた本に変わりはないのだけど、あの時のような不安定さはなくなっている。

 閉じられた本を、見つめてみる。

 気のせいか。

 私は、自分に呆れたため息をついて、魔女の本を開いた。

 躊躇はない。それに、ガラス細工のような繊細さを失っている本を開くのに、緊張感もなかった。

 自分でも驚くくらい、すんなり開いた本の中身は――白紙だ。正確には、日に焼けたように黄ばんだ白紙だ。

 どのページを捲っても、挿絵や文字も書かれていない真っ白な本だった。

「つまらないな」

 無意識に、ぼそりと呟いて本を閉じる。

 フロー、早く帰ってこないかなと思いながら外の風景を眺めていた。


   *同日 フローグ シャムロットの家


「入るぞ」

 そう軽く告げて、木々の間から差す春の木漏れ陽に照らされたログハウスのドアを開ける。板チョコのようなデザインに、金色のドアノブを見るたびに、彼らしいなと思う。

 そんな粋なデザインが様になる彼――紳士なシャム猫は、口元に笑みを浮かべながら、オレを歓迎した。

「いらっしゃい。 お茶を入れよう。 何がいい?」

「コーヒーあるか?」

「あぁ、あの日から君とあの子のために常備してある。 ミルクは?」

「ブラックでいい」

 森の中のログハウスは、とても落ち着いていた。深い緑色を基調に揃えられた家具を見ているとと表現してもいいくらいだ。

 パチパチと音を立てる暖炉も、ランプを必要とせず日の明かりだけで十分な光源になる日当たりのよさも、全部含めて。

 オレは、深緑色のソファーに深く座った。

 キッチンからコーヒーの香りを乗せて、紳士なシャム猫の声が聞こえてくる。

「フローが、尋ねてくるなんて珍しいな。 ユキナと喧嘩でもしたか?」

「そんなんじゃねぇよ。 先輩にご教授願いに来たんだ」

 オレとシャムロットに年齢の概念があるかどうかは分からない。二匹とも、魔女によって生み出されたこの島の住人だ。

 だが、<魔女の子>を取るとシャムロットの方が先輩になる。

 ドリップポットを傾けながら、シャムロットが言う。

「魔女の子についてか?」

「最初からわかってんだろ? 知ってるぞ、お前が、魔女に余計な手を回してるのは」

 シャム猫は、両手にコーヒーの入ったマグカップと紅茶の入ったマグカップを持って、カエルの向かい側に座り「猫は、物覚えが悪くてね。 餌をくれた奴ですら忘れてしまう」と小さく笑う。

「それにしては、飲まないコーヒーを家に置いておくんだな」

「痛いところをついてくる」

 シャムロットは、紅茶に口を付け「それで」と話を促した。

「ユキナが、魔女に会いたいって言いだした。 俺は、どうすればいい?」

「魔女の子の義務に従えばいい」

「でも、それでお前は、過去に後悔してる」

「いいや、していない。 あれは、あるべき別れなんだ。 正しい別れ……別れに寂しさは付き物だ。 寂しくない別れないんてない。 寂しくない別れがあるとすれば、それは別れと言ってはいけない」

 珍しくシャムロットが、感情的になっていた。カップに添えられていた手を、膝の上で組み、猫目を鋭く細める。

「それを後悔っていうんじゃないのか?」

「悪いが、寂しさと後悔を一緒にしないでくれるか? じゃ、お前は、自分のエゴでユキナをここに留め続けるっていうのか?」

 オレは、コーヒーを一口飲んで「すまない」と謝った。そんなことをしたいのではない。魔女の子は、あるべき場所に帰るべきだ。それは、ユキナも同じ。

「話がずれちまったな。 オレが言いたいのは、ユキナを魔女に会わせるべきかどうかってことだ」

 この島の住人は、魔女に会ったことがない。この島で、魔女に会えるのは魔女の子だけなのだ。

 見つけるべきモノを教えられ、それを見つけた後に初めて魔女の子は魔女と顔を合わせる。それで、この島の義務はすべて終わりだ。

だが、魔女と会うとき、能動的ではいけない。あくまで、受動的なモノなのだ。

 義務に特例はない――だが、ユキナの言っていることも理には叶っている。

「それは、彼女が決めることだ」

「魔女か?」

「どちらもだ。 ユキナが会いに行きたいと言っているのなら、我々は手を貸すだけ。 あとは、魔女と魔女の子が決めることだ」

「だけど……」

 言い淀んでしまった。

 獣であるオレが、いくら彼女を思って行動したところで、魔女の子の義務が嫌らしく邪魔をする。最終的に、この島の義務は、魔女の子と魔女の間で終結する。

 力になれない自分の愚かさが――この島に縛られた自分が惨めて仕方がなかった。

 ただ、唇を噛みしめることしかできないオレを見て、シャムロットが観念したようにため息をつく。

「私が、魔女に手紙を送ってしまったのも問題なのかもな。 だけど、私たちは結局、魔女の創造物にすぎないんだ。 私はスーツを着たシャム猫だし、君はパーカーを着たカエルだ。 それ以上の者にはなれない」

「あぁ、そうだな」

 口を付けたコーヒーの苦みが、やけにはっきり輪郭を持っていて口元が歪む。

「義務を担っていない私が、口を挟むのは邪道だが。 魔女は、意味もなく人間をこの島に招待しているわけではない。 意味はちゃんとある。 それも、とびきり優しい理由がね」

 心地よく音を奏でていた暖炉が、大きくパチリと火花を散らす。

 シャムロットが、ため息交じりに笑う。

「話しすぎたようだ。 とにかく、魔女は作者に近い。 それも、優しい物語しか書けない作者だ」

 また、暖炉から大きく火花が散った。

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