4. 真っ黒な飲み物を美味しくするコツ
そもそも、体の温まるものってなんだろう。
緑茶、紅茶、コーヒー?
温かければなんでもいいのかな。
そう考えたところで、店から持って帰ってきたケーキのことを思い出した。
廃棄物とはいえ、まだまだ美味しく食べられる。お茶請けにケーキを出しても構わない……よね?
となれば、洋菓子に緑茶は却下だろうと思って、私は振り返って少年に問いかけた。
「紺野さん、紅茶とコーヒーのどちらがいいですか?」
我が家のキッチンは対面式となっているので、キッチンからダイニングとリビングを見通せる。少年はこちらを見ると、軽く頭を下げた。
「じゃあ紅茶でお願い」
「わかりました。もうしばらく待っててくださいね」
私は棚から紅茶の缶を取ったところで、また困ってしまう。ティーパックなら簡単なのに、我が家にあるのはリーフティーのみ。なんでもティーパックよりもリーフの方が美味しいのだとか。
自分では淹れないから、今井さんのそんな話を聞き流していた。どうして淹れ方を聞いておかなかったんだ。リーフの量がわからない私にはハードルが高すぎる。
……まずはお湯を沸かさなきゃね。
冷静に、冷静に、と心の中で自分に言い聞かせながら、やかんを探す。どこに何をしまってあるのかさえ、把握できていない。
流しや調理台の下の扉をいくつか開ける。片手鍋があった。
これでもいいかな?
片手鍋を取り出すと、その裏にやかんを見つけた。ようやくやかんに水を汲んで火にかける。
これだけでどっと疲れてしまった。でも、まだまだ。次はティーポットだ。
カップは食器棚に置いてあることを知っていたので、その近くを見るとガラスのティーポットもあった。
ティーポットの蓋を取って、カレースプーンですくったリーフを――どのくらいの量だ。ええと、まあ、なんとかなるよね、きっと。
私はカレースプーンで山盛り2杯のリーフをティーポットに入れ、お湯を注いだ。
あとは蒸らすだけだ。
大仕事をやりきったような達成感と安堵が胸に広がり、ホッとひと息ついた。
案外、簡単じゃない。
蒸らしを待つ間、ティーポットを眺めていると、すぐそばで声がかかり、顔を上げた。
「大丈夫か」
いつの間にか、少年がダイニングとキッチンの境目に立って、こちらを覗いていた。
「もう少しでできます」
と答えたのに、彼は戻らない。それどころか、眉がググッと寄り――……。
「その紅茶、濃すぎないか?」
「ええっ、そんなことないですよ」
たぶん、と心の中で付け加えながら、茶こしを使ってティーカップに注いでいく。
その水色は、黒かった。
あ、あれ?
今井さんの淹れてくれる紅茶は赤く透き通っていた気がして、何かがおかしい。
「えーと……」
これ、飲めるのかな?
ふ、不安だ。
「おまえさー、紅茶淹れたことないだろ」
その言葉にドキンとする。どうして淹れ終わったあとを見ただけでわかるのだ。
「茶葉は多そうだし、ポットの周りには茶葉をこぼしてる」
「え」
言われて気づく。缶からティーポットに移しただけなのに、パラパラと台に散らばっている。私、雑だ。
慣れた人なら、こういうところまで綺麗に扱うのだろうか。
「きわめ付けは、使わない片手鍋が出しっぱなし」
少年の指さした先には、確かに片手鍋を置いたままにしている。
「なんか危なっかしいと思って見ていたが、段取りがめちゃくちゃだ。慣れてないからだろ」
「うう……その通りです」
正論すぎて言い返せない。
「その、なんかすみません」
「謝ってばっかだな」
その言葉にまたもやドキンとする。
何かあれば、とりあえず謝っておけば波風は立たない。癖のようになっているのかもしれない。
出会ったばかりだというのに、少年に見透かされた気がした。
「あーあ、一缶3000円はするいい茶葉なのに、もったいない」
少年は私の横まで来ると、出しっぱなしにしていた紅茶缶を手に取った。3000円と聞いて、我が家の紅茶はそんなに高いものなのか、と驚く。
「これって高級なお茶なの?」
「いや、どうだろ」
「え、だって今いい茶葉だって」
「うちで飲んでるのは500円とか1000円の茶葉だからな。それに比べたら高いし、美味しいんじゃないか。でも、紅茶って本当に高級なのは5000円以上するぜー」
「5000円!」
「ダージリンティーなんかだと、10000円超えるものもあるんじゃねえか」
「い、10000円……」
洋服を余裕で買えるお値段だ。そんな値段の紅茶があるなんて知らなかった。
「これはアッサムか。なあ、牛乳はあるか」
「えーと、たぶん」
冷蔵庫を開けると、牛乳パックを取り出した。消費期限は大丈夫のようだ。
少年はティーポットの中身を茶こしで漉しながら片手鍋に移した。
「これだけじゃ渋いかな……生姜とスパイスか何かあるか」
「え、わかんない」
「勝手に見させてもらうぞ」
と、冷蔵庫の野菜室を開けてゴソゴソしている。
「あった」
少年が手にしているのは土生姜だ。次に、紅茶のリーフを置いていた棚を探している。
「お、カルダモンなんかあるのか。シナモンは見当たらないが、これがあればちょうどいい」
少年は独り言のように言った。私に背を向けているので顔は見えないけど、嬉しそうな声だ。
「あとは……砂糖は?」
「それはここに」
グラニュー糖の入った入れ物を差し出す。
「サンキュー」
生姜とカルダモンと牛乳で何をするのだろうと見ていると、「ぼさっとしてないで、茜は片付けろ」と注意が飛んでくる。慌てて台を拭きながらつぶやいた。
「……呼び捨て」
初対面でそれはいい気がしない。
「親父さんも桂木さんだし、どっちも桂木さんはややこしい」
「それはそうかもしれないけど」
お父さんの仕事は忙しいようで、帰宅が遅い。私が寝てから帰ってきて、起きる前には出かけるのだ。時には、帰ってきた形跡のないこともある。
私はそのことを説明した。
「だから、紺野崇がお父さんと私、両方一緒に会うことなんてないですよ。どちらも桂木で問題ありません」
呼び捨てにされた私は意地になって、わざとフルネームで呼んでみた。
「茜、それじゃ、家にほとんど一人でいるってことか」
「まあ、そうです」
少年改め紺野崇が眉を寄せて、私の顔をマジマジと見た。
「言いたいことは山ほどできたけど、茜に言っても仕方がないしな……」
「茜じゃなくて桂木さん」
いつまでも茜と呼ぶので、私は訂正を促した。しかし。
「茜」
「紺野崇、桂木さんって呼んでください」
「それなら茜もフルネームで呼ぶのはやめろ。オレはおまえより年上だぞ」
「えっ」
台を拭く手を止め、私も紺野崇、いや、崇さんの顔を見た。年上を呼び捨てにするほど図太くないので、さん付けにする。苗字でないのは、崇さんが名前で呼ぶことをやめないからだ。
「年上? 見えない!」
「見えなくても20歳だ。大人だ」
「えええええっ」
少年ではなく、青年。
しかも、成人した大人?
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