25. 家族になる
そうして、とうとう金曜日になった。
この日、私は朝から緊張していた。
今日こそはお父さんに「今日の晩ご飯は一緒に食べよう」と言うつもりなのだ。
昨日は結局、お父さんの帰りが遅くて言えずじまいだった。
朝に言っておかないと、お父さんはもしかしたら出かけるかもしれないし、ご飯を食べて帰るかもしれない。晩ご飯を一緒に食べる確約を取れないままとなってしまう。
それだけはダメだ。
このことは真衣にも相談しそびれているけど、昨日、意外な真衣の心のうちを聞いたことが私に勇気を与えていた。
お父さんと自分の朝ご飯を温め、まだ起きてこないお父さんを起こしに行こうかと思った頃、お父さんは2階から下りてきた。
物音で気付いた私は「おはよう」と声をかけながら振り向き、お父さんの姿を見て驚く。
青いストライプのネクタイを締め、チャコールグレーのスーツを着ている。手には、仕事のときに持っていく黒い鞄と黒のコートがある。
「もしかして、今日、仕事なの? 祝日なのに」
「ああ、そうなんだ」
お父さんは鞄とコートをリビングのソファに置いてから食卓についた。私も向かいに座る。
「でも、過労で倒れたところなのに、働きすぎじゃない。大丈夫?」
倒れた頃ほどひどくはないけど、少し疲れたような顔をしていて心配になる。
「休みたいところだが、忙しくてな……。でも、そんなに遅くならずに帰れるとは思う」
お父さんは優しく微笑んだ。
しんどい思いをしているはずのお父さんにそんな顔をされると、私も文句ばかりは言えない。
「それならいいんだけど……あの」
お父さんが食事を始めたので、私もお箸を持った。しかし、言いそびれる前にあのことを言わなくては、と先に伝えることにした。
「崇さんに教わって、今日の晩ご飯は全部私が作ることにしたの。その成果をお父さんに見せたいと言うか……晩ご飯を一緒に食べてほしいの」
一緒に食べたい。
お父さんのために作りたい。
ただそれだけなのに、ぐだぐだともっともらしい理由を付けてしまった。
お父さんは食べる手を止めて、私をまっすぐに見ると、目じりをくしゃくしゃにして笑う。
「娘の手料理を食べられるのは嬉しいな」
まだ作って食べてもらったわけじゃないけど、崇さんが言っていたような反応が返ってきて、そわそわする。返事に困って、曖昧に頷いた。
「少しでも早く帰れるように、仕事を頑張ってくるよ」
「うん、待ってる。頑張って」
朝ご飯を食べ終わり、「崇くんによろしくな」と言うお父さんについて玄関を出た。
外の門扉のところで「行ってきます」と手を振るお父さんに、私も「行ってらっしゃい」と振り返す。
お父さんの背中が見えなくなると、私は手を下ろして「行ってらっしゃい、か」とつぶやいた。
こんな言葉、最近になるまでまともに言ったことがなかった。いつも家に一人でいて、誰かを送り出すことなんてなかったからだ。
それなのに、今は自然と言えた。親子みたいなやり取りを自然と行える。
そんな自分に、心がムズムズする。
頬がにやけてしまう。
お父さんは父親だとわかっていても、今まではどこか他人のように感じていた。それが今ではちゃんと家族だ。
それがこそばゆくあり、嬉しくもある。
そう、嬉しいんだ、私は。
もしかしたらずっと、家族がほしかったのかもしれない。
☆
崇さんは食材の入ったスーパーの袋を持って、約束通り午後の1時ちょうどにやって来た。
2時間ほどは掃除や作り置きなど他の仕事を済ますそうで、私は邪魔にならないように部屋でDVDを見ていた。
2時間と少しある映画のクライマックスシーンで、ドアのノック音が響いた。
「はい?」
「茜、崇だ」
「すごい。時間ピッタリですね」
DVDを止め、部屋の時計で時間を確認してからドアを開けた。
2時間と少しの映画ではなく、2時間きっかりの映画を見るべきだった。
「そりゃまあ、仕事だし。それより、スーパー行くぞ」
「スーパー?」
私は首を傾げた。
何か買い忘れでもあるんだろうか。
「ああ。茜は食材なんて買いに行ったことないだろ。実習みたいなもんだよ。一度、一緒に買い物に行っておこうと思って、作り置き分の食材しか持って来なかったんだ」
「なるほど」
私は頷いた。
「確かにスーパーって主婦の方がたくさんいて、気後れするのであまり利用したことないんです。いつもはコンビニばかりで」
「コンビニの方があちこちにあるからな。でも、食材なんかはスーパーの方が安いし品揃えも豊富だぞ」
「へえ、そうなんですね。ちょっと待っててください」
私はショルダーバッグを取りに行き、用意を済ませると崇さんのもとへ戻った。
家を出て、スーパーまでは歩いて行く。
歩いて10分ほどのところに、大手チェーン店の24時間営業のスーパーがある。
「崇さん、今日は何を作るつもりですか?」
「何を作りたい?」
「は?」
私は崇さんの顔を見た。ちょっと気まずそうな顔をしている。
「実は、何を作るか決めてないんだ」
「決めて……ない?」
予想外な言葉に、思わず足を止めた。
崇さんは数歩先で立ち止まってから、振り向いた。
「茜の好きな料理ってなんだ」
「好きな料理って言われても……」
急な話題転換に戸惑いながらも考える。考えるけど、答えがないことを知っている。それがもしかしたら人より変わっているかもしれないことも。
今まで、クラス替えなどで話しかけてくれて、しばらく一緒にお昼ご飯を食べた子も何人かいた。そういうときに、ご飯どきだからと食べ物の話になり、「好きなものは何?」と聞かれて答えたら、変な目で見られたことがあったんだ。
その子は食べることが大好きで、私の返事は考えられないものだったらしい。
それだけが原因ではないだろうけど、相手がクラスに慣れて他にも友達ができるにつれて、話さなくなっていった。
崇さんは人のためにご飯を作れる人なので、きっと食べることも好きなんだろう。
また変な目で見られるだろうか。
そんな風に考えながら、崇さんの目が気になってしまう自分に驚いてもいた。
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