5. 家政夫と大人の定義について

 私は大人の定義について考えてみる。

 20歳を超えたら大人だと思っていたけど、顔だけでなく言動すべてが子供っぽい崇さんを見ると、疑わしい。


「大人だって偉そうにするところが子供っぽい! 全然大人になってないじゃない」

「うるせえなあ」

「それに口も悪い! 家政夫だったら、こっちが雇い主でしょ」


 私がお金を出しているわけでもないのに、口をついて出てしまう。


「正真正銘の子供が偉そうにするな。それより、ほら。できたぞ」

「……子供じゃないもん」


 子供の定義もまた難しい。私にとって子供は小学生くらいまでだ。でも、それなら13歳から19歳は何と呼ぶのだろう。大人からすると、高校生も子供なんだろうか。

 私が20歳になるまでおよそ3年。

 その頃には自分が大人になっているなんて、想像もできない。


 崇さんが紅茶をティーカップに移していく。多くできたようで、まだ鍋に半分ほど余っている。それは冷蔵庫に入れて後で飲めばいいだろう。私はお礼を言うと、麦茶用の空のポットを取り出し、残りをそれに入れた。

 真っ黒で美味しくなさそうな紅茶だったのに、今はふんわりと良い香りが立っている。どう見ても失敗だったものが生まれ変わるなんて、まるで魔法みたいだ。

 頬が自然と緩んだ。

 崇さんは私に聞くまでもなくお盆を探し当て、カップをリビングに持っていこうとする。私はハッとした。


「待ってください。今日バイト先からケーキいただいたんです。良かったら選んでください」


 ダイニングからケーキの箱を取ってきて開けると、中を見せる。生クリームや果物を使った日持ちのしないケーキが入っている。全部違うケーキなので、選びがいがありそうだ。


「すげ、美味しそう」

「どれがいいですか?」

「茜は?」

「私はどれも好きなので、余ったので大丈夫です。先にどうぞ」

「じゃ、これで」


 崇さんが選んだものは丸い形をしたチョコレートケーキだった。プラリネクリームとほろ苦いチョコレートムースを柔らかいチョコでコーティングしている。


「崇さんってチョコ好きですか?」

「おう。なんで?」

「そのチョコケーキ、チョコがとても濃厚なんです。チョコ好きの人なら満足できると思うんですけど、そうでもない人だったら濃厚すぎて苦手かもです」

「がっつり濃厚なの好きだからたぶん大丈夫だ。ありがと」

「それならお勧めです。私も大好きなんです」


 でも、真衣はもうちょっとチョコが控えめの方がいいって言うのよね。あんなに美味しいのに。

 私はフレジエという苺のケーキを選び、それぞれ皿にのせた。


「これをバイト先でいただいたってことは、今日はバイトがあったから遅くなったわけか」

「そうです。その、今日はすみませんでした」

「んー。オレが来るって知らなかったみたいだし、それはもういいけど……」


 崇さんがケーキと紅茶をのせたお盆を持って、先にリビングへ向かった。そのあとについて行く。


「茜がバイトしていること、親父さんは知らないのか?」

「あー……いえ、知ってるはずです」


 バイトを始めるにあたって親の同意書が必要だったので、サインをお願いする旨を書いた紙と同意書をリビングの机に置いておいたのだ。翌日にはサインがされていた。

 ただ、直接会って話したわけではないので、どういうシフトで働いているかは伝えてない。私がバイトしていることを忘れている可能性もある。


「なんというか……」


 崇さんが立ち止まり、私の顔を見つめる。私も同じように見返した。


「おまえたちは色々と足りないんだろうな。言葉とか、コミュニケーションとか」

「そう、でしょうか」

「ま、オレも人のこと言えないんだけどな」

「え?」


 さっきまで真っ直ぐだったはずの崇さんの目が泳いでいる。


「うちも共働きで、しかも母親が所長なんてやってるから忙しくてさ。家では一人でいることが多かったんだよ。でも、だからかな。それが正しいとも思えないんだ」


 その言葉は、私の胸に深く突き刺さる。胸が苦しい。私は何も言うことができず、先に歩き出す崇さんの背中を見ていた。

 崇さんはソファの前のテーブルに、ケーキと紅茶を並べた。


「ありがとうございます」


 家政夫さんとはいえ、今は仕事ではなくお客様なのに、すべてを崇さんに任せてしまった。自分が情けない。もう少し人並みに家事を覚えなくては。

 向かいあってソファに座り、ケーキと紅茶をいただく。

 崇さんはチョコレートケーキを一口食べて、瞳を輝かせた。


「うまいな、これ! バイト先って、どこのケーキ屋さん?」

「駅前のfavoriってお店です」


 私もケーキを食べた。

 底と上に敷かれた生地で、カスタードとバタークリームを混ぜたものをたっぷり挟んでいる。クリームの中に並んだ苺の断面が美しい。もちろん味もとても美味しい。クリームの甘さと苺の甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。


 次に紅茶を飲んだ。

 生姜とカルダモンでちょっと変わったジンジャーミルクティーくらいに思っていたんだけど、違う。これは――。


「チャイですか?」

「ああ」

「すごく美味しくて驚きました!」


 真っ黒になった水色から、牛乳を入れても苦い紅茶を想像していたのに、全然そんなことない。スパイスの香りと、牛乳と砂糖の甘みでとてもマイルドだ。ジンジャーティーと香りが違うのは、カルダモンというスパイスのおかげなのかな。


「チャイは茶葉を倍量入れるからさ。茶葉入れすぎの紅茶だったら、ロイヤルミルクティーにするよりこっちの方が美味しく飲めると思ったんだ」

「バッチリです」

「そうだろう」


 と、崇さんは得意そうに笑った。


「それで、今井さんがお休みの間の、代わりの家政夫さんということですよね」

「そうだ」

「あの、崇さんってお若いですよね。学校とか、昼間の仕事で問題はないんですか?」


 高校生でなくとも20歳だ。高卒で家政夫として働いているのかもしれないけど、学生で忙しい可能性もある。


「今は大学の冬休みだからな。その間だけの短期バイトだ。人手不足の今だけ手伝うことになった」


 崇さんは仏頂面になった。やりたくてやっているようには見えない。


「嫌々、ですか」

「まあ、正直。家政夫なんて女の仕事みたいでちょっと恥ずかしいだろ。親の言いなりみたいなのも気に食わない。でも、金は欲しいしな……」

「家政婦ってお給料いいんですか」

「短時間だから微妙なとこだが、時給はコンビニバイトよりずっといいな。オレは一人暮らしだから、今やってるコンビニだけじゃキツくて、もう一つバイトを探してたんだ」

「そうなんですか。……あの、私もできたら、女性の家政婦さんがいいと思います」


 男の人は慣れていないので落ち着かないし、今井さんのときよりも気をつけなくちゃいけないことが出てくると思う。下着とか、男の人には見られたくないものもあるからね。

 なので、男性の家を担当している女性家政婦さんとトレードできれば……なんて思いがあっての発言だった。


「さっきも言った通り、人手不足なんだよ。ここに来られる家政婦は他にいない。みんな長く担当してる家があるし、そこを2週間離れてもらうってのは、顧客の信用を考えるとできない」


 顧客の信用。

 金髪姿からそんな言葉が出てくるとは思えなくて、私は驚いた。見た目はヤンキーなのに、仕事のことを意外としっかり考えている。

 そう思い見直していると、崇さんが不敵に笑った。


「だが、もしも茜たちが、2週間家政婦はいなくても大丈夫だって言うなら、オレはこの仕事を辞退してもいい。別の仕事を探す」

「ええっ、無理!」

「即答だな、おい!」

「だって、紅茶を淹れるところ見たでしょ? 私、家事なんて一切できないんですよ。あ、でも、掃除は最悪2週間なしで我慢するとして、食事はコンビニでお弁当でも買えばどうにかなるわけよね。案外、家政婦さんがいなくてもなんとかなるのかな?」


 崇さんは大きく息をついた。


「2週間も掃除をしないなんて恐ろしい」

「崇さんって意外と几帳面で綺麗好きなんですね」

「茜は意外とルーズなんだな」

「ええと、どうでしょう。今井さんがいつも綺麗にしてくれるので、掃除してなくても平気なのか、よくわかってないです」


 崇さんは私の顔をじっと見た。


「綺麗なのが当たり前なら、汚い状態なんて耐えられないんじゃないか?」

「ですかね」

「だいたい、高校生に毎日コンビニ弁当を押し付けるのはすごい罪悪感だ……。家政婦雇ってでもまっとうな食生活をって考えてる親父さんなら、許可なんて出さないだろ」

「え。そんなことはない、はず」


 お父さんは、金に任せて私の面倒を人に丸投げしているんだと思っていたので、私のためという発想がなかった。

 そんな風に私のことを考えてくれているなんてこと、あるのだろうか。


「オレもバイトは探してるわけだ。たった2週間のこと。我慢してくれ」

「はあー、仕方ないよね。もう今井さんはアメリカだし」


 何かのトラブルでまだ日本にいたとしても、呼び戻すことなんてできない。

 私も、そしてたぶんお父さんもそう思っている。

 今井さんが我が家の担当になってから、十数年。病欠以外の休みはなしで、月水金でずっと働いてくれていた。

 しかも、今井さんは保育士の資格を持っていたこともあり、最初の何年かは週5フルタイムで、幼かった私の世話も仕事だった。

 私の母代わりに近い存在なんだ。

 そんな今井さんの初めての長期のお休みだ。邪魔はしたくない。


「今井さんと同じ月水金の週3日、掃除と買い出し、料理の作り置きがオレの仕事になる。問題はないか」

「はい、大丈夫だと思います。短い間ですが、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」


 お互い頭を下げあったあと、目を合わして、ふっと笑った。

 さっきから遠慮なく言い合っていたので、かしこまって挨拶することがこそばゆい。


「そういえば」


 と、崇さんがソファに置いていたメッセンジャーバッグを引き寄せ、スーパーの袋を取り出す。

 例のネギとゴボウはスーパーの袋の中に入っていた。他にも何かたくさん入っているようで、袋は膨らんでいる。


「今日が本来の仕事の日で、もう作り置きのご飯も切れる頃だって聞いてたから、今日から早速、掃除と料理をするつもりだったんだ。作り置きがあるから時間かかるけど、料理だけでもやっていいか?」

「ありがとうございます。今日の晩ご飯どうしようかと思ってたので、助かります」


 と答えるのと同時に、私のお腹が鳴った。ケーキを食べたところだというのに、催促しているみたいだ。顔が熱くなる。


「ああ、もう8時か。なんか簡単にできるもので、先に飯にするか」

「はい、お願いします」


 崇さんは立ち上がると、私をじっと見下ろした。


「な、なんですか」

「茜も一緒に作るか?」

「え」


 私が料理?

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