24. 真衣の心
真衣は奥に向かって声を張り上げた。
すぐそばにはベッドが二つあり、その奥のデスクには白衣を着た短髪の男性が座っている。
どうやら保健室のようだ。
あの先生は養護教諭だろうか。
私は保健室を一度も利用したことがないので、養護教諭がどんな先生だったか、うろ覚えだ。若い男性だった気がする。
真衣は相手からの返事も待たずに上がり込んだ。
保健室で食事なんてしていいのかな、と思ったところで、真衣は保健委員だと思い出す。
道理で保健室に慣れているわけだ。
こちらを見た先生は、私たちを見て顔をしかめた。眼鏡をかけていて、神経質そうな雰囲気の先生だ。
「鈴木、おまえなー。ここはお昼を食べるところでも、遊ぶところでもないぞ」
先生は立ち上がってこちらに来た。
「保健委員なんだからいいじゃん。友だちは委員じゃないけど、一緒に。ね?」
真衣が私の腕に自分の腕を絡めて、私を隣に引き寄せる。笑顔を作ろうと思ったけど、引きつってしまう。
ギロッと睨むような先生の目が怖い。謝ってしまいたかった。でも、それさえできずにいると、真衣は続けた。
「ほら、こんな寒い日に外で食べたら風邪ひいちゃうんだから、風邪予防って思えば、保健室利用の意義があるでしょ?」
真衣は片手を顔の前に立てて拝むようにして頼んだ。先生は真衣のおでこを小突く。
「あたっ」
「普通に自分の教室で食べればいいだけだろ」
「女子高生には色々と事情があるんです」
真衣はおでこを押さえると、頬を膨らませた。私の腕を離して、そのまま先生の横を通り過ぎ、奥へ行く。
「ま、真衣……」
小声で呼びかける。真衣は振り返らない。
気まずい。
真衣と先生を見比べて迷った末、先生に頭を下げると真衣を追いかけた。
先生は長く息をついた。
「ったく。授業が始まる前に出て行けよ」
「ありがとうございますー!」
先生は「調子よすぎ」と言いながら、もう一度わざとらしい声でため息をつく。真衣を呆れた目で見ると、廊下側の扉を開けて、保健室から出て行った。
「真衣、良かったのかな?」
不安になって聞くと、真衣は「大丈夫だよー」と笑った。
先生のデスクの後ろにあるテーブルとソファのセットに、真衣は腰掛けた。
私もその隣に座る。
「あの先生、怖いふりしてるけど、なんだかんだ言って優しいのよね。たぶん私たちのために席を外してくれたんだと思う」
「そうなんだ。次に会ったら、私がありがとうございましたって言ってたって伝えてくれる?」
「そんなにかしこまる必要はないけど、どうせ委員の活動で会うしね。了解」
お腹空いたー、と笑う真衣と一緒にお弁当を広げて、食べ始めた。
「それより、茜。向こう見てよ」
「え?」
真衣が指さすのは、私たちが入ってきたドアの方だ。
指の先を見ると、カーテンを開けている窓からは中庭が見える。冬なので咲いている花は見当たらないが、落葉する植物は少ないようで、この時期も緑の葉をつけた草木が臨める。
私たちのいる室内はストーブで温められていて、とても心地良い。
なるほど。
ここは確かに、患者さんがいなければとてもいい場所だ。特等席と言えるかもしれない。
「それで、なんで私に何も言わず教室を出たの?」
食べ終わり、一息ついたところで、真衣がそう切り出した。
私は口に入れていた食べ物を飲み込み、お茶を一口飲む。
「……なんかさ。他の友だちと笑ってる真衣を見てたら、私って一人なんだなって思って。真衣しか友だちいないし。でも、真衣が私のことをどう思っているのか疑っちゃうときもあって、なんか、虚しくなったというか……」
私はしどろもどろに答えた。
真衣がため息をつき、私は肩をビクッと揺らした。
今のため息の理由は、何。
真衣にどう思われたのか、怖かった。
「茜は、他の子と笑ってる私をどう思ってるのよ」
「どうって……羨ましいなって思う。みんなと笑いあって。私はそういうことできない」
もう一度、お茶で喉を潤わせた。
「人見知りなのかな。自分から親しくするのって苦手で。真衣とのときだって、真衣から積極的に話しかけてくれたよね。あれがなかったら、私は真衣とだって友だちになれなかったかも」
隣の家に住んでいれば、無条件に仲良くなれるわけじゃない。
幼い頃、自分から話しかけることができなくて、むっつりと黙っているような私に、真衣が根気よく笑いかけてくれたんだ。だから、真衣とは普通に話せるようになった。
今ではバイトを始めて、仕事の話であれば気負わず話せるようになった。
崇さん相手だって、仕事の延長だからどうにかなっている。
ただ、それだけなんだ。
「そっか。茜にはそう見えるのね。私さ、茜が思っているような人間じゃないよ」
真衣はソファにもたれかかった。口元は笑っているのに、目が笑っていない。
「私って臆病なのよ。一人になるのが怖い。仲間外れにされるのが怖い。だから、親しくなるのは無理かもって思えるような、ちょっと嫌な相手でも、とりあえず笑っておくの。笑って、相手の言うことに頷いて、良い子のふりをしておくの。本気でみんなと仲良くしたいんじゃない。波風を立てたくない、ただそれだけ」
「真衣……」
なんて言えばいいのか、わからなかった。真衣がそんな風に思っていたなんて、考えたこともなかった。
「だから――」
真衣がこちらを見る。
その目は今にも泣き出しそうで、ドキッとした。真衣のこんな顔は初めて見る。
「人の目なんて気にせず一人になれる茜はすごいと思う。きっと私なんかより、ずっとずっと強い」
そんなことないよ、と言いたかった。真衣はきっと私よりも強い。
でも、何をもって強いとするのか。そんな答えなんて出るわけがない。
きっと誰もが弱くて、誰もが他人を強く感じ、羨むのだ。
他人の気持ちを全部知ることなんて出来ない。こうやって心のうちの一部を見せてもらっても、それが全てではない。
人は自分の心しかわからない。
いや、自分の心でさえ、自分でもわからなくなって、ままならないものなのだ。
本当は心のうちの比較なんてやりようもないのに、相手の心を決めつけて、比較して、勝手に自分の方が劣っていると決めつける。
自分は異質なのではないか。
自分は誰よりも弱いのではないか。
そう思い込んでしまうんだ。
完璧な人間なんてきっといない。
自分の考えをどう伝えればいいのか迷っていると、廊下側の扉が音を立てて開いた。
私と真衣が驚いて見ると、先生が帰ってきたところだった。
「ただいまー」
「って先生! 気をつかうなら昼休みの間ずっと席を外しててよ」
真衣が文句を言うと、先生は私たちを見た。
「なんだ、おまえら。まだいたのか。あと5分で予鈴鳴るから戻れよー」
「え、ほんと? やばっ」
私たちは飲みかけのお茶を一気に飲んで、広げたままだった弁当箱を片付ける。
立ち上がると同時にチャイムが鳴った。
「茜、急ぐよ」
「うん」
「先生、ありがとうー」
「ありがとうございますっ」
お礼を言いながら保健室を飛び出すと、バタバタと足音を立てながら廊下を駆け抜けた。
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