第4話 

 昨夜見た中華風のガヤガヤと騒がしかったあの場所は、消えてしまったみたいに静まり返っていた。あの場所が、美しい石タイルで舗装されているなんて思いもせず、踵でトントンと叩いてみる。

 隣では、ペタペタと足音を鳴らすフローグが、眠たそうにしていた。

「ここは、ずっと騒がしいのかと思ってたよ」

 錆びたトタンに縁どられた空から太陽は見えない。もっと東にある。

 私は、そんな空を見上げて言った。

「そんなことないぞ、ここは<夜の幻想街げんそうがい>だ。 日が暮れてからじゃなきゃ賑わわない」

「それも、魔女が決めたことなの?」

 私は、視線を空からフローグへ向けた。

 フローグの視線は空を向いていた。

「その通り。 他にもいろいろあるぞ<不通電話の森>、<悪戯の山>……全部、魔女が名前を付けた」

「そうなんだ。 じゃ、例えば、夜の幻想街なのに昼間に騒いだら殺されるの?」

 フローグは、空に向けていた視線をゆっくりと戻し、気味悪く笑う。

「あぁ、何人もの馬鹿が殺されたよ――こんな風になっ!」

「キャー!」

 両手を広げ飛び掛かるようにフローが跳ねたせいで、思わず変な声を出してしまった。

 きつく睨みつけると「嘘だよ」とパーカーの紐を揺らしながらケロケロ笑った。

「この島のルールは、義務だけだ」

 そういうと、フローグは路地を曲がった。石タイルが所々剥がれ、地面が剥き出しになっている路地は、歩きやすいとは言えないが、フローグと出会った路地よりはマシだ。

 それに、違っているのは足元だけではなかった。漂う空気感も微かに違っている。

 昨夜の路地は、プレゼントの包装紙を雑に破るような乱暴な空気が漂っていたが、今は違う。

 耳を澄ませば、凶暴な熊の安らかな寝息が聞こえてきそうな感じだ。

 興味津々に、辺りをキョロキョロとしながら歩いていると思わずつまずいた。それを、フローグに支えて貰い「馬鹿が」と言われ「うるさい!」と反論。

 でも、フローグは、鼻で笑うだけで「着いたぞ」と続けた。

「お前の探しているネックレス、ここに売られてるかもしれないな」

「ここに……」

 ゴクリと生唾を飲んだ

 寝息とは程遠い、入りにくそうな小さな店には<骨董屋 狐魅こび>と看板が掲げられていた。

 ここに入るの?、と尋ねたが、フローグには届いていなかった。怯むことなく、ガラガラと大きな音を立てて引き戸を開ける。

 私は、凶暴な熊が出てきませんように、と願いながらカエルの背中をついていった。


 骨董屋の店内は埃っぽく、明かりはない。寡黙に吊るされた電球に、蜘蛛の巣が張り巡らされている。窓の隙間から指す微かな明かりに、舞う埃がくっきりと見えた。

 外から見たときは、大きい建物ではなかったのだが、奥行きはあるらしく埃の被ったいくつもの棚をすり抜ける。

 2つほどの棚を抜けたら、窮屈ではあるが木製の棚と継ぎはぎの椅子と木製の椅子というミスマッチの番台があった。

 すると、店の奥からガタガタと物音が聞こえてくる。私は、フローグの背中に隠れて身構えた。

「誰だい、こんな朝早くから……って、フローグじゃないか」

 店の奥から現れたのは大柄の熊……なんかではなく、すらりとした体に金色のふわふわとした尻尾を揺らすキツネだった。

 キツネは、肩の出た着物を着ていて、時折覗く獣の牙は、なんだか色気を感じる。それに、なによりも胸元が微かに……いや、はっきりと膨らんでいて、確かな敗北感を感じた。

「よぉ、トウカ」

 美しいキツネとパーカーを着たカエルは、どこまでも不釣り合いだ。

 フローグは、ケロケロと笑いながら私の頭を<トウカ>と呼ばれるキツネの前に押し出す。

 トウカの紅いアイラインが引かれた目は、真ん丸と見開き「魔女の子じゃないか!」と私の両頬をモコモコの両手でぎゅっと挟んだ。

「アタイ、魔女の子なんてみたの初めてだよ。 名前は、なんていうんだい?」

 挟まれていた頬を自分の手で撫でながら答えた。

「ユキナです。 よろしくお願いします」

「可愛らしい名前だね。 よろしく」

 トウカは、木製の棚に前のめりに寄りかかりながら、手を差し出す。私は、それを両手で握った。うん、やっぱりモコモコだ。

「トウカさんは、変わってますね」

「なんだい? そんなに、狐が珍しいかい?」

 私は、首を横に振る。

「ううん。 ここに来た時、みんな『見えない』って言って優しくしてくれなかったから」

 また昨日のことを思い出して、心がどんよりと沈んでいく。

 でも、トウカは笑っていた。まるで、『見えない』と言った動物たちを馬鹿にするようにして。

「『見えない』なんて言っている奴らはプライドもなにも持ち合わせてないんだよ」

 モコモコの手が、私の頭に添えられる。そして、優しく撫でられた。

 トウカの滑らかな牙が、どこまでも優しく思えた。

 きっと、彼女は、私と比べ物にならないくらい強い。

「魔女の都合で、こんな場所に放り投げられたんだ。 アタイ達が手を貸してあげなきゃ」

 頭に置かれているモコモコの手から、ぽかぽかとする温度がじんわりと伝わってくる。ゆっくりと体を巡っていって、固まった心を溶かしていっている。

 この場所は極端だ、と思った。

 トウカやフローグのように優しい動物もいれば、どこまでも魔女の子に優しくない動物もいる。きっと、後者の方が大半だ。

 そして、何よりもこの島の<魔女>が嫌われていることを再確認させられた。

「それで、フローグ。 魔女の子を連れてアタイの所に来たってことは、何かあるんだろ?」

「あぁ、そうだ。 昨日、ここにネックレスが持ち込まれなかったか?」

 フローグの言葉の後に、私が補足を加える。

「群青色のガラス玉が付いたネックレスなんですけど」

 トウカは、眉を顰め首を傾げながら「ガラス玉のね」と呟いて、店の奥へと入っていく。物が倒れる音や、トウカの叫び声がしばらく続いて、やっと戻ってきた。

 だけど、トウカの手には何も握られていない。

「ごめんね。 アタイの所には持ち込まれてないよ」

「そうですか」

 あからさまに落ち込んでしまった。

 いや、探し始めたばかりだ、すぐに見つかるわけがない。

 無理やり笑顔を作って「ありがとうございます」とトウカに向けた。

「力になれなくて悪いね」

「大丈夫です。 トウカさんみたいな優しい動物に会えただけで、私は十分です」

 ネックレスが見つからないことは、大丈夫ではない。だけど、あとは本心だ。

 私とフローグが背を向け、埃まみれの棚を引き返そうとした時「そういえば」と肩を掴まれた。

「アウルヴィの所に、なんか珍しい物が持ち込まれたらしいよ」

「本当か?」

 フローグの顔が、明らかに険しくなった。それに、トウカの声も張り詰めている。

 私には、意味が分からず二人の顔を交互に見ているしかない。

「えぇ、ネックレスかどうかは分からないけど、珍しい宝石が付いてるって言っていたよ。 ガラス玉なんて珍しいからね」

「本当ですか!」

 思わず番台に乗り出してしまう。もしも、私がこの世界で犬になっていたら、尻尾が恥ずかしいくらい横に振られていただろう。

 だけど、トウカもフローグも表情は険しい。それに、ケロケロと笑ってばかりいるフローグは、顎に手を当てて何かを考えているようだった。

 そして、ゆっくりとフローグが言った。

「よりによって、アウルヴィの所か……」

「何が駄目なの?」

「アウルヴィは、この島で魔女の次に嫌われてるフクロウなんだ」

 補足を加えるようにしてトウカが言う。

「アタイの商売敵だよ。 あいつがやっているのは、窃盗だ。 高く売れるものがあれば、誰であろうと、どんな手を使ってでも奪い取る。 あいつがいる<深淵の闇市>も犯罪者の寝床みたいなものさ」

「まぁ、見るだけなら大丈夫だろ。 あのフクロウだって、腐っても商売人だ。 買い手を手にかけるようなことはしない」

 フローグは、もうすでにケロケロと笑っている。

 フクロウなんて、世間ではカフェを開かれるくらいに可愛がられている動物だ。確かに肉食の鳥類ではあるが、あの愛くるしい姿を想像してしまうと、そんな事実からは目を背けてしまっている。私だって、目を背けている。

 モモンガやハムスターの食事に昆虫や幼虫が必要だってことにも、人間は目を背けている。

 だけど、この島では、動物と人間は等身大だ。

 私は、フクロウに簡単に殺される。

 フクロウは、私を簡単に殺せる。

「心配するなユキナ。 珍しく魔女の子って立場が役に立つぜ?」

「え? どういうこと?」

 やっぱりフローグは、ケロケロと笑っているだけだ。

 トウカから「気を付けるんだよ」と何度も念を押され、モコモコの両手で頬を挟まれた。

 そして、もう一度、モコモコの両手で挟まれてから私たちは店を後にした。

 向かうべきところは、フクロウであるアウルヴィの店がある<深淵の闇市>だ。


   *


 夜の幻想街を抜けても、地面は石タイルで舗装されている。だけど、均等だった石タイルの大きさがまばらになり、雑草が隙間から生え、だんだんと石タイルと土の境目が分からなくなり、プツリと途絶えた。

 思わず立ち止まり後ろを振り返る。

 夜の幻想街の姿は見えず、気配はずっと遠くにある。それに、丁度、太陽がバケツの中をてっぺんから照らしているからか、夜の幻想街なんて場所は無いように感じられる。

 私は、怖くなってフローグの側へ寄った。だけど、フローグはパーカーのポケットに手を入れて歩いている。

「まだ着かないの?」

 フローグの足が止まる。

「もう着いてるよ」

「え?」

 私からは、空気を吐き出すような疑問符しか出てこない。

 だけど、周りを見渡すと――魔女の魔法みたいに――あたりの風景はがらりと変わっていた。石タイルで舗装された道が、ただの地面に変わるようにではなく、泡沫が割れてしまうようにパッと。

 したりしたりと、どこからか聞こえてくる水滴の音は、辺りの温度を奪っている。足元は暗く、空を見上げると木々がうっそうと生い茂り、嘲笑うみたいにしてざわついていた。

「ここが、<深淵の闇市>?」

「そう、暗くて気味悪い所だよな。 いつもここだけは、陽が当たらない」

 フローグの行く道をただついて行っていると、巨大な崖に辿り着いた。道は、切られたようにして途切れていて、ずっと先に反対岸がある。

 でも、フローグは、足を止めることなく進んでいく。

「え、何してるの?」

「何って……降りるんだよ」

 パーカーのポケットに手を入れたまま、私の方に振り返る。

「降りる?」

 フローグは、また進みだす。

 ペタペタと音を鳴らす足が、地面から空へ踏み出し、そのまま体が――私は、思わず叫んだ。

 そして、一段落ちる。

 え?どういうこと。

 フローグは、足首辺りを見切らせて、私を冷めた目で見る。

「何してんだよ、階段降りただけだろ。 お前、階段初めてか?」

 私は、フローグの足が見切れた場所まで駆け寄り、下を見る。

 そこは、言葉通り<階段>だった。とても巨大な階段だった。

 目を凝らすと、向こう岸も階段になっていた。

 そして、その階段に挟まれるようにして、ずっと下にいくつかの明かりが点在している。

 フローグが、そこを指さして言った。

「あれが、闇市だ。 巨大な階段に挟まれた闇市。 それが<深淵の闇市>の由来だ」

 深い谷の底から冷たい風が吹き上げて、私の髪を乱暴に乱した。

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