34. 似たもの同士

 話しているうちに、視界がぼやけ、声が震える。

 私は何度泣くのだろう。泣いたって解決はしないとわかっているのに、やっぱり涙は流れてしまう。

 お父さんはすっかり冷たくなった手で、私の涙を拭ってくれた。


 私は今更ながらに、お父さんがコートも来ていないことに気付いた。シャツとセーターでここにいる。

 そうだ、お父さんの部屋にコートがあった。リビングからそのままの格好で外に出たのも見た。

 それなのに、お父さんが寒空の中、薄着で出て行ったことに気付いてなかった。

 いかに自分の視野が狭いのか思い知る。


 私は、少しでも熱を分けられたらとお父さんの手を掴み、両手で包み込んだ。

 こんなに冷えるまで、一人でこんなところに来させてしまった。じくじくと胸が痛む。

 もっと流れそうになる涙は、目に力をこめて我慢する。

 お父さんは私の行動に驚いた顔をしたあと、クスッと笑った。


「本当なら、もっと幼い頃にこういう喧嘩をするのかもな」

「え?」

「私が茜を一人にして、こういう喧嘩もできないようにしていた。ちゃんと茜のそばにいて、茜とこうやってぶつかり合うべきだったのに」


 私は必死に首を横に振った。それでは、まるでお父さんが悪いみたいだ。


「私たち、そっくりなんだって」

「そうなのか?」


 お父さんが目を丸くする。私も笑みがこぼれた。


「たぶん二人とも、どうやって接したらいいのかわからなくて。誰かのせいだと言うなら、私とお父さん、両方のせいなんだよ。どっちもどっちなんだね」


 誰が悪いなんてことはないけど、原因を探すなら、きっと二人とも問題があったのだ。

 お父さんが私の肩を引き寄せた。


「変なところが似てしまって、済まない」


 私はお父さんの胸にしがみつきながら、クスクス笑う。


「不思議だよね。私たち、あまり一緒にいなかったのに、ダメなところが似てる」

「父さんはそれを茜に教わるなんて不甲斐ないな……」

「人生で勉強することって、生きてる限り続くのかな」

「そうだな。父さんもまだまだ学ばなければいけないことはたくさんある」

「私も、お父さんには負けないんだから」

「そうか」


 私たちはベンチに並んで座った。

 薄着のお父さんが心配で、早く家に帰りたかったけど、お父さんはもう少し二人で話がしたいと言ったんだ。


「昨日は本当に済まなかった」

「それはもういいの。でも、どうして帰宅が遅くなったの?」


 昨日に限らず、お父さんの帰りが遅ければ、こうやって訊けばよかったのだ。今までは何もせず、本当に仕事なのか、私を避けているだけなのではないか、と疑っていた。

 疑うだけで何の行動もしなければ、何も解決しないというのに。


「昨日、仕事でちょっとトラブルがあってな……。処理は今日中でもよかったんだが、今日は父さん休みたかったんだ。それで昨日は仕事を片付けていたら、帰りが深夜になってしまった」

「え、お休み?」

 朝のメモを思い出しながら驚く。今日も仕事だったのでは?

 横にいるお父さんを見上げると、お父さんは申し訳なさそうな顔で微笑んでいた。


「メモには仕事に行くなんて嘘を書いてごめん。今年こそは茜の誕生日を祝ってやりたくて。準備を全て他人任せってのもどうかと思って、休みを取って、部屋の飾りつけや料理の手伝いをしていたんだ」

「え! でも、朝もお昼に帰ったときも家にいなかったよね?」

「あー実は……」


 父は言いにくそうにした。


「朝は部屋にいたんだ。息をひそめてこっそり」

「いたの?」


 家の中は静かで、全然気づかなかった。


「ああ。昼は隣の鈴木さんの家にお邪魔して、奥さんに教わりながら飾りつけを作っていたんだ」

「ええっ」


 お父さんが折り紙の輪っかや花を作ってくれたの?

 てっきり、崇さんか真衣が作ってくれたとばかり思っていた。

 そんな風に、私のために一生懸命準備してくれていたのに……。


「私が全部壊しちゃったのね……」

「そんなことないぞ!」


 お父さんが慌てだす。


「結局、お祝いをサプライズしようとして失敗したんだろう。ちゃんと言っておけば良かったんだ。遅くなった理由も、土曜日に休んでパーティーするつもりだってことも」

「私たち、とことんコミュニケーション不足だよね」

「確かにそうだな」

「そうだ。お父さんの部屋に勝手に入ったの。ごめん。プレゼントを見た」

「あー……見られたのか。恥ずかしいな」


 お父さんは照れくさそうに後頭部を掻いた。


「でも、あれは茜に渡すものだから、見られてちょうど良かったよ」

「ありがとう」

「いや、こちらこそ」


 プレゼントをどんな顔をして買ったんだろうと想像すると、おかしくなってきた。笑ってしまう。お父さんも釣られたように笑った。

 一緒に笑いあえるようになるなんて、崇さんが来る前の私は想像もしていなかった。

 ただほんの少し、いつもと違うことが起こっただけなのに、不思議だ。

 崇さんには人の縁を取り持つ力でもあるんじゃないかと思ってしまう。

 笑いがひと段落すると、お父さんはぽつりとつぶやいた。


「この公園な、母さんと父さんと茜の3人で、ときどき、遊びに来たんだ」

「ぼんやり覚えてる」

「そうなのか?」


 お父さんは驚いた顔で私を見た。


「というか、忘れてたんだけど。お父さんを探しにこの辺りまで来たら、思い出したのよね。ずいぶん昔のことなのに、どことなく風景に見覚えがあって」

「そうか……」


 お父さんは嬉しそうに笑った。


「母さんが亡くなったとき、父さんはここに泣きに来たんだ」


 その言葉に、私はとても驚いた。


「お父さんが……泣きに?」


 お父さんの泣いている姿なんて見たことがない。お父さんでも泣くんだ、というのが率直な感想だ。


「おじいさん、おばあさんになるまで一緒にいると思っていたのに、突然逝ってしまって、ショックで……。でも、茜を前にすると、父さんが頑張って茜を守らなくてはと思い、泣けなかった」

「お父さん……」


 私はそのとき、お母さんの死を理解していたのかも覚えていない。ただ、私はお母さんの亡骸のそばで眠っていた、と後から鈴木のおばさんに聞いた。


「で、そんな父さんを見かねたのか、鈴木さんが一日、昼も夜も茜を預かってくれたことがあって。夜に一人でここに来て泣いた。今ここで、そのことを、母さんのことを思い出していたんだ。子育てって難しいなあって心の中で母さんに話しかけていた。母さんはもうここにはいないのにな……」


 何もなく成仏している方がいいに決まっている。でも、寂しそうに呟くお父さんの声を聞くと、私はわざと「私たちが心配で、まだそばで見守っているかもよ」と笑った。

 そうすることで、少しでも寂しさを払拭したかった。


「それはそれで嬉しいかもな」

「ふふ、ねぇ。お母さんってどんな人だったの?」


 私はお父さんに初めて尋ねた。

 お父さんと顔を合わすことが少なく、訊く機会がなかったということもあるけれど、お父さんがお母さんのことを話さないので、訊きづらかったのだ。

 お父さんがお母さんを大切に思っていることは何となく感じていた。でも、その分、お父さんはお母さんの話をするのが辛いんじゃないか、と勝手に思っていた。


 でも、それが本当に正しかったのだろうか。亡くなってからもう12年以上たった。薄れていく記憶を確かなものにするために、本当は私に語りたかったのかもしれない。

 私だって、お母さんの形は記憶になく、ぼんやりとしか姿や顔を浮かべることができない。それは自分のルーツを知らないようで、心の中にぽっかりと開いた穴を生む。

 お母さんの形を確かなものにすることで、自分というものを確かなものにできる気がするんだ。


「母さんか。母さんはいつも笑っていて。ああ、そうだ」


 お父さんは夜空を指差した。その指を追って、私も空を見る。


「いつも優しく見守っていてくれた。微笑んで、寄り添ってくれた。星みたいな人だったんだ」

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