第13話

 女子高生にしては騒がしい性格と弱虫の少女が去った後の水辺の家は、色を失ったみたいに整然としていた。

 フローグは、あの少女が何をしようとしているのか、なんとなく分かっていた。

 魔女の子の義務、と小さく胸の中で呟いてみる。

 この島のルールであり物語のサブタイトルのような文字列は、どうしようもない2回ある別れの形容であることを知っている。

 なんだか、ユキナのことを考えるとソワソワとしてしまいコーヒーを入れることにした。コーヒーメーカーのコポコポとした音が、一人きりの室内に響いている。

 フローグは、この島に批判的で悲観的な考えはない。それに、魔女のことを嫌ってはいるが、不純物を取り除いていくと結局は、恐怖心と言い直せる。

 どんな恐怖心か、と問われても答えるのは難しい。

 だって、魔女と自体が、絡み合う蔓のように複雑なのだ。

 コーヒーメーカの音が聞こえなくなって、マグカップにコーヒーを注いだ。

 ミルクを入れようかと小瓶に手をかけたが、ミルクがないことに気が付き、ブラックコーヒーで飲むことにした。

 白いマグカップの中で揺れる茶色の液体を口に含む。久しぶりに飲んだブラックコーヒーの苦みに、思わず顔を顰めた。

 ――オレの家にミルクが常備されるようになったのはいつからだっけ。

 と思い、遠い過去の魔女の子の義務を思い出した。

 あの時は、シャムロットが魔女の子の義務を背負っていたのだ。

 その時、ベルのチャイムが鳴り「入るぞ」と紳士なシャム猫が現れる。

 そして、しばらく部屋の中を見渡して。

「あの子は、魔女に会いに行ったのか?」

 と、過去を見るように優しく呟いた。

「あぁ、多分な。 昨晩に、魔女の使いと話してるのが聞こえたからな」

 シャムロットは、そうか、と呟いて、フローグの正面へと腰かけた。

「なんだ、猫のくせに珍しく感傷的だな」

「感傷的なんかじゃない。 少しだけ、懐かしんでるだけだ」

「そうかい」

 笑いながらコーヒーを飲む。

「ブラックコーヒーなんて珍しいな」

「どうにも今日は、オレたちにとって難しい日だな」

「全くだ」

 シャムロットとフローグは遠い過去に一度――魔女の子の義務を経験している。

 魔女からガラス玉のネックレスを奪った少女の名前を彼らは、一度も忘れたことはない。

 フローグは、飲みかけのコーヒーが入ったマグカップをテーブルの上に置き、家を出る。

 そろそろ日も完全に暮れて真っ暗だ。こんな暗闇での強がりな女の子の心細さを彼は知っていた。だから、控えめのランプを持って迎えに行くのだ。


   *


 遅めの食卓につくと、心配の涙を浮かべたキツネと微笑みながら「おかえり」と呟くシャム猫、それからまだ温かい食事が歓迎してくれた。

 瑞々しく新鮮なサラダに湯気が立つクラムチャウダー、バターの香りが鼻を悪戯に掠めるパンは、いつものように私の空腹を刺激して、心の奥を優しく撫でてくれる。

 私には勿体ないくらい優しい獣たちと食卓を囲んでいると、やっぱり魔女への善悪が分からなくなる。

 クラムチャウダーの濃厚な味が口の中に広がった。

 今は、魔女のことなんてどうでもいい。

 こんなにも優しい笑顔が溢れている場所に、魔女を介入させたくない。今の瞬間は、私の独占物で理想の塊なのだ。

 

 夕食が終わると、トウカはモフモフの手で私の頬を挟み「無茶はいけないよ。 アタイが許さないからね」と厳しく言ってフローグの家を後にした。

 残ったのは、ソファーに寝ころぶカエルとキッチンで何かを作るシャム猫だ。

 私は外から、椅子代わりの丸太に座って、そんな二人を眺めている。

 クラムチャウダーと暖炉で火照った体に冬の風は心地よかった。

 バケツに縁どられた黒い空は、やけに低い位置から星も月も見せずに重く流れている。

 明日は本当に雨なのかもしれない、と思った。

「寒くないかい?」

 低く重みのある声が、チョコの甘い香りを添えて聞こえた。

「大丈夫。 今日は、なんだか温かい」

 外は、寂しい冬の気温だ。私を温めているのは心の温度だと思う。

 シャムロットは、転がっていた丸太を二つ立て、1つをテーブル代わりにしてマグカップを二つ置いた。

 1つはホットチョコで、もう1つはブラックコーヒーだ。

「どうだった?」

 彼の質問が、魔女を指しているのはすぐに分かった。

 私は、口の中をホットチョコで満たしてからゆっくり答えた。

「私には、まだ魔女のことが分かりません」

 両手で持つホットチョコのマグカップからぽかぽかと熱が伝わってくる。

 私は、チョコの中でぷかぷかと浮かぶマシュマロに視線を落としながら、続けた。

「シャムロットさんは、魔女が優しいと言いましたよね?」

「あぁ、彼女は優しいよ。 優しすぎるから嫌われている」

 彼の視線は、ずっと遠くに向けられている。黒い夜を写した湖面が広がる、視界の一番遠い場所。もし、今日の空に星が出ていたのなら一等星に向けられるべき視線だ。

「……私は、魔女が悪にも善にも見えます。 ううん、悪者を演じる正義にも思えるし、正義を語る悪者にも思える」

 コーヒーの独特に苦い香りが微かに鼻を掠める。

「ユキナは、魔女にどうあって欲しい?」

 口から疑問符が漏れた。それと同時くらいに、ホットチョコの中のマシュマロが溶け切って姿を消す。

「君は、魔女が優しいのと意地悪なのどっちがいい?」

 少しだけ考える――だけど、答えはでない。

 私は、答えを考えることから逃げるようにホットチョコを飲んだ。

 魔女の善悪を考えるなど、私には余計なお世話でしかない。それに、ネックレスを取り戻すことやこの島から出ていくこと、魔女の文通の義務とも関係がない。

 だけども、私は、魔女のことを知りたい。

 私を満たすホットチョコの甘みが、チョコ本来の物なのかそれとも溶けたマシュマロの物なのか、ゆっくりと思考して味わって見なくちゃ分からない。

 甘すぎるホットチョコも苦すぎるホットチョコも不味いように、偏り過ぎた魔女は存在する意味がない――そんな魔女が支配する島が、こんなにも優しいはずがないのだ。

 だから、私は、彼女の善悪を自分勝手でもいいから決めつけたいのかもしれない。

 やっと、口を開いて質問の答えを言う。

「優しい方が……いいです」

「私も、そうだ。 彼女は優しくあるべきだし、それを隠してはいけない」

 量の減ったマグカップからシャムロットへ視線を向けると、まだ彼の視線は遠くを見つめていた。

 雲で覆われた空から一等星を探すように――夜空を箒に乗って飛ぶ魔女を探すように。

 私は、一度答えを貰っている質問を彼に投げかけた。

「シャムロットさんは、魔女を知っているんですか?」

 彼は視線を私に向けて、知っているよと言いたげに微笑んだ。

「知らないよ。 私は、彼女のことを何も知らない」

「でも、魔女と私の関係を心配してくれますよね?」

「猫は、気分屋なのさ。 今は、君の手助けをしたいだけ……それじゃダメかな?」

 紳士なシャム猫らしくない子供っぽい答えだ。

 だけど、微笑むシャムロットが泣いているようにも思えて、彼に魔女について、それ以上を聞けなかった。

 彼と私の会話は、またふりだしに戻る。

「ユキナの見つけるべきものは、知れたかい?」

「はい、魔女は私に<もう一人の自分>を見つけろ、と言いました」

 シャロットは、ほう、と小さく頷きコーヒーを口に運ぶ。

とは、また抽象的だね。 心当たりは?」

「ないわけではないです。 でも……」

 シャム猫が、でも、と反復する。

 魔女の言う「もう一人の自分」は、きっとガラス玉のペンダントなのだと思う。

 あのネックレスは、私にとってもう一人の私なのだ。自分が強くあれる道具であり、弱虫を偽れる。

 それに、いるのにないもの島の定義にも反していない――必要な物が、手の平からすり抜けていく島――この島でネックレスは、巧妙に私の元からすり抜けている。

 だが、魔女は嫌われ者だ。分かりやすい抽象表現なんかするわけがない。

 私が、言葉の続きを言えないでいると、シャムロットが小さく笑った。

「悩んでいるね。 でも、答えを出してごらん。 間違えたって、誰も怒りはしない。 魔女の魔法を避けるのは難しいことなのだから」

 私は、彼の顔を見上げる。

 猫の中でも凛々しく整った顔は、また暗い湖面のその先へ一等星に向けるべき視線を送っていた。

 やっぱり、彼は、魔女の何かを知っている。

 私は、また魔女の質問を投げかけようとして、言い留まった。

 彼は、どうして魔女の話をするたびに、どうしようもなく悲し気な表情を浮かべるのだろう。

「決めました。 私、魔女に会いに行きます。 そして、一発ぶん殴ってやります」

 魔女の善悪を決めたわけじゃない。

 ただ、今だけは、大切な獣を無意味に悲しませる魔女を殴り飛ばしたいのだ。

 シャムロットは、細めていた瞳を大きく広げ、猫の声で笑った。

「君を見てると昔を思い出す。 魔女の子の義務が、悲しみだけじゃない、優しい物なんだって思えるよ」

 私は、彼の優しすぎる瞳へ言う。

「その理由も、魔女の優しさと関係しているの?」

 シャム猫は、微笑む。

「私には、分からないよ」

 錆びたトタンで縁どられた夜空に月と星が現れることはなかった。

 幕の下りたステージのように寡黙に静寂を保って、明日の天気を暗示する。

 でも、明日の天気が晴れてしまったら、このバケツの中の島は、野ざらしの箱庭でなくなってしまうだろう。


   *


 窓枠に映る外の世界が深い夜に支配され、私の意識も眠気に手招きをされ始めた頃、雨が降り出した。

 屋根を打つ、ポツリ、ポツリ、とした音は次第に強さを増し、あっという間にノイズに似た雨音へと変わる。

 だけど、受話器越しに聞こえる魔女の声のノイズとは違う。

 暗闇で世界を打ち付ける雨音や窓を鳴らす風音は、眠気を纏った意識をより深い所へと連れて行ってくれる。

 私は、毛布の中へとより深く潜って、未来のことを考えていた。

 新しい母の問題とか進路とかの話じゃない。

 ただの明日のこと――あと数時間で迎える先のことを、未来というのは大げさすぎるかもしれない。だけど、私にとっては、いつでも未来と過大に評価していたい。

 明日を迎えれば明後日が、未来という過大な先になる。

 雨音は、さっきよりも風音と混ざって強く窓越しの世界を揺らしていた。

 心地いい喧騒に、私の意識は気持ちよく朦朧としていく。

 ――今日、私は、魔女に会いに行く決意をした。

 ただそれだけが、明日を未来と過大評価する理由なのだ。

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