第11話

 潔癖な白い雲と澄んだ青空の下で、青々しく天を仰ぐ木々がそよそよと揺れる。

 この風景だけを切り取ってタイトルを付けるのなら夏という言葉がぴったりだ。だけど、私の肌を撫でる風は冷たいし、隣を歩くシャムロットの毛並みはモフモフだ。

「シャムロットさん、魔女への手紙ってこんな感じで大丈夫ですか?」

 トウカの骨董屋で買った淡い黄色に小さな小鳥のシルエットが描かれた便箋には、質素に短く黒い線が羅列している。

 それを紳士なシャム猫は受け取って、目を通す。

「中々に上出来だ。 でも、最後のネックレスというのは何かな?」

「それは――」

 群青色のガラス玉が付いたネックレスは、私の手の中から零れ落ちるようにしてどこかへ行ってしまった。

 まるで、誰かが魔法をかけたみたいにして――私の胸元から――怪しい闇市から――だから、手紙の最後に『ネックレスを返してください。あれは、私にとって大切なモノなんです。』と付け加えた。

 アウルヴィからネックレスを買い取ったのは魔女と言い切る自信があった。

 私は、言葉を続ける。

「大切なモノなんです。 でも、魔女に盗られてしまって」

「なるほど」

 シャムロットは、頭上で納得するように髭を撫でながらつぶやいた。

「何か知っているんですか?」

「いや、あくまで私の妄想なのだけど。 この島の魔女は、どこまでも優しく美しいんだ。 だから、君のネックレスを盗ったのにも、何か驚くくらい美しい理由があると思うと楽しくてね」

「シャムロットさんは、魔女を嫌いじゃないんですね」 

 私は、少しだけ俯く。 

 他人が好きな物を否定するのは、あまり好きではない。だけど、それ以上に、私は魔女を好きになれなかった。

「私だって、魔女が嫌いさ。 この島の理不尽さや目に見えない恐怖心が、息苦しい。 だけど、魔法もこの島も全部、魔女の優しさであることに気づいてしまったからね。 どうにも悪者扱いできない」

 話しすぎてしまったね、と区切るように微笑むと細い指先を先に向けた。

 100メートルくらい先にある<赤いポスト>――魔女と文通するためだけに使われる<独りきりポスト>と呼ばれているポストだ。

 私たちは、ここに向かっていた。

 言葉通り、Tの字に分岐した道の突き当りに、ぽつんと寂しそうに立っている。

「私は、ここで待っているよ」

「一緒に来ないんですか?」

「独りきりポストに向き合うときは、孤独じゃなきゃいけない」

 そう言うと、シャムトットは私の背中を軽く押した。

 私は、心細くて後ろを振り返る。でも、優しく微笑むシャム猫の表情は、どこまでも優しく寄り添ってくれていた。

 また、一人で一本道を歩き出す。

 手には、魔女への手紙が握られている。力強く握りすぎたせいか、端がくしゃりとしわになってしまっていた。


 たった100メートルの一本道は、一歩足を踏み出すたびに不思議な感覚が体を満たしていった。

 学校をサボった平日の正午過ぎに訪れた図書館のような、息を顰めた静寂に身を投げているからだろう。

 そして、人はそれを孤独と呼ぶのだ。

 私は、独りきりポストと向き合う。

昔ながらの円柱型のポストだ――右側には木製の看板に黒色の矢印と<休息の丘>、左側には同じく木製の看板と矢印で<不通電話の森>と記されている。

 ポストの塗装は、剥がれた箇所がいくつかある。でも、それ以上に塗り直しされた箇所が見られた――鮮やかな赤色からオレンジ色に近い赤、黒よりの深い赤もある。

 その一か所に手を触れたみた。

「失礼、そこのお方!」

 突然、聞こえてきた声にポストへ触れていた手を引っ込めてしまう。でも、周りを見渡しても声の主は見当たらない。

「下だよ! 下!」

 聞こえてくる声通りに下を向く。すると、背伸びをしながら顔をいっぱいに上へ向け、くしゃりとした笑顔を向けるタヌキがいた。

「やっと気づいてくれたね! もしかしてだけど、君は、魔女の子かい?」

「うん、そうだよ」

 私は、膝を折り、背丈の小さいタヌキと視線を合わせる。

「やっぱり! はい、お預かりします!」

 太陽な笑顔に飛び跳ねるような元気な声色と広げられた両手を向けられても、何を預かるのか分からず、私は引きつった笑顔で首を傾げる。

「あ……また、やっちゃった。 僕、せっかちだからいつも困らせちゃんだ」

 そう言うと胸元から一枚の紙を取り出して、深呼吸してから読み上げた。

「こんにちは、僕の名前はロロンです。 この島の郵便局員をしています。 よろしければ、お手紙お預かりします!」

 そして、またくしゃりとした笑顔で広げられた両手を向けられる。

 なんだか、郵便屋さんのおままごとをしている気分だ。

「郵便屋さんなんだ、偉いね。 じゃ、お願いしようかな」

 広げられた手の上によれた便箋を乗せる。

「お任せください! このロロンが誠意をもって――あっ!」

 せっかちで頑張り屋の郵便屋さんの決め台詞が言い切る前に、彼の手の上から手紙が取り上げられる。

「郵便屋さん、申し訳ないけど、これは魔女の文通だ。 魔女への最初の手紙は、一度ポストへ投函するのが決まりだろ?」

 手紙を取り上げたのは、シャムロットだった。

「あ……僕、またやっちゃった」

 タヌキの郵便局員のピンと立っていた耳と尻尾は垂れて、明らかに落ち込んでしまった。

 私は「大丈夫だよ。 間違いは誰にでもある」と頭を撫でてみたけれど、彼の垂れた耳と尻尾は元に戻らない。

 すると、シャムロットが一歩前に出て、一通の便箋をタヌキの前に出した。

「そういえば、私も手紙を出そうと思っていてね。 大急ぎで頼みたいんだ」

 垂れていたタヌキの耳と尻尾が持ち上がり、また太陽のような笑顔が戻った。

「任せてください! 急ぐのは大の得意です!」

 彼は、丁寧にシャロットの便箋を肩から下げたバックへしまい、トコトコと走り去ってしまった。

 風のように去っていった騒がしさは、綺麗に孤独な静寂と入れ替わる。

「シャムロットさんは、すごいですね。 なんだか、魔法使いみたい」

「魔法使いだなんて光栄だ。 さ、早く手紙を出して戻ろう。 フローグが腹を空かせて待っている」

「そうですね」

 私は、独りきりポストに魔女へ宛てた手紙を投函した。

 いろいろな赤で塗られたポストの中で、コトンと小さな音がなる。

 その時、このポストと向き合うときは孤独でなくてはいけない、という言葉を思い出して、少しだけ疑った。

 だって、独りきりポストは、きっと沢山の獣たちに愛されているのだ。様々な赤色が、それを教えてくれていた。


   *


 ポストに手紙を投函しても、私の日常は静かな湖面のように穏やかだった。

 夏の青々しい草花と冬の刺すような暴力的な空気とゆう不自然な箱庭であること以外は、普通の日常だ。

 魔女から手紙の返事がない限りは<いるのにないもの島>と私の関係は先に進まない。だから、マーマレードをたっぷり乗せたトーストとコーヒーを一日の始まりとして、トウカの店を手伝ったり、シャロットとマーマレードを作ったり、それを一瞬で平らげるフローグを叱ったりしていたら、三日が経過していた。

 そして、三日目の夜に手紙の返事があった。


 田んぼを牛耳る真夏のカエルの合唱にも似た、フローグの鬱陶しいいびきが聞こえてきている深夜。

 私は、なんだか寝付けずにベットの中で文庫本を読んでいた。

 フローグのいびきがうるさいわけではない。

 私とフローグの寝室は別だし、それに壁越しに聞こえるカエルのゲロゲロといういびきと窓枠にある夏夜のような風景はとてもマッチしていて、寝付けない夜の娯楽だ。

 ただ理由もなく寝付けなくて、だけど寝る理由も見当たらない日くらいあるでしょ。

 シャロットから勧められたミステリ小説も半分を過ぎ、ミステリを紐解く鍵が分かりそうになったその時、窓を叩く音が、控えめに2回なった。

 私は、窓に映る黒い闇の中で月明かりの微かな明かりに映る影を睨みつけた。

 また、コンコンと2回音が鳴る。

 少しだけ恐怖心はあったが、魔女の手紙の件もあり無視することもできず、窓を開けた。

「こんばんは!」

 窓をノックしていた正体を、私は分かっていた。

 小さな背丈に、立派な長い髭を持ったネズミの少年。それでいて、魔女の使いだ。

「君は、いつも夜に現れるね」

「ネズミは夜行性だから! それより、魔女様の島はどうだい?」

 私は、窓枠に手を掛けながら答える。

「最高!、とは言えないよ。 無理やり連れてこられたってのもあるしね」

 魔女の使いであるネズミ――ラトは、私の答えに不機嫌そうに眉を顰めた。

「いつだって断る権利があったんだ。 でも、ついてきたのは君だろ?」

 それには、違うと跳ねのけることはできない。

 ラトの言う通り、あの日、私はいつだって断ることができた。実際、ラトのおままごとにも似たに幕を下ろすことを考えたし、それを行わなかったのも私自信だ。

 夏草が揺れる夜の中に、冷たい風が吹いた。開けっ放しの窓から吹き込んで、髪を乱す。やっぱり、ここは野ざらしの箱庭だ。

 体の芯から冷える冬の冷たさに、私は話を促す。

「それで、何の用なの?」

「魔女の文通の件さ! あまりに遅いから心配しちゃったよ!」

 ラトは、少年のような無邪気の笑顔を一瞬だけがらりと変え、ドブネズミにも思える狂気的な笑みを浮かべ「魔女様は、待つのが嫌いなんだよ」と呟いた。

 そして、無邪気な少年の笑に戻ると一枚の黒い封筒を窓枠に置く。

 魔女からの返事だ。

「それじゃ、おやすみなさい」

 私は返事を返すことなく、窓枠に置かれた黒い封筒を見つめていた。

 夜の闇に溶けて滲んでしまいそうなそれは、呪いの呪文がかけられていそうだ。

 でも、ラトが去ってから急かすように強く吹く冷たい風に負けて、封筒を手に取った。

 中には、一枚の黒い便箋に白文字で返事が書かれていた。


『こんばんは。私は、この島に住む魔女です。

 いるのにないもの島は楽しい所でしょう?バケツの外にある図書館じゃ、本棚も本も襲ってきませんからね。

 それに、魔女の本なんてつまらないタイトルの本を貸し出しもしません。

 さて、味気のない魔女の話なんて置いといて、魔女の文通の話をしましょう……と、言いたいところだけど、あなたとは手紙のやり取りでは話しきれません。

 明日の日暮れ頃、不通電話の森に来てください。そこで、話をしましょう。

 あなたのネックレスのことや私の本のことについて。

 それでは。』

 

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