第5話 

 階段を下っていると、粘着質な感触が足の裏に伝わった。嫌悪感に鳥肌を立てながら、恐る恐る足の裏を確認すると、もはや何なのか判断もつかない何かがへばりついていた。

 私は、心の中で「ひぃー」と悲鳴を上げながら階段の縁で、それをこそぎ落とす。

 それでも、足の裏に残る不快感は消えず、大声を上げて階段を駆け上がりたかった。だけど、それはできない。

 チラリと横を見る。

 ベタベタの体毛を触りながら、舐めるような目つきで見つめてくる浮浪者の獣と目が合った。彼らは、ネチョリと唾液で糸を引きながら黄ばんだ牙を覗かせる。

「フローグ……怖いよ」

「目合わせるな、食われるぞ」

 私の背中を冷たい物が這うようにして、温度を奪う。

「またまた……嘘だよね?」

 フローグは何も答えなかった。


 長い階段を下りきると、清潔感はあった。でも、あくまで階段と比べたらの話で、腐敗した食べ物のようなものは転がっているし、すれ違う動物たちの柄も悪い。肩で風を切っているか、または猫背で何かに怯えながら歩いているかの二択だ。

 それに比べ、所狭しと並んでいる露店の商品はどれもが場違いと言った物ばかりで、汚れた布の上に金の時計や鮮やかに光沢する石が並べられている。あまりの不釣り合いさに、全てが玩具に見えてきた。

 私は、この場所の雰囲気に飲み込まれないようフローグへ声をかける。

「魔女の島なのに、犯罪者っているもんなんだね」

「魔女の島だからこそいるんだろ」

「どういうこと?」

 フローグは、まっすぐ前を向きながら答える。

「この島は、確かに魔女が作った島だ。 魔女も存在するし、魔法も存在する。 なにより、オレらがその証明だ」

 たてがみが伸びきった馬の店主に声をかけられたが、無視して角を曲がる。

「でも、魔女はルールじゃない。 まぁ、魔女の子の義務はあるけども、魔女は存在だ」

 魔女はルールじゃない、と反復してみるが上手く飲み込めない。だけども、ゆっくりと咀嚼してみる。

「じゃ、犯罪を犯しても別にいいってこと?」

「そこは、倫理観の問題だろ。 原始人みたいにウホウホじゃねーんだから、殺し、盗みが駄目ってことくらい分かる。 それに、犯罪を犯せば、この島の獣に裁かれる」

 ゆっくりと飲み込めてきた。

「魔女は、義務だけで嫌われてるんだ」

 フローグの足が止まり、私の方に振り返る。

「魔女は、この島で絶対的な恐怖だ。 その副産物が義務……抗えないなら、せめて嫌っていなきゃ、疲れちまうだろ。 ほら、着いたぞ」

 フローグの体が、また正面を向く。

 そこには、二階建ての鉄筋の建物が立ち、ガラス張りからみえる店内には、アンティーク品がニスの滑らかな光沢を放っていた。

 すると、ダークブラウンの板チョコのような扉が、ゆっくりと開かれ燕尾服を着た羊が顔を覗かせる。

「いらっしゃいませ。 どうぞ」

 執事を連想させる羊の振る舞いに、フローグと顔を見合わせる。不自然な間が空いてしまっていも、羊は扉の前で、じっと佇んでいる。

 フローグが、ケロと小さく鳴いた。パーカーのポケットから手を抜いて、私の服の袖を引っ張りながら扉をくぐる。

 私たちが店内に入って、扉から数メートル離れてから、鈍い音の後に重く閉ざされる音が聞こえる。

 そして、店内に溶けてしまいそうなほど小さな声で「ごゆっくりと」と羊に告げられる。

 トウカの店とは違い、商品自体がインテリアのように配置されている。だけど、銅像から椅子、壁にかかる時計までもに、値段が付けられており、見た目よりも0の数が多い。

 フローグに袖を握られながら、奥に進んでいくと宝石が並べられたガラスのショーケースの向かい側に、モノクルを付けたフクロウ<アウルヴィ>が時計を磨いていた。

 ペタペタとしたカエルの足音とカツカツとスタッカートの効いた私の足音に、モノクル越しの黄色い鳥類の眼が向けられる。

「いらっしゃいませ……おや」

 アウルヴィは、モノクルに触れカシャンという音の後に右目が拡大される。

「魔女の子……ですかな? これは、これは、珍しい」

 意味ありげな笑みが混ざった声の感情を読み取ることはできない。なんだか、狙われているような気分だ。

 獲物を狩る好機を窺っているような雰囲気に、嫌な汗が滲む。

 私は、手汗でベタベタな手を握りながら言う。

「あの……ここに珍しい物が持ち込まれたって聞いて来たんですけど」

「珍しい物ですかな。 魔女の子より珍しい物はありませんよ」

 時計に息を吹きかけ、丁寧に磨き上げながら言った。

「いや……あの、ネックレスを見せて欲しくて、その」

 やはりアウルヴィの態度は、どこか接しにくい。これ以上近づいたら、鋭い爪で皮膚を引き裂かれてしまいそうな気がする。

 何度も、店内に血が流れる映像が頭に流れ言葉が出てこない。

 だけど、そっと私の肩に吸盤の付いた手が乗せられる。

「アウルヴィ、魔女の子の義務を邪魔するのか?」

 時計を磨いている手が止まる。そして、アウルヴィが関節を無視して首を傾げる。

「まさか、そんなはずはありませんよ。 カルネロ」

「ただいま」

 いつからその場にいたのか背後から声が聞こえ、ドアマンだった羊が、アウルヴィの後ろへと消えていく。

 私は、その羊をじっと見つめる。羊のひづめの硬い音は、店内にうるさいくらいに響いていた。

「なんで?、と言った顔ですね」

 心を覗かれたようなアウルヴィの言葉に、思わず心臓が跳ねる。だけども、それを悟られないよう下唇を噛んで、フクロウを見た。

「羊の執事って面白いですよね……ははは」

 違う。全くの見当違いだ。

 私の乾いた笑いが、嫌に空気を揺らす。その後のアウルヴィの煽るような小さい笑みに羞恥心が爆発しそうだった。

「そうじゃありませんよ。 あなたが思っているのは、カルネロのことでしょう?」

 モノクルが音を立てて、倍率を高める。ぎょろりとした鳥類の眼は苦手だ。

 私が、何も答えないでいるとアウルヴィは続けた。

「私も商人の端くれ。 まして、闇市で店を構えているのならば、信頼できる者しか側に置けないのですよ」

 アウルヴィが翼を鳴らす。

 すると、店の奥から二匹の瓜二つな燕尾服を着た羊が現れた。無表情の羊は、手を前で組み直立不動で、アウルヴィの両端に立つ。

「深淵で生まれたシープ一族は、フクロウに使えるのが習わしなんですよ」

 支配しきったようなモノクル越しの黄色い眼が、二匹の羊へと向けられる。それでも、二匹は表情を変えることも、言葉を発することも無い。

 ただ、深く落ち着いた呼吸を繰り返すだけだった。

「さ、魔女の子様たちへお茶と椅子を御用意してやりなさい」

 その言葉に、二匹は動き出す。

 数分で、ウォルナット材の椅子と紅茶が用意され、タイミングを見計らったように装飾された箱が準備された。

 私は、用意された紅茶に口を付けようと思ったが、漂う湯気の向こう側にあるアウルヴィの表情が不敵で、それを止めた。


 三匹いる羊の内の一匹が白い手袋をはめ、箱を開ける。

 真っ赤な高級クッションのような箱の中に、丁寧に寝かせられたアクセサリー。

 群青色のガラス玉が付いたネックレス。ガラス玉の中の気泡が、夜空を閉じ込めたみたいに幻想的なネックレスが、目の前にある。

 私は、フローグを見た。

「これなんだな?」

 フローグの声に、小さく頷く。

 フローグの口角が、優しく少しだけ上がった。

「このネックレスは、魔女の子の持ち物だ」

 吸盤の手が、ネックレスに伸びる。だが、噛みつくようにして乱暴に箱は閉じられた。

「いくら魔女の義務とはいえ、他人の所有物を持ち去ろうとゆうのは、些か乱暴では?」

 モノクルが音を立てる。

「この島は、魔女の義務が中心だ。 人間の真似事でできた、獣の法律よりも優先度は高い」

「私だって、魔女の義務に逆らうつもりはありません。 ですけど……」

 アウルヴィが、足元で爪を鳴らしながら、続ける。

「お互い、手荒な真似は避けたくないですか?」

 紅茶は、すでに冷めてしまい湯気はない。フクロウの生存本能的な羽や黒く鋭い爪、それを覆う厚い皮膚がクリアに私の中に入ってくる。

「魔女の子に手を出すのか?」

「まぁ……それも悪くない。 義務に魔女の子を殺してはいけない、なんてものはないからね。 最も、魔女の子が死んで困るのは君だよ。 魔女の子を外へ連れ出せなければ、君は、魔女に殺される」

 モノクル越しの眼ともう一方の眼が、不気味なくらい楽しそうに細められる。

 店内に蹄の音が響き、背後で止まる。

 恐る恐る振り返ると三匹の羊が、感情を捨てたような表情で私たちを見つめている。まるで、殺すことに抵抗がないかのように。

 だが、次に聞こえてきた音は、拍子抜けするものだ。

 何度も聞き覚えのある「ケロケロ」という笑い声。

「さすが、魔女の次に嫌われるフクロウだ。 くそ野郎が」

「なんとでも。 私は、深淵に生きる者ですから、地上の者たちになんて思われようと知ったことではない」

「まぁ、いいさ。 それで、話は戻る。 そのネックレスを渡して欲しい」

 三匹の羊が、再びアウルヴィの背後へと戻る。

「購入ということで?」

 フローグが、開き直ったみたいに口角を上げる。

「あぁ、そうだ」

 アウルヴィも、開き直ったみたいに口角を上げる。

「では、こちら35万アルマになります」

「このくそ野郎が」

「どうとでも」

 フクロウとカエルの開き直った罵り合う口角の上がり具合に、私は、ハラハラとしているしかない。

 冷めてしまった紅茶は、不自然に黒く変色していた。

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